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介助者ノートより

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(1997.1.1 N)
 あけましておめでとうございます。
 僕はここへ仕事として介助しに来ています。他の人たちはボランティアです。仕事で来ているのは僕一人。僕は去年、そういうわけで「ヘルパーは孤独だな」と思いました。この立場を、本当に理解し合える人がいないのです。僕の不平・不満を聞いてくれる人もいるし、僕がへルパーであるということをよく考えて、行動してくれる人もいます。別に、その人たちや、他の人たちに文句を言おうとしているのではありません。ただ、事実として、同じ立場の人間がいなくて、深いところでは一人ぼっちであると自分は感じてきたのです。だからこそ、自分なりに自分の立っているところを伝えようとして、いろいろ言いてきたのですが、実はあまり伝わっていなかった。・・・。やはり、直接会って話をするのが一番わかってもらえるんだなと実感しました。けれど、それができない人がいる以上、やはり、ノート上でも書いてゆくことは意味があるという結論に達しました。
 僕は、ここから遠ざかりたくなったとしても、一ヶ月来ない、などできない人間です。いや、そういう位置に立っています。ここで得た収入で生活しているのです。僕の生活とここは直結していると言ってもいいでしょう。このあたりが、他のボランティアの人たちと決定的に違うところで、それが、こことの関わり方の互いになってあらわれてくるのも事実です。
 僕はボランティアになりたいと言っているのではありません。僕が遠藤さんの生活の大きい部分を支えているということは、僕にとって、自分が有用な人間である、ということを感じられることでもあるし、それが僕自身の生きることへの支えでもあります。人の価値は、何かを「できる」というところにあるのではないけれど、人の役に立つのは、やはりうれしいことです。また、ここで遠藤さんから得たもの、友達が増えたことなどは、今の僕の生き方にすごく影響を与えています。だから、決して負の面ばかりではなく、正の面も限りなくあることは断わっておきたいことです。
 あることを負と思うか、正と思うかは、その人の見方次第なんてことを言うこともあるし、たしかにそういうところもあります。だからといって、今あるものをそのままよし、としていていいかというと、そうではないでしよう。やってしまったこと、受けてしまったことは、自分次第で正にできるけれど、何でも受け入れます、とは僕はしたくない。だから、僕はおかしいと思ったことや、もっとこうやって出来ると思ったことは、言ってゆくようにしているのです。不平。不満と言われようがかまいやしません。現状肯定ばかりしていたら、いったい何が生まれるというのでしょうか。創造するのは、やはり「違うぞ!」と思うからでしょう。
 あれをしてほしい、これをしてほしいということよりも先に、まず僕の立っている位置をみんなに知ってもらう方が先だと思っています。

(1997.1.12 I.M)
 最近、髪を切った。和久井映見になったつもりだったのに、遠藤さんに「じゃりん子チエ」と呼ばれ、介助に入ってたIさんにまで、「チエちゃん、さようなら」と言われた。学校では、「前髪の長いチビマリコ」とまで言われた。私は和久井映見なのよ!!

(1997.1.15 I.K)
 むかしむかしというよりは、少し最近の話。電車に乗ってた時の事。僕は座っていて、僕のとなりには、初老の紳士、スーツをびしっと着こなしていたおじいさんが座っていた。そこへ、とっくに測歳を過ぎていたヨロヨロしたおばあさんが電車に乗ってきた。もちろん僕は、そのおばあさんに席を譲ろうとしたんだけれど、撲より先に、おじいさんがおばあさんに席を譲っちゃったんだよ。そのおじいさんのいう事には、「御婦人に席を譲るのは、男としてのエチケットだからね」。僕は思ったよ、このじいさん、なんてカツコイイんだろうってね。そう思って、僕はそのじいさんに、席を譲ろうとしたんだよ。ところが、そのじいさんは座らなかった。「やぽなまねはやめてくれよ。せっかく御婦人に席を譲るなんてカツコイイ事したんだから、譲り返されたら、カツコ悪くなっちゃうだろ?それに君は仕事の帰りで疲れているんだろ? そういう若い人に、元気な年寄りが席を譲ったっていいじゃないかね」。カッコイイ、カッコよすぎる。
 僕も真似したい。でも、29歳という、絶対的に若い男には、こんな真似は絶対できないし。これから30年ぐらいたったら、僕も絶対やってやろう。
 ところで、このカッコよさがわからないやつは、まだまだオトナになってないよ。

