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介助者ノートより

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(1991.1.1 O)
 冬期講習に入って、伊勢原なる所で、合宿に入って、また僕はあわただしさの中に埋もれてしまった。一週間は長いようでもあり、短いようでもあり、その間は、ハッキリ言って、そこでの生活がすべてで、他のこと(遠藤さん及びその介助者など)のことはすっかり忘れていた。
 でも、30日に一区切りついて、実家に戻ると、急に他のことがいろいろと思い出されてくる。みんなの声が聞きたくなり、みんなの顔が見たくなる。そうすると、いつの間にか僕は遠藤家へ来ているのだ。
 今日も、遠藤さんをはじめ、信、慧、Aに会えた。Aはかなり疲れていたが、私の性格上、やさしい言葉はかけられなかった。こいつはかなりいい奴とわかっているのだが、その努力を素直にほめてあげられない。俺ってそういう奴です。これは他の人すべてに対してそうである。
 元旦にここへ来て、今年こそはみんなに対して素直に、という気がむくむくと起こっているくるのだが、強烈な自我がそれを抑えきってしまう。
 よく、「俺のことよくわからない」と人に言われるが、当り前のことなのだ。わからないようにしているというか、知られたくないと心のどこかで、俺自身が思っているからのように思う。
 それでも、俺につきあってくれる人たちは、本当にいい奴らばかりだと思う。でも、最近、無理いい過ぎてるのかなと自分自身、反省もしている。もう俺も今年で22歳になる。もう青春時代のティーンズのように振舞おうとしていても、どこかで無理してる。そろそろ将来の事をマジで考えなければいけないのに、人との付き合いでこんないい加減なことばかりしてていいのかと、たまに考え込む時もある。
 でも、今の俺は今までの人生の中で一番ガンバってるみたいだ。今の自分を大切に、今の友を大切にという気持ちだけは、強く持つている。いつのまにか出会い、いつのまにか別れてしまうもんだと俺は考えてきたが、こいつらとだけは一生つきあっていきたいと思っている。そして、何十年かたって、皆がじじ、ばばになった時、一緒に昔のことをのんびり思い出してみたい。今の俺が考えていることは、これだけです。だから、みんなも自分を大切に、友を大切にして欲しい。

(1991.1.4 Y)
 Good Morning! 昨日の晩はとうとう一睡もしてねーぞ! そんなことどうでもいいよ。あのね、今朝の朝やけすごーくきれいなのよ、長く見てたら、日がチカチカしてきちゃった。昨晩の月あかりゃ、星空もすごくきれいだったのよね。きれいな星空や月をみてるとわけもなくうれしくなっちゃうのよね、いつでもいつでも。遠藤さんちで行きづまった時、屋上で星をながめるのってすごく気が晴れるのよね。そこで歌でも歌ってるとすぐ、一、二時間経っちゃうのよね。
 自分の家の窓から星空眺めると「遠藤さんちの屋上、きれいだろうなー」って思っちゃうもん。そのくらいYは屋上の眺めが大好きなんだよね。
 今朝の朝やけ、本当にきれいなのよ。富士山も反対の方向にシルエットが見えるようで。
 Yの家にも屋上があればなあっていつも思う。Yは昼より夜の方が好きだなあ。星が空一面にあってさ、その中にひとつお月様が輝いていてね、すごく素敵よね。
 また冬の星空の美しいこと美しいこと。しばらく我を忘れる程、ボーッとしてしまう程です。

