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介助者ノートより

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(1988.1.7 M)
 僕の今年の抱負の一つに「ありのままの自分をだす」というのがある。自分というものを飾らずにそのままだすことは、簡単なようで難しい。人間は誰だって、よく見られたいと思う。だから本当の自分を隠して、その偽の自分を表面に出してしまう。人によっては本当の自分とは何なのかということさえわかっていない人も多い(自分もそうかもしれない)。僕は去年よく遠藤さんに「M、おまえ本当の自分を表現していないだろう」と言われた。それを言われて、そうかなと最初は軽く考えていたが、後々になって、なるほどと思った。遠藤さんに話すときでも、これ話すと気を悪くするのと違うかとか、ここまで言ってもいいものかなと考えて話していた。でも、それでは、遠藤さんの主義である「ありのままのいのち」に反することになるし、それに僕と遠藤さんの関係においても、被介助者と介護人とに関係に終わってしまうのではないかと思う。(僕自身、これ以上の関係を望んでいるわけで)まあ、こんな自分ですが、今年もよろしくお願いします。

(1988.1.11 N)
 私、今月、20歳になります。ということで気持ちを新たにするために、髪を切りました。こんなに短くしたのは中学生の時以来。今までは生きてきた主体は「私」だけれど、私自身はあまり生きているという自覚はもてていなかった。今後は、生きていく主体という自覚をもって生活していきたいと思いつつ、でも、今までの20年間があって、今の私があるわけだから、どこかでやっばり過去はひきずるもんですね。いろいろ書きたいことがあるけど、まとまらない。
 そういえば先日、歌手の尾崎豊が覚醒剤を使っていたということで逮捕されましたね。彼が覚醒剤を使ったからって、それ自体は本人の問題であって、「ばかねー」とか「もったいない」とかまるっきりあかの他人である私らがいえることではないし、私も言わない。ただ、彼は私の中学の時の先輩だった人。すごく目立った人だし、。女の子にはもてたし、よくゲタ箱のところでギター片手に歌を歌っていたのを見かけたことがある。そんな印象があるから、今度の事件は変な感慨をもってうけとめてしまいました。
 時間は過ぎゆく、人間はかわる(良い方とか悪い方とかそんな単純な意味ではない。念のため、それらをすべて統括した意味)、生きているものは死ぬ・・・。この前、妹と、お互いどちらかが先に死んでも、それを一時期悲しむのはいいけど、いつまでもひきずるのはやめようね、と話し合いました。

(1988.2.25 H)
 今日は雪でした。せっかく先生が学校へ行こうと思っていたのにうまくいかないものですね。それで先生自身、気がついたのですけど、雨の日に電動車イスで外出するときに履く靴下がないのです。ふつうの靴下だと雨にぬれてしまうし、冬は寒いからしもやけになっちゃうし、今日はとりあえず二人で頭をひねって、ビニール袋を3枚重ねて間に合わせたのだけど、これからはもっといい方法を考えないと困るんじゃないかしら。ビニールの靴下だと足がムレてしまいそうだし。だれかいい考えがあったら出してください。

(1988.4.14 S.U)
 ふらっとここへやってきたら、子供が泣いていた。おばさんがいた。ヘルパーかと思ったら、なんとビラを見て来てくれたそうです。Iさんといって高校の先生だそうです。梅ヶ丘南口に住んでいらっしゃるそうです。3歳のさとり君は「足をくすぐってくれ」とうるさかった。あんまりうるさいからくすぐってやったら、感じいっていたようだ。
 初めてここへ来た人とか、ビラをもらって興味をもっても、いざ足を運ぶとなると・・・、とか電話してもうまく話が通じなかったりして、せっかくビラをまいて、ほんのたまに反応があっても、それをうまくいかせてないかもしれない。それで社大でも何か一回イベントやって、もう一度印象づけようかなあと、介助マニュアルみたいなもの(本当はマニュアルなんてないけど)介助で実際にはどんなことをやるのか、わりと具体的なことをパンフにしたら、初めての人も安心なんじゃないかな。
 Iさんはさすがお母さんだけあって、台所や洗濯やそうじのことなどよく気がつく人です。

(1988.4.21 I)
 このノートに初めて書きます。
 本日で二回目の手伝いになります。何をやればよいのかわからず、滋さんに言われるままに働いています。
 私としては、ここでの自分の仕事として、台所回りの片付けを中心にやっていこうと思います。週に一度、ここへ勉強に通わせてもらいます。授業料のかわりに働いて、労働力として払っていきます。
 仕事の合間に滋さんや憲子さんの話をきき、一つ一つが私の大切なものになっていきます。長いこと(八年ほど)梅ヶ丘に住んでいて、遠藤さんのことを知らずにいました。今回、チラシでお二人と知り合ったことは、私にとって素晴らしいことです。生活の中に、仕事の中に生かせるように努力したいと思います。