(1997.1.23 N)
 僕はこれ以降、じゃんじゃんと、不平不満、文句を書きなぐっていきますよ。今まではまだまだ大人しい方でしたが、僕のへルパー寿命もあと二ヶ月ちょっとだし、来年度の「えんとこ改善」のためにも書きたいことを書く。
 ここは、『介助の交替がいのち』だって言ってるでしょうが。介助者同士の『信頼関係』で成り立ってるって何度も言ってるでしょうが。次の介助者が約束の時間に来てくれるこの信頼、この約束があるから、介助して入れるんでしよう。次の人がいつ来るのかわからなくて、進んで介助に入る人がどこにいるんですか!! ボランティアはいいよ。「えんとこの介助は、時間があてにならないから、もう行かない」で済むもんな。仕事として契約しているへルパーはどうなんだよ! 介助者が減るとは思っていなかった。けど、僕もあと少しでやめることにしたから、遺言として、どなりちらしてやる。

(1997 N)
 「僕の生きざまをしっかりと刻みつけてほしかった」「少なくとも、二、三年はNくんで、と思っていた」と遠藤さんは言っていた。
 遠藤さんの生きざまを刻みつけたかということについては、もしかすると半分も刻まれていないのかもしれない。しかし、僕にしてみれば、自分にとって大切なものは、だいたい得た。それをもとに外に飛び出してゆきたい、という感じなのだ。自分さえよければいいのか!と怒る人もいるかもしれないが、そもそも一年ごとの契約。僕はサギをしたわけでもないし、遠藤さんだって、やりたいことができたら言ってくれ、そのステップにしてくれって、はじめに言ってたんだから。

(1997 L)
 Nくんの文を読みました。
 私は、あなたが言ってた「あまあまボラ」だったなーと思った。よく遅刻もしたし。ご迷惑おかけしました。
 私は、結構、自分に古かったよ。謝って何でも済ませようなんて、これっぽちも思っちゃいないけど、やっぱり、私の行動はあなたが指摘したとおりの、えらく甘ちゃん的なものだったし、そういう一つ一つのことが、大きなストレスになってた訳だし、本当にごめんなさい、とNくんに対して、また、遠藤さんに対して謝ります。
 遠藤さんの介助に関わってきて、もう三年近く、けっこう古い人だと思う。でも、あんまり、「人の介助」ということに対して、深く考えてなんかいなかったな。いつもどこかで「他人事」としてとらえてたよ。だから逆に、いろんな悩みを抱えることなく今までやってこれたのかもしれないけど。「えんとこ」と自分との間にいつも距離をおいていたから。

(1997.1.31 N)
 遠藤さんは、やっば魅力あるね。それは誰とでも、遠藤滋として対応するからなんだろうな。相手が年下だろうが、年上だろうがね。真剣なんだよ、どんな人に対しても。やっば、そこは尊敬します。

(1997.2.10 I)
 ヒマな学生ならともかく、社会人を二時間も残らせないでよ。

 あと、遠藤さんの身にもなんなさいよ。
 もうーーー!!
 チョーバッツ MM チョブチョバ!!
 どーして時間が守れないのう。
 いーーーかげんにしなさいようーー。
 あんたが遠藤さんだったらあーーーー
 どう思うのよう。
 もおおーーー。
 今、何時だと思ってんだよ、バカヤロー!