(1991.2.20 I)
 調子の悪かったプリンターも元気になったようで、『えんとこ通信』のキレイな印刷ができました。I.Kさんの文がのっているヤツで、涙で目をうるませながら、遠藤さんはじーっと読んでいました。遠藤さんの泣き顔を初めて見てしまった私は、ちょっと驚いてしまい、その後「孤独」について、I.Kさんのことや自分の心の中の孤独のことを話してくれた遠藤さんの顔は、何とも言えないような、せつない顔だった。遠藤さんが心の中をぶちまけて(いろんなすごくたくさんの気持ちの一部なのだと思うけど)くれたのには、私は何も言葉になんなかったなあ。遠藤さんの言葉の一つ一つがいつもの何百倍の重みで感じられた。本当の孤独というものを知ってるんだと思った。人間はひとりじゃ生きていけないって、ホントのところ、本当のことなのに、ギリギリの限界というところを、まだ味あわないですんでいて、自分で人と会うことのできる私は、やっぱりどっかで自分は大丈夫なはずって思ってるんだと思う。遠藤さんは・・・。何か言葉がみつかんない。今日の話で、遠藤さんの心の中からの言葉に、とても重みを感じたのは、自分が遠藤さんとは違うところにいるということに気づくことになった。やっぱり違うのだろうか。遠藤さんちに「介助」という形で来ているわけだけど、私の方が目に見えないけど、何か大きなものをもらっていると思う。それが何なんだか、これもまた言葉になんないんだけど、でも、それは私にとって、とても必要なもんだと思う。いろいろと思ってはいるんだけど(モヤモヤとつかみどころなく)、先走りの行動になって、何か原点のようなものから私は、ずれちやってるね。遠藤さんの「介助」というのじゃなく・・・共生し合えるようになりたいと思う。ホントは私が「ありがとう」なんだよ。遠藤さんや、遠藤さんのお母さん、お父さんに「ありがとう」なんて言われちゃうと、違うんだよーと思いつつ、言葉に成らずにうやむやに聞いてしまう。
 今日、遠藤さんが話してくれて、もとをたどればI.Kさんがあの文章を書いてくれて、私の言葉にならなかった私なりの気持ちを少し整頓できたかな・・・。という感じです。このつづきは、まだ気持ちの中だ・・・。

(1991.2.25 O)
 ぽくは、一昨年の5月か6月に初めて遠藤さんの介助にやってきました。同じ学校のS.Gくんの紹介で、最初はほとんど興味本位でここに遊びに来ていたという感じでした。(今でもそれは変わってないかもしれませんが・・・。)遠藤さんは養護学校の先生で、当時は、単にすごいなとしか思っていませんでした。それに介助といっても、ほとんど誰かと一緒に入ることが多く、自分で言うのもなんですが、何もせずに、眠くなると先に寝てしまうこともしばしばありました。でも、たまに夜のマッサージをする時があると、とてもつらくて、嫌だなと思う時が何度もありました。そして、介助者ノートに「今度こそは、しっかり介助をしたい」などと書き残していました。
 でも、月日は流れ、いつも入ってくれていた介助者の人たちがどんどん卒業するようになると、いつの間にか一週間先さえも、介助者がおぼつかない現在の状況になっていました。
 ふと昔が懐かしくおぼえてしまう今日このごろですが、一人で遠藤さんの介助に入って、彼と語り合うことにより、彼という人間が少しずつわかっていき、それと同時に、彼を通して自分という人間が少しずつわかってきたように思います。それは自分について、嫌になる時もあり、楽しいことばかりではなかったと思います。
 しかし、なぜか私は遠藤さんの介助を今も続けています。どうしてなんだろうかと思います。いつもいつも考えているのですが、まだよくわかりません。
 ただひとつ言えることは、ここは居心地がいいということです。それは人によって、かなり異なると思います。確かに友達の中にも、遠藤さん家ではよく眠れないともらす人もいます。そういう人を見ると、ぼくはかわいそうだなと思います。ぼくは遠藤さん家で熟睡できなかったことはありません。それを言うと、眠れない人たちは、ぼくに「どうして?」と聞いてきます。ぽくはいつも「どうして眠れないの?」と逆に思うばかりです。デリケートなんだと勝手に解釈し、そういう人たちは、ぽくよりも介助をすることがつらいのかなとも考えます。だから、正直言って、そういう人に介助を頼むのは、とてもつらいです。でも、それを承知で快く入ってくれる人たちを見ると、スゴイの一言につきます。
 遠藤さんは脳性マヒで手足の自由もほとんどききません。だから、誰かが介助に入らないと、しょうがないとかかわいそうだと思う人がいると思います。ぼくも昔はそう思ってました。今でも少しは思っているかもしれません。でも、ぼくは最近、遠藤さんのことを自分の先輩や友達のように思い始めており、介助がつらいことは変わりはないけど、あんまり気にならなくなりました。今年度に入って、彼の友達(介助者)が減ってきて残念です。彼自身なかなか友達作りを自分からできないから、なおさらさみしいでしょう。
 来年度は、たくさんの人を彼の家に招待できるように、いろんな子を誘ってみようと思います。彼の友達はぽくの友達。ちょっとここらで、がんばってみようかな!?

