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介助者ノートより

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(1994.1.1 I)
 あけましておめでとうございます。英語でA HAPPY NEW YEAR!! ネパール語では、オブラクツエエマア!!
 早いものでもう1994年になっちゃいました。今年はバンドで春あたりちっちゃいライブをやりたい。今年も自慢の金髪を守り抜いて伸ばす。今年はダチと同人誌を作る。今年は自分の意見とか言葉をしっかり持ちたい・・・。
 まーいーや、「何年になったからってやらなきゃいけない事」なんてないんだし。西暦何年になったって、平成何年になったって、人として「やらなきゃいけない事」は、いつでもやらなきゃいけないんだもんね。
 そうね、1993年は仕事とか他のボランティア活動ふたつぐらいかかえて、けっこー楽しくて、充実してた。本もたくさん読んだし、これからは音楽とか福祉、精神保健の勉強もしたいなあ。
 去年はいまひとつ健康面とそれで仕事面で余裕がなかったな。なんか、自分のことで精一杯って感じで。もっと他のことにも気を配れるよーになりたい。

(1994.2.12 Y)
 外はすごい大雪です。。久しぶりに遠藤さんの所へ来ました。最近、来るのがおっくうになっていたけれど、来て、このノート読んでいて、すっごく楽しい気分になってしまった。これからもちょくちょく遊びにくるか。

(1994.2.13 M)
 今日は快晴。でも、積もり積もった雪はなかなか溶けそうにありません。
 昼に遠藤さんととっても楽しい芝居を見に行ってきました。Flyingびーなつという、米山ゆきこさんの劇団の上演した「ふみんのみなさま」というタイトルの劇で、とっても愉快でした。舞台の上で羊の数を何度も数えてくれるもんで、ついつい眠くなってしまったりして・・・遠藤さんもステージ前にお布団を敷いて見れたのでよかった!
 帰りにはHANDSの見上さんが車で迎えに来てくれたので大助かり。感謝!
 Flyingびーなつの入たちも二階まで、狭い階段をみんなで遠藤さんを抱えて移動してくれたし、とてもうれしい事いっばいの日曜日でした。

(1994.2.14 I.K)
 大学で障害者福祉を勉強していながら、私自身てんかんという決して軽くはない障害をかかえてしまって、長々といた大学を今年でやめざるをえなくなってしまいました。
 ここで皆さんにお願いしたい事があります。何も難しいことではありません。一生、障害者とつきあっていける人になって欲しいのです。こういう事を考えたことはありませんか。例えばです。電車やバスに乗ったとします。あなたはお年寄りや障害者に席をゆずれますか。それとも良心はあっても席をゆずれないのですか。いや、全くゆずる気はありませんか。どれでしょうか。私が思うに、席をゆずってあげない限り、良心があったとしても、お年寄りや障害者のために、何もしない事と変わらないと思います。だって、席をゆずってもらえなければ、お年寄りや障害者は何もしてもらえてないのと同じですから、つまりですね、心で思うだけでなく、何か行動をおこさない限り、障害者のために何かをした事にならないのです。確かに、今あなた方は介助というかたちで、一人の障害者に関わっています。でも、それを過去の経験だとか、単なる思い出などにして欲しくないのです。
 今、私には障害を持った素晴らしい友人がたくさんいます。何を隠そう、やっとできた彼女も弱視という障害者です。お前は障害者福祉を勉強していたからだろう。そう言われればそれもあるかもしれません。しかし、私と同じように障害者福祉を学んでいながら、今は全く障害者と関わりを持たない者も少なからずいるのです。ここで、介助というかたちで一人の障害者と関わりを持てたあなた方に、そういう人間にはなって欲しくないのです。遊びに行く時、相手に遠慮する人がいますか。そんな気軽さで、障害者とつきあっていける人になって欲しいのです。何らかのかたちで、ここから去っていくとしても、頭の中から障害者が全くいなくなってしまうような悲しい人間には、なってほしくないのです。

(1994.3.3 F)
 ひさしぶりに介助に入りました。
 今、遠藤さんに夕飯を食べさせている所です。
 ところで、春ですネ!春だからこそ、余計に物事を明るく考えたくなります。人生は暗く生きるより、たまには鏡にほほえんで、人には愛を与え、明るく生きていきたいと自分にも常に励ましています。
 いくら自分が傷つきやすいからといって、傷つけあいたくない。いくら自分がプライドが高いからといって争いたくない。もっともっと深い所で感じれるものってあるよネ!
 人から与えられるより与えられる人間に計されるより、許す人となりたい。
 ・・・なんて、かっこいいこと書いたけどネ!
 人の傷を分かれる人となり、人の立場になって考えることは、中学の時より牧師の奥さんに言われたんだ。自分、一人のために、世の中は動いているわけではないのだから、支えあい思いやりの心を与えあい、心からの「笑い」を大切にしたい。なぜなら、心からの「笑い」は、美しいからです。できることなら、笑って毎日を過ごしたいな。「ゲラゲラ」と「へへへへへ」と。
 なんか、とりとめのないこと書いたけど、「平和」に生きましょうよ。