(1997.2.10夜 Y)
 Iさんへ。この借りは体で返す。必ず……

(1997.3.3 K)
 ぼくがボランティアをした理由は、大学で作り上げた人間関係とは、また違った人間関係や出会いを自分で作り上げてゆこうという気持ちから生まれました。ボランティアという純粋な言葉にひかれて。
 しかし、そのボランティアという言葉があまりにも純粋すぎたので、社会との中で、また両親との反目の中で静かに崩れてゆくようにぽくは思いました。ぽくにとってボランティアという言葉は、子どもだった時、よく友達に遊びに行こうよ、遊びに行こうよと言ってたけど、それぐらいのやさしくおしとやかな言葉だったのです。だから、社会というシステムや両親の現実的で社会を考慮した言葉を考えているうち、私の中の純粋な言葉は流動し、ある時は姿を消し、またある時は、その言葉の姿を変えてゆきました。ボランティアという言葉は、私の心の中で姿を消しかけていたのです。
 しかし、今回の介護ボランティアを通して、私はこのままたやすくボランティアという言葉を消し去るべきではないと思いました。現実的で社会的な状況をよく理解して、新しい意味のボランティア(あるいは他の言葉)を自分の中で構築してゆけばよいと決意しました。これからも努力してゆきたいです。

(1997.3.16 K)
 ここへ来て三回目ですが、遠藤さんと共に活動してる方がこんなに多くいらっしゃることに驚きました。よく言われる「共生」とか、「共に生きる」という言葉の意味はこういうことか、とも思いました。『奈緒ちゃん』もそう思わせる映画ですよね。
 遠藤さんは、きっと午後まで寝ていることでしょう。とてもぐったりとしていると言ってました。一、二週間のんびりしてくださいと言ったら、四月からやらなくちゃいけないこともあって、そうもしていられないんだよね、と言っていました。

(1997.3.17 N)
 一年間振り返れば、たいしたことはやっていないし、はっきり言って、仕事としては「楽」な方だったです。一つ一つのことに、腹を立てていた自分を思うと、かなりわがままでした。発想の転換をしてればよかったです。怒ることがあってもいいし、要求することがあったっていいと思いますが、それが僕には多すぎた。完全人間を求めなくなったと思っていたけれど、ちがった。まだ求めているんだなあ。どう断ち切ろう?
 僕へのメッセージを、早朝まで書き続けてくれる遠藤さんという人を、なんと表現したらいいのでしょうか? 「優しい」じゃ、ありふれてるし、人間っていいなと思わせてくれる人であることは、まちがいない。新たに印刷して持って帰って、いろいろ考えてみます。「何度も読まないと、本当に言いたいことは見えてこない」って、遠藤さんがよく言ってるじゃないですか。遠藤さんから僕への文章は、おそらく初めてだと思うので、その気持ちに感謝して、自分なりに噛み砕きます。あまりに、的を得た内容で、はじめは受け入れがたかったけれど、徐々に落ち着いてきて、冷静に読めるようになってきた。「Nにこれだけは伝えておきたい」。そういう、本当に凝縮されたものだと思っています。

(1997.5.7 I.M)
 今年でもう大学も卒業。四年間続けたことといえば、えんとこに通ったのと、お華の稽古ぐらいかな。ほとんど勉強しなかったけど、人生勉強はすごくした。でも、大したやつにはなれなかったけど、大したやつにはいっばい会った。
 嫌で嫌でたまらない思いで入学した大学だった。今でもやめたいと思うこともあるけど、大学さえ卒業すれば、ずっと思い描いていた夢がかなう。生まれてこのかた一度も変わったことのない、私のたった一つの夢がかなう。それゆえ失うものも大きいけれど、たった一つの夢だから、かなえてみたいと思う。