(1991.3.21 O)
 「介助者の皆さんへ」
 遠藤さんが最近、絶不調です。健康状態があまりにも悪すぎるのです。自分が遠藤さんだったら、どんな思いで生活してるんだろうって、よく考えるようになった。そして、結局いつも死への恐怖というところにいきつく。
 こんなことを言いてはいけないのかもしれないが、私はバカなのであえて書いてしまうが、このままの状態が続けば、遠藤さんは急速に死への階段を昇っていくだろう、ということだ。人は必ず死ぬのであり、これは避けられない事実である。だから、遠藤さんも必ず死ぬ。しかし、彼にはやりたいことがたくさんある。「ケア生活館」等の青写真はもうできあがっているのだ。でも、彼には必ず誰かの手助けが必要である。電話をするにしても、書類を書くにしても、何をするにも、ほとんど人の手が必要なのだ。この手助け役が「介助者」であるわけだが、最近どうも、自分本位になりすぎているように思えるのは、私だけであろうか。でも、これははっきり言って、私は自分もそうしている通り、悪いことではないと思う。人には人の事情があるのだから、仕方のないことである。
 しかし、今はそんなことは言ってられなくなったのだ。なぜって、だって今、彼は病気と同じようなものなんだもん。君らだって病気になったら、誰かに看病してもらいたいと思うだろう。彼だってそうだ。でも、君らと遠藤さんとの間には、決定的な差がある。それは、君らには、親とか兄弟とか世話してくれる人がいて、遠藤さんにはいないことだ。(お母さんがいるが、年齢的にそろそろ無理があると、冷静に思うからあえてはずします。)だって、君らが遠藤さんの世話をしているんだから。今の状況を見ればわかるでしょ。
 結構きついことを書きすぎたようですが、これが遠藤さんの介助の現実です。これを読んで、俺が力になってやる、私が手を貸してあげると思われた方、どうぞよろしくお願いします。あなた方のような方に呼びかけるために書いたのですから。逆に、そう言われてもなあ、俺には何があるし、私には予定がいっばいあって、という方もいると思います。そういう方はそれでよいと思います。前にも書きましたが、基本的には、人にはそれぞれ事情があるので、仕方のないことでしょう。俺自身いつも後者ですが、今回だけは遠藤さんを見舞う意味で時間があれば、なるべく来ようと思います。はやく元気になってくださいね、遠藤さん。

(1991.3.24)
 遠藤さんはすごく前向きで、いつも笑顔が素敵だなって思います。
 でも、今日、久しぶりにお会いして、時々、空気を見つめていました。
 ボーッとした目で空を見ているのではなく、真剣な目で見つめていました。
 体の調子がとても悪そうだった。
 体調がよくない時は、気分もよくないですよね。
 「ありのままのいのちを肯定して生きる」って、そんな時程、本当に難しいです。
 ありのままの自分の姿と戦いながら、肯定していく方向へ向けよう向けようとなさっているのか、仏様のような人なのか、遠藤さんは苦しい時にも、外へ当たったことを一度も見たことがないです。
 でも、やっぱり、どんな人でも体調が悪い時は、気持ちも沈みがちになるし、表情も疲れた顔になると思う。遠藤さんは外(口や顔)には、あまり出さないけれど、背中や肩や首すじ、頭にたくさんしょって固まっていると思います。

(1991.3.31 L)
 朝、おじやました時、遠藤さんは薬のせいでとっても眠そうでした。一日中眠くてしょうがないって言ってました。遠藤さんみたいにやりたいことがいっばいあったり、いろんな事を考えたり、好奇心いっばいの人がこうしているのは、とってもつらいだろうなァと思った。遠ちゃんスマイルは、どーしてこんなに優しいだろう。理想の人だな、遠藤さんは。私は遠藤さんみたいになろう。心の広い遠藤さんになろうと思っても、ここっていう時に、かなしいかなで自分がでちゃうんですよね。どーしようもないわたし。
 本棚を整理した時、親驚の本が43冊もあった。(押入にもっとあるという)遠藤さんもイエス・キリストや親驚、ビートルズ、モーツアルト・・・理想の人に憧れて、その人の事をもっと深く知りたい、近づきたい、知りたい、近づきたい、もっともっと。・・・! 毎日を求めていって。そうして、かけがえのない今の遠藤さん自身になったわけだ。遠藤さんの成長はずーとずーと続くんだなァと思う。わかったつもりになってしまわない事と、すぐに答えを決めてしまわない事、命を裸にした時、人はまわりがよく見えて、吸収止揚とするのかもしれないなァ。そういえば、赤ちゃんとか知恵遅れの人たちとかって、周りのものにとらわれず、ありのまま命をむきだしにしている人たちって、可能性のかたまりって感じがするもんなァ。私の周りには理想の人がたくさんいて幸福だな。遠藤さんは一生、知り合いたい人です。