(1994.4.22 I.M)
 はじめまして。昨日の夕方、初めて来て、介助について話を聞いていて、そのまま泊まりこんでしまいました。あと二時間ぐらい寝てから、大学へ行かなきゃ!! ここに来て、今まで私の生きてきた世界とは違う世界に出会え、マンションのほんの一角でも、私にとって未知なる無限の世界であり、希望であるように思える。この空間に居ることがすごく嬉しい。またすぐ来ます。早く介助の皆さんと会えることを願って。

(1994.4.26 O.R)
 今、遠藤さんはお電話中です。今日、私が来てから3件目です。おかげで、お食事が何度も中断。私が帰るまでには終わんないだろうなあ。あと一時間位しか居れないし。 今日、介助にあたるのは初めてで、食べさせ方がなんとも下手っぴーです。さっきも耳にお茶をたらしてしまったりして。ゴメンナサイ。次回はもっと上手に食べさせてさしあげますわ。

(1994.5.23 N.Y)
 今、Wさんが来ていて、遠藤さんの歯をみがいています。Wさんはとても面白い人です。ものすごく面白い人です。遠藤さんもかなり面白い人なので、私はここにいて、今、とってもいい気分です。
 思いきってTELしてみてよかった。
 まだ、いっばい書きたいことはありますが、今10時1分で、はやくおうちに帰らないと、両親に怒られてしまうので、今日はこれで終わりです。
 とにかく、私が今、幸せな気分でいることを誰かに伝えたくて。

(994.6.26 I.M)
 昨晩、何人かの介助の方に電話をし、介助に入っていただけないか、頼んだところ、「テストが・・・実習が・・・。」という・事で、みんな断わられてしまった。その時の会話を横で聞きながら、昔、母親が「ボランティアというのは、ゆとりをわけてあげるものではない。募金だってお金が余っているからするのではなく、自分の大切なお金を心として渡すのだ」と言っていたのを思いだした。ここの介助だって、時間が余っているから来るのではなく、遠藤さんと自分のために時間を作って来なくてはならないのだと改めて感じている。

(1994.7.3 S)
 今日、遠藤さんに言われたコト。
 『遠藤さんと、介助者の介助人探しの認識の差について』具体的にいえば、新しい介助者からのTELのときには、きちんと連絡先をきいてくださいってコトなんだけど・・・。
 介助人集めの切実さ!! っていうようなものが、遠藤さん自身と私たち、介助者の間に大きな差があるって・・・。何だか一般的に人に対する関心みたいなものが希薄になってきているのでは……?ですって。
 介助者は遠藤さんの生活のひいては命の基本!! ですよね。そのことについて私たち介助者はもっと深く考えていく必要があるな、と思いました。

(1994.7.23 K.J)
 なんだか、なつかしい夜だった。初めて夜の介助に入った。私はいっつも朝ばっかりだったから、夜に会う遠藤さんは、どこか違う人のようだった。これといって話し込んだわけじゃないけど、朝4時になった。朝4時という時間が好きだ。遠藤さんちのべランダからみる朝4時は、同じ空間の中に月と朝焼けが、存在していた。空気がまだきれいだから、空とビルの境目がくっきりしていて、ずっとむこうまで見ようとしたら、ベランダから落ちそうになった。
 散歩が大好きでよく一人でフラフラしてる。わりとコースは決まってて、いろんな時間帯ためしたけど、やっぱりべストは朝4時。4時から4時半までの30分間は、電車もまだ走ってなくて、空気とか、鳥のチュンチュンとか、全部一人じめできて、ぜいたくな気分。30分でみるみるうちに夜が明けて、あー今日も一日が動き出すって、そんな気分になる。とにかく、この30分が、ぜいたくなのさ。
 おしゃべりとか、ホントはそんなに好きじゃなくって、でも、ここにいると、心が落ち着く感じがする。夜なのに、不思議な安心感でこれって、あれ、おばあちゃんちに、泊まりにいったのと同じ気分。なつかしい夜だった。
 ずっと、このノートに、何か書いてみたくって、でも、朝だったから、なんとなく書くひまがなかった。今日はじめて、書くのですが、もう眠くなっちゃったんで、おやすみなさい。