(1988.5.3 O)
 今日は本当は姉貴のところに行く予定だったのだけど、諸事情のため一日遠藤さんの家でお世話になることになった。考えてみると4月10日に遠藤家におじゃましてから、映画会などいろいろあって、何度もここに来ているのに介助らしい介助をしたことがなかった。来れば必ず誰かがいたから。それで今日、Tさんがディズニーランドに行ってから、一人になって、それから初めて介助をした。
 ただ今10時29分。本当につかれた。自分よりも身長も高く、体重も重い人を動かすってのは、考えていたよりもずっとずっとつかれるー。
 それで、高野悦子の『二十歳の原点』を読んで、はっきり言って気分がLOW、というより、その世界につかりきってしまった。まるで大宰とか村上春樹を読んだあとみたい。
 なーんとなく気分がLOWな理由のひとつは、私の耳である。なーんでまたこうも聞こえないんだろー。先生の言うことが聞き取れなくて何回も聞き返しているうちに、不当に自分が情けなくなってしまう。ピストルのせいにはしたくないけど、目も悪く、耳も悪いなんて最低。
 それから、もうひとつの理由は母親との電話である。母いわく「ボランティアばかりして勉強してないんじゃないか」確かに高校の時のようには勉強してない。でも、机についていることだけが勉強じゃないでしょー。はっきり言って、私は高校の時は先生に気にいられたいい子だった。考えてみたら部活と学校で縛られているような生活だった。勉強ができても、世の中のこと何にも知らない人間になってしまった。だから、自分から知るようにしないと、本当に頭でっかちな人間になると思って、私は介助をしようと決心した。もっと知らないことを知りたいと思うのに、釘をさされるみたいに忠告をうけるとなんだか落ち込む。こうなったら59単位を全部とってやる・・・。と大きなことは言えないんだ、これがまた。でも55単位は絶対にとってみせます。とれなかった時は笑ってやってくださいな。なんだか言いているうちに、闘志がわいてきた感じがするのは気のせいでしょうか。
 By the way、今日、遠藤さんが自動の車イスの練習をしたので、私はそれについていった。お店で一緒に買物をして、なんとか公園に行った。私はうまく話ができる人間ではないのだけど、私は私なりに話した。先生もじーっと聞いていてくれて、うれしかった。もっと早く自分が思っていることをうまく言えるようになりたい。
 今日のオムレツは失敗である。憲子さんも先生もおいしいと言ってくれたけど、あれは失敗だあー。ジャガイモばかり気にしていたから、人参のことがおろそかになってしまった。あんなにげしげしした人参を人様に食べさせてしまった。こんな失敗はかつてない。甲し訳ないの一言につきる。それからこーゆー失敗をしたことについて、ショックを受けている。やっぱり料理はしないと腕がおちる。ま、そんなにうまくないから、たいした腕ではないのだけど・・・。
 それから、みそ汁の味が少しうすいという指摘を受けました。だけど、私はみそは多めに入れたし、自分で飲んでみて、少し辛かった。やっぱり場所によって、味つけはちがうもんだ。ちなみに私は寮の食事の味つけは好きなのだけど、みそ汁だけはいただけません。辛くて。だから濃い味のみそ汁が飲みたい人は、私は避けた方がよろしいかと思います。

(1988.5.10 遠藤)
 ぼくのマスターベーションの「介助」、してくれるひと、いませんか?
 もしいたら、ぜひ、お願いします。

(1988.5.10 S.U)
 俺はしばらくエンリョしとくぜ。

(1988.5.10 K)
 私も永遠に遠慮させてください。

(1988.5.11 Y)
 なぜ、遠藤さんがこれを書いたか。このカギかっこつきの「介助」。これも「介助」?かいじょ?「かいじょ」なのかなあ。
 で、この中には、氏の欲求に応えるよーな、場所に、車イスを押してくってことも入るのかな。それなら、できるなあ。でも、"なぜ”自分じゃできないのか、そこですっ!
 なんで、氏の食欲の介助ができて、性欲の介助ができないかっていうことなんでありますが・・・。
 う〜ん、つきつめようと思ったら、結局、逃げてしまった。くるりくるり、はぐらかしつづけれるもんじゃないだろうに。

(1988.5.13 S.U)
 遠藤さんのマスターベーションについてですが、これはやっばり遠藤さんが恋人をつくって、その恋人とどうこうすればいいんじゃないかなあ。たしかにYちゃんの言うとおり、食欲も性欲も同じ欲求ではあるけれど、だけど、性欲を満たすことは、すごく個人的なことではないかと思うのです。食欲を満たすこととは、いっしょには考えられないと思う。
 それから、遠藤さんはカクジツに俺をしばる。俺は誰にもしばられたくないのに、遠藤さんはその過程で絶対に俺をしばる。
 時々、遠藤さんの話はおしつけではないかと思うことがある。遠藤さんはおしつけようとしなくても、遠藤さんは妥協しないから、結局おしつけになるような気がする。