(1991.4.18 Y)
 介助に来てるみんな。ボランティアって日本語にすると、「自発的」という意を含むそうですね。とてもすてきな言葉ですね。自ら活動を起こす(発する)ってだれにも強制されることなく、活動するってすごーく美しいですよね。遠藤さんちに介助に来て、得ることはたくさんあるし、少しの『キンチョー』を有効に使って、自らを省みたり、また「ものの考え方によって、心がこんなに軽やかになるんだな」って少しでも、心が楽になる考え方があったら、その考え方を真似して、自分も身体は疲れてるから、せめて精神だけでも楽にしようって心がけるだけでも、ずいぶん疲労は違うはず。
 命ある限り、生きなくちゃ。せいいっばい、裸の心で。生ある限り生きなくちゃ。Yとしてはそう思う。そして明日は我が身のこの世の中、自分でよければ、これからも身体の介助をさせてください。そして、心の介助を滋さん、これからもお願いします。身体の介助以上に、Yのひねくれた心の介助、疲れるし、嫌だな、もう来て欲しくないなんて、心の中では叫んでいても、その叫びはYまで届かない。だから、Yも何も隠さない、裸の心で接します。滋さん、どうかあなたも裸の心で応えてください。命ある限り、生きなくちゃ。生ある限り、裸の心でせいいっばい、生きなくちゃ。裸の心で。
 もっと仲間を信用して、もっと自分を信用して『自分で自分を信用する』それが自信につながる。介助でひとりで何かできたら、それが自信になる。Yは初めて、ひとりで泊まった時、とっても不安だったけど、自分を信じたよ。それ以上に仲間を信じたよ。激励のTELをね。ひとことがすごくうれしかった。

(1991.9.5 I)
 今は、ハイドンの交響曲「ロンドン」「軍隊」を聞かせていただいて、プラス、クラシックの勉強会を開いていただいて、「小学校の時にならったでしょう」とか、遠藤さんに言われてしまってます。
 今日は残暑という言葉がピッタリあてはまる日で、部屋で三人でうだってます。
 私は卒論を遠藤さん宅で、少しでもまとめようとしたのですが、やはり遠藤さんとの会話で、今日一日が終わるだろう。その方がずーと楽しい。私は卒論には三行しか、手をつけていない・・・。集中力に欠けるんですよね・・・。でも、遠藤さん宅に来れたおかげで、卒論の材料の一部が読めました。
 遠藤さんには、クラシックの勉強会と、人生相談にものってもらって、私ったら、ぽんと、よくばりなやつです。

(1991.9.7 Y)
 遠藤さんちの屋上からの眺めがとても好きです。この辺りの景色には、色々な面々があっていいよね。空を見てると、あきないよね。本当に。何か悩みを持った時、フッと何気なく屋上から眺めた夜空、そこでおもいっきり歌を歌って、金曜の夜も自然に足を運んで朝4時頃からずっと屋上にいました。ひとりごと言えるし、歌えるし、考えられるし、特にYには落ち着ける場所のひとつです。

(1991.9.19 I.K)
 遠藤さん、一人で屈伸運動ができなくなってる。一人で歩くことも、一人の介助者ではできなかった。というわけで、不本意ながら、お母様の力を借りてしまった。昨日は特に疲れていたということだが、この先心配である。脚力が弱くなってきたのだろうか。それに運動を続けてよいものか悪いものか本人も分からないという。薬のせいかも分からない。
 お母様の負担を軽くしたいというものの、一人の介助者じゃ、まさか、もう手に負えないのだろうか。まさか・・・

(1991.12.18 I)
 あのさー、遠藤さんってさー、ブルーハーツのマーシーに似てない?うちの妹も似てるって言ってたー。すごい似てると思うんだけどなー。マーシーってかっこよいよね。

(1991.12.21 F)
 自分のアパートに一人でいると「どうしようもない」ような日がある。
 今日もそうで、遠藤さん家に寄ったのですが、何か淋しいものがある。
 遠藤さんの顔! なんか苦しそうだった。首の方をもんでほしいと言うので、そのとおりにした。
 みんな長い人生をよいこら、よいこらとのぽっていくのでしょうね。