(1994.7.28 S)
 遠藤さん、ごめんなさい。睡魔に勝てなーい。今日、O.Rさんが遠藤さんの「まつげ」がカールしていて、マスカラつけたいってよ、と遠藤さんに教えたら、大爆笑になりましたよ。でも、確かに遠藤さんの「ビューラー不要まつげ」は、うちゃましいわ。

(1994.8.2)
 暑ーい! と思い、遠藤家へたどり着くと、なんとそこには、クーラーと扇風機が涼しげに動いてた。これこそ我が求めてたものは、と思い涙しました(うそです)。とにかく、暑い所よりは、寒い所の方がいい。沖縄育ちの僕がいうのもなんなんですが、変かなー。そうです。僕は変な奴です。どう変なのかは、わかりませんが、とにかく変な人なのです。まっ、それを言ってたら、終わらないので、ここで終わりますが、その前にSさんと今度会うまでは、体重が変わってないことを祈ってます。ちなみに僕は夏バテで4kgやせてしまいました。

(1994.8.5 I)
 一人で介助したのは初めてなので、遠藤さんにご迷惑をおかけしたことと思いますが、遠藤さんはやさしく、私にいろいろなことを教えて下さいました。少し〈ほんの少し〉だけ自信がついたように思います。

(1994.8.6)
 やあ、今日は突然に来ました。11日に介助に入る予定だ。けれど、今日は遊びです。(イヤー、遊びと介助の境目が普段からアバウトな私ですが)
 時々、人恋しくなると、遠藤さんの所に来たくなります。遠藤さんの都合も考えずに、「これから行くから」の電話一本で来ちゃう勝手な僕だけれど。そんな奴でもいつでも受け入れてくれるSさんが僕は好きです。
 僕が遠藤さんを介助しているというより、遠藤さんから色々なことを教わったり、心のリハビリをしてもらっているといった方がいいのかもしれない。

(1994.8.6)
 今日は生まれて初めてのボランティアにもかかわらず、遠藤さんの夜の付き添いをしています。少し不安だ。
 さて、どうしてわたしは、ボランティアに参加しようと思ったのか。確かに母がホームヘルパーをしていることが何%かのきっかけになってはいるだろう。しかし、ボランティアをすることで、何かを学べたら、と思うのだ。
 今、学校教育の中にも、ボランティアを取り入れる動きが見られます。そうすることが教育的にも意義があるのが、自分でも確かめたい。何かを学べたら、と思い、参加しました。
 今、感じることは、遠藤さんの生きる貪欲さです。五体満足なはずの人が絶望して生きる気力を失ってしまっている。実はそれは時々のわたし自身のことなのだが、そのことは、ちょっとした感動だった。
 無駄な時間を過ごすつもりはない。何かを学びたい。

(1994.9.13 O.R)
 人に「ありがとう」と言われるのは、本当にとても嬉しい。私の書いたことや言ったこと、したことに対しての最高のお言葉だと思っています。何かささいなことでも、私がやったことに喜んでくれる人が一人でもいれば、すごくうれしい。
 「ありがとう」&「Thank you」お世辞でもお世辞でなくても、やっぱりうれしい。へへ。自分が本当に言いたいことを、うまくまとめられない私が、ここで言いたかったのは、Oさんの一言がとてもうれしかったということなのです。元気でて、本当によかった。
 今日は寒い。夏はほんとに終わってしまったようですね。我等が滋氏は、「ふー 生きかえったぜえ!」みたいな生き生きとした笑顔でおられました。よかったよかった。

(1994.9.16 I.M)
 ところで皆さん、今あなたのやりたいことって何ですか? あなたが心から満足でき、生きがいを感じ、一生つらぬいて追い求めていけるもの。私はずっと探しているのに、いまだに分からないのです。つまり、自分がどう生きて行けば満足な人生がおくれるのか。いったい自分は何なら熱中できるのか。「今はそんなこと考える必要ないのでは」と言われ、確かに、考え込んだところで見つかるわけでもないとは思うけど、何かの目標に向かって生きているという実感がなくては、今、何故生きているのか疑問に思い、また、これではいけないと不安になるのです。皆さんは目標がありますか?