(1997.6.15 T)
 私は、大学に入学するまで、性格が暗くて、物事に対しても興味がなく、ダラダラとしていた。異性の友人にシカトされて、自分は人間のクズだと思っていました。人を傷つけた以上、孤独に生きるとも考えていたが、大学の友人が「孤独という意味がわかっているのか」と、話にのってくれて立ち直ることができた。ボランティアに来たのも、推薦入試の面接官の言葉に疑問をもったから。
 ただ、私はボランティアというよりも、人との触れ合いの場所だと思っています。だから、楽しくできるのではないかと思います。人は弱い心の持ち主です。体の傷は治療すれば治せるが、心の傷は治すのが難しい。私は、大学でも、ボランティアでも思うのですが、思いやりの心を忘れずに、いつも心がけています。私はボランティアでも何でも同じですが、失敗することにより、成功に近づく。遠藤さんと話をして、人の見方も変わりました。遠藤さんの教員時代の話は涙が出てしまった。
 遠藤さんは人生の先輩であり、心の友ではないかと思います。今、現在、卓球とボランティアの二つを四年間続けてやろうと目標にしている。そろそろテストが近づき、焦る毎日ですが、人間として恥じてもいいし、失敗も多くていいが、チャレンジ精神を忘れたくない。槙原敬之の「ズル休み」という曲があるのだが、「人は必ず誰かに愛されていると言えるよ」というフレーズがあり、気に入っている。愛するということは、人と愛情の気持ちで接することだ。愛情の気持ちで接したい。
 この日記を読んで、馬鹿げた人だと思うかもしれませんが、感想をよろしくお願いします。

(1997.6.16 I.K)
 Tくんへ
 あなたの日記を読みましたが、私はあなたを馬鹿だとはちっとも思いません。しかし、自分を馬鹿だと思い込む事で、自分の弱さを肯定するような事にはならないでください。私はそれで突っ走り、精神病院へ入院しました。大学を中退し、ブラブラしていて、29歳でやっと学童保育のアルバイト、30歳でえんとこのホームヘルパーです。
 今、思えば今まで何にこだわってきたのか、何をあきらめてしまったのか、よく分かりません。ただひとつ言える事は、「こだわる必要があるものは何もなく、また、あきらめる必要のあるものは一つもない」という事です。
 ウイスキーのCMで「10年前は若すぎました」というフレーズがありますが、「そのとおり」だと、10年前の自分を恥ずかしく思います。このフレーズは、いろんな意味で捉え方次第だとも思いますが、あなたがこれから10年たって、今の私と同じ意味で捉えてしまう事を、絶対許しません。何にもこだわらずに、そして、決してあきらめずにあなたのペースで歩き続けてください。いつかは必ずゴールにたどりつけるはずです。いや、ゴールにたどりつけなくてもいい。自分の決めた道を、自分の力で歩き続けられるのならば。志なかばで、たとえ死ぬような事があっても、そういう自分を誉めてあげられませんか? 今日は昨日より先に進めたと思えれば、こんなにうれしい事、他にないでしょ。

(1997.6.20 K)
 新しく来た人の中には、えんとこが思い通りのところでなく、時々さびしい感じや、バカじゃないの?と思う感じや、それぞれ思うとこがあるかもしれないけれど、私としては、どうぞ、できるだけ気を長くしてとどまっていてほしいなと思います。
 「welcome」という立場にある私は、なかなか行き届かないところもありますが、どうぞ、できるだけ自分の力でとどまってみてください。
 私はえんとこにしっくりと落ち着き始めたのは、本当にここ一年のことです。それまでは長い間、落ち着かないキモチで通っていました。落ち着くといっても、すっかりえんとこに浸っているとか、信じているということでなく、いつまでも疑問をもったり、冷たいことを考えたり、時に疎外感(いなくてもいいのかも的な)を感じたりしながら、過ごしています。フトドキな怠け者、最近では、けっこう「我」を出して、感じてることも顔に出してしまいます。
 みんなも、えんとこにいろいろ感じながら来ている訳で、なにかひとつ、しっかりとしたえんとこがあって、それを自分が拒否しようとか、受け入れなくてはならないとか、そういうことじゃないんだよね。だから、それぞれみんながんばってね!