(1994 O.R)
 「心から満足でき、生きがいを感じ、一生をつらぬいて追い求めていけるもの」は難しい。すぐに見つかるものではないと思います。でも、だからこそ、それに気がついた時、(例えば心安らかに人生を終える時、今までの人生が走馬燈のようにめぐるというじゃない? そういう時)に、「ああ、自分の人生はすばらしかった」と満足できるんじやないかと思う。もちろん、そう思って死ねる人はすごーく少ないと思うけど、自分もそうでありたいと思う。たとえ、明日死ぬとしても。だから、生きてる今は、そういう「自分が追い求めるもの」みたいなものを見つけようとガムシャラになるのではなく、なるべく自分の感情に正直に、今を一生懸命positiveに、しかし、他人に流されることなく過ごしていれば、いつか気づくんじゃないかな。だから、I.Mさんはまだ若いし、(私もだけど)いきなり大きな何かを見つけようとするのではなく、段階をふんで「今」を大切に生きるべきだと思う。今、生きてるいろんな事も含めて、熱中できる何かをゆっくりと見つけていけばいいと思う。きっと見つけられると思う。
 「何故生きているのか」なんて、そんな簡単に分かるもんじゃないから、今の段階で不安になる必要はナイっ! その答えが見つかる時は、人によって違うとも思うし、I.Mさんは、I.Mさんのペースで、いろんなこと考えながら、のびのびと生きて、いろんなことに感動したり、考え方も変わったり、そして最終的にいつになるかわからなけど、「生きがい(自分が本当に求めるもの)」が見つかるといいなと思います。
 なんて、えらそうなコトを言ってる私も、「自分の本当にやりたいこと」探しつつ、いろんなことを考えている最中です。そして、ココ(遠藤さん家)は、「私」というものを考えるひとつのきっかけになりました。今のところ「positive」というのが、私の身近な目標であり、いつもpositiveであるために、日頃がんばっておるのですよ。ハッハッハ。
 誤解がないように書いておきますが、私は「今はそんなこと考える必要ないのでは」とは思いません。それから、「今さえ良ければいい」と考えているわけではありません。「結論をあせらず、ゆっくり考えよう」というのが、私の考えです。

(1994.10.25 O.R)
 今日は寒かった。ついこの間までは「暑いよー」と言っていたのに。遠藤さんいわく「夏からいきなり冬になった」。まさに、そんな感じですね。今日の遠藤さんは、だいぶ具合が悪いらしく、とても苦しそうです。がんばって、と思いつつも、何もお手伝いできることがなく、いつものように夕飯を口に運ぶだけのつかえない私。こういう時って、どうしたらいいんだろう。遠藤さんは、しゃべることすら何やらつらそうです。私はほんの少しでも、彼の力になれているのだろうか。
 ふと気がつくと、私もここへ来るようになって、はや半年です。私にとって、いろんなことを知った半年間だったなァ。友達もふえて、今までとは違う視野がひらけた(なんてエラそうなもんでもないけど)。もうすぐ、20歳になってしまいます。ティーンエィジャーともおさらばだ。さよなら私の10代。いろいろあったが、けっこう楽しかったよ。ま、これからは、法律的にも大人(成人)な訳だし。―――とはいえ、まだあと二週間以上もあるんだよね。気が早い? でも、ハタチを迎えるにあたっての心がまえというか、私の中の決意として、まず、「自分を磨く」、そして、ゆくゆくは、私の今のところの夢であり目標である「漂とした女」になる。この「リン」ってゆーのがムツカシイ。イメージとしては、大人で、テキパキしてて、インディペンデントで、思いやりもあって、何よりりりしい。でも、それだけでなく、何かを持ってて、ポリシーもプライドもあって。うーん、言葉にするのが、すごーいむずかしい、けど、とてもとても憧れなんだよね。まさに「漂」というのは「漂」でしかない。そーいう女性になりたいのだけれど、今の私は、ヘラヘラしてて、バカで、ぐーたらしてて、まだまだ半人前さ。という訳で、まず、自分を磨こう。内面も外面も。

(1994.10.26 I.M)
 月曜日の晩、学校である人に色々言われた。
 「自分の事をかわいそがりすぎている」「誰にでもいい顔して、全ての人に好かれようとしている」「無能だ、使えない」etc……
 それを聞きながら、泣いてはいたが、くやしくてたまらなかった。絶対に見返してやると思った。
 その事をO.Rさんに少し言うと、彼女はこう言ってくれた。
 「怒ってくれるということは、有難いことなんだよ。すごいパワーのいることだし、怒ってる本人も嫌だし」
 これを聞いた時、あんなにくやしかったはずなのに、言ってもらえた事に対して、感謝の思いが湧いてきた。O.Rさん、ありがとう。

(1994.11.9 I.M)
 遠藤さんに私の近況を話すと、「それでいいんじゃない」と認めてくれた。嬉しかった。遠藤さんと話してると、自分がどれだけ肩に力入れて生きているのかよくわかる。

(1994.11.16 I.M)
 遠藤さんへ
 あなたが障害をもってこの世に
 この時代に生まれたことを 感謝します。
 障害をもっていることで、
 このマンションのこのべッドにいつも横になっている。
 だから 私は毎週会いにこれる。
 もし あなたが健常者だったら
 出会うことがなかった。
 私は相談する人もなく
 この広い東京で、一人悩み続けていたのかもしれない。
 あなたが 言語障害をもっててよかったと思う。
 ありがたい 一言一言を 聞きもらさまいと
 耳を傾けることができるから
 あなたが生まれてきてよかった。

(1994.11.23 I.M)
 11月16日付の私の文章について、遠藤さんから質問されました。
 「もしI.Mちゃんが障害者だったらどうする?」
 私はこの4月から遠藤さんの所へ通うようになって、本当の意味で障害者と接することになりました。
 もともと、ここへ来ようと考えたのは、上京してすぐで、さみしくて、一人で生きていくのが怖くて、不安だらけだったけど、障害者に接していることにより、私なんかより、よっぽどつらい人が、私なんかより、よっぽど一生懸命生きている姿が見れて、弱い自分に少しでも、ムチが打てるのではないかと考え、いうなれば、自分の心の介護をしてもらうため、ここに通うようになったのです。
 当時、この部屋で「障害」という言葉は絶対に使ってはいけないと思っていました。それは遠藤さんが障害者として生まれてきたことは不幸であり、なるべくそのことに触れるべきではないと考えていたからです。遠藤さんが健常者だったら、普通に歩けて、普通に話せたら、どんなに楽しい人生が送れたのだろうと考えていました。その頃の私はこのようなことを悪気なしに、むしろ優しさだと勘違いして思っていたのですから、今考えると、随分失礼だと思います。
 遠藤さんは、現実として障害を持つて生まれてきました。確かに幸せなことではなかったはずです。しかし彼はそれを現実のこととしてとらえ、私のように目をそらしませんでした。そして、その中からどう生きるか見いだしたのです。
 私はこのような「遠藤さんが障害者でよかったね」みたいに、とても軽く物事を考えているようだけれども、私が遠藤さんに直接、障害者だと言えるようになるにあたって、かなりの時間がかかったのです。
 私はこの19年間、特に大学に入学してからの8ヶ月、自分の置かれている環境に満足していません。そのことについて、いつも遠藤さんにグチをこぽしています。
 昨晩もそのことで遠藤さんから、お話をしていただきました。そして最後に「これだけ伝われば充分」とおっしやった時、何故か、遠藤さんが遠くへ行ってしまい、もう会えなくなるのではないかと思って、少しこわかったです。あなたにはいつもここに居てほしい。いつも私のくだらないグチを聞いててほしい。そして、いつものように「いのちの肯定」を導いてほしい。
 私はこの先どういう将来を歩むのか分かりませんが、せめて今、遠藤さんの横に居られる間は、共に生き、共に楽しみたいと思っています。

(1994.12.22 Y)
 いつまでもウジウジ悩んでいる位なら、動いてしまった方がいいんだろうね。何か少しでも興味があったら、それに向かって行けばいい。人に伝えたい気持ちがあれば伝えればいい。そういうことなんだ。
 今まではね、他人から好かれたいがために無理をしてウケをねらったり、相手の言動をネチネチ考えて、相手が自分のことを好きじゃないか、嫌いじゃないかって気にしてた。気にしすぎて、妙に緊張したり、しつこくなったり・・・ほんっとに自意識過剰で素直に「あるがまま」の自分をだせないところがあったんだね。
 今はもっと自分の「あるがまま」を出していこう。自分らしさ。他人とは違う自分の生き方を探そう。もっといろんな世界を知りたい。いろんな人と話がしたい。他の人の生き方に惑わされ、自分が流されてしまってはいやだけれど、自分なりの世界を作っていくためにも会いたい。受け入れたい。
 ようやっと気づいた。今まで友達が欲しいと望みながら、狭い見方でしか人と関われなかったことに。いろいろな人とでも遠慮することなく「あるがまま」の自分を出していきたい。
 もっと強くならなきゃ。またちょっとしたささいな事で失敗しても、ウツウツと停滞してしまわないように。がんばろう。