(1997.10.12 I)
 朝の介助は一番楽だけど、早起きしなければならないのが大変。寝つきが悪く、寝起きも悪い私には、それはもう地獄のような苦しみを伴うのです。しかも我が家は神奈川県下で唯一、駅が無い綾瀬市にあり、ここまで来るのに最低でも一時間半、最高だと二時間もかかる。朝の一秒って貴重とよく言われるけれど、私にとってはダイヤモンドと同じ価値があるのかも。
 で、今日も何とか定刻どおり(時間ギリギリとも言う)たどり着いたのですが、やっぱり遠藤さんは寝てるし、しかも介助者も寝てる。この光景を見ると、あんなに急いでいた私って一体……!? とか感じてしまうわけ。もちろん、これが楽の一番の要因なんだけどね。朝の介助は、朝が遅い。ただ、話し好きの私には、かなりこれは寂しい……。くすん、早くどっちか起きてくれよう。
 朝の仕度を始めるには、ちょっと早いかな?ということで、ごそごそと洗濯をしようとしたら、おとなりのべランダにハトくんがいて、じっとこっちを見ていました。ハトってすごい。一度動かなくなると、2時間でも3時間でもじっとしている。ちょっと首をすくめて、ダルマさんみたいになっている。なかなかラブリーだったので、非常食のスナックを少しベランダに置いてみた。ところが、ヤツはちらりとそれを見て、のっそりとあくまで優雅に私の前から姿を消した!! なんだよー! せっかく食べるのガマンしてわけてやったのにっ!
 そうこうしているうちに、介助者がのっそり出てきた。さっきのハトくんみたいだなー。とか思っていたらOさんだった。「おはよーございます」「靴下知らない……?」「さあ……」
 やっと遠藤宅でも夜が明けた。今日は、何かいいコトあるかな?

(1997.12.3 I.M)
 私、Mくんにいじめられちゃった。最近、気が滅入ってて泣かずに眠れる日なんてないのに。今晩もMくんの一言に傷つけられ、枕を濡らすのね〈シクシク〉。エーンエーン、遠藤さーん。Mくんにいじめられちゃった。エーンエーン……と遠藤さんに泣きつくと、「ウキャキャ!! ウキャキャ!!」と笑われてしまった。まったく、遠藤さんったら泣きつきがいもない!
遠藤:Mに何を言われようが、I.Mちゃん頑張るんだ。
IM:ええ、遠藤さん、私、頑張るわ。
 こーいうのをやろうと思ったのに。実際は、こーだった。
遠藤:ウキャキャ!! ウキャキャ!!
IM:ゲゲ。
 私、こういう遠藤さん、大大大好き!

(1997.12.31 O)
 数えてみたら、今年泊まり介助を64回やってた。(特に10月から12月で30回)泊まりは二日に渡ってするので、滋と128日顔を合わせたことになる。
 今年は二ヶ月半、日本にいなかったり、就職活動したり、卒業研究してたり、バイトしたり、相変わらず飲んだくれてたりと慌ただしい日々が続いた訳で、Tくんの言うとおり、オレって何者?タフでマゾなのは確かだけどね。
 唐突だけど、オレは、滋とは自然体でつき合っているつもりだ。特別な気持ち、感情を持つて介助しているわけでもないし、何かを得ようという気も毛頭ないし、必要以上に彼を敬ってない。イカしたオヤジだと思うことはあるけどね。彼とは下世話な話しかしないので、互いに(オレだけ?)神経を使わない。これがオレのやり方だし、いいんでないの、と思う。今も滋は酔って、ゆく年カパック、くる年カパックとバカなこと口走ってるよ。