(1988.5.30 S)
 遅寝遅起の生活をしていた私が、6時に起きるのは、とてもつらかったけど、なんとか8時15分に間に合いました。
 光明に着いて、私がスリッパに履き変えているうちに、先生はどこかに消えてしまった。私はあわててしまった。生徒を迎えに行ったのか・・・。職員室に行ったのか・・・(きちんと確認しておかなかった私が悪いんだけど)けれども、聡明な私は、生徒の声はしないから、職員室だろうと思い、先生たちが行く方に行ったら、職員室に着き、先生はちゃっかりそこにいた。
 Yさんが先生といっても、いろいろいると書いていたけど、本当にそうだと思った。若い先生から、年輩の人たちまで。遅刻しそうで走ってくる若い先生なんて、私たちとほとんど変わらないんだろう。外にあぶれている人の中に、教頭先生の連絡のとき、ずっと、外の学級新聞をもくもくと読んでいる若い男の先生がいて、面白かった。そうかと思えば、おっかなそうなおじさんみたいな人もいたし。若い女の先生なんか、ほんとに同じ位だ。きっといろいろなことを迷いなら、一生懸命やっているんだろうなーと思いつつ、だからこそ、遠藤先生みたいな人が学校に必要だと思ったりもした。
 先生と別れて、暇だと思ったので、家にこのノートをとりに行き(えらい私は朝の洗い物をすませ)また戻った。

(1988.7.1 M)
 今晩、遠藤さんが学級新聞を早く仕上げたいというので、ちょっと遅くまで、ワープロ打っている。少し疲れたのか、僕に「代わりに打ってくれ」と言われて少し打ったが、ワープロは一、二度、前に触っただけで、少ししか覚えていなかったので、とまどいがち。すると遠藤さん、「もういい!! 見てろ」と。僕は遠藤さんのためにワープロを覚えようとは思わない。自分が暇な時に暇つぶしにたまに打とうとは、思うぐらいだ!! 確かに覚えておいて損はない!! ただ介助のためにという考えでは覚えたくない!!

(1988.7.26 N)
 このごろ、私 福祉やめようかなあ、などと漠然とですけど、考えてます。考えるというより、心理的につらくてやっていけないなあ、と思っちゃったり。物理的にどうの、というのではなく感覚的に・・・。いろいろ、そう感じるには、心のうまく説明できそうにない、葛藤に似たようなものがあるんですけど。だからって、何がやりたいっていうのも特にはないんです。でも・・・。来年、大学に戻ったら何をやろう・・・。卒業するとしたら、二年もあとあるわけだけど、二年、何やろう。・・・。何もやらないなら、行ったって仕方ないような気もするけど・・・。うーん、こういう感覚、うまく人に伝えられないけど、もうちょっと自分なりに心の整理をしてみたいと思います。

(1988.7.29 K)
 Nさんへ。
 障害者ってたくさんたくさんいると思うんです。だって、完全な遺伝子をもって生まれ、完全な環境のもとに育ち、ケガの一つもしてないヤツなんて、いるわけがないじゃない。だから、自分の負目を(そういう事で)気にする必要なんてないと思います。お互いに福祉をやりあうって、考えればいいんじゃないのかなあ。世の中って、そうあるべきだと思うんです。
 でも、そういう僕自身、気にしてしまう事があります。僕は発作もちだし、精神科通いだし、そういうのを嫌う人ってたくさんいるし、特に施設の人にそういう人がいるのって、とてもくやしいです。(福祉って、資本主義経済の最底辺の部分だから、いっそう強者の論理が余計まかりとおっているのかもしれない)
 でもでも、やっぱり、気にしない事にしています。開き直って、タテに割って行く力がないのなら、ヨコにヨコに広げていこうと思っています。今までの僕だって、弱かったとは思ってないし。・・・。
 みなさん、とにかくガンバって生きていきましょう。

(1988.9.10 T)
 近頃やたら人恋しいのに、何気なく日々を送ってしまう。誰かに電話しようと受話器を取るけど、はて、誰に電話しようか、何を話そうか、今、居るだろうか、いや、そんなことは問題ではない。一番気になることは、その人が僕と電話してくれるだろうか、ということなのだ。自分の方では、「友達」なんて思っている人が、その人からすれば「なんでもない人」、もっと悪いパターンでは、「嫌いな奴」だったりするかもしれない。中島みゆきの歌にも「電話してるのは私だけ あの人からくることはない」なんていうのがある。その人にとって僕は電話するに値するだけの人間なのか、ということが、僕にはわからないのだ。(たまたま「電話」という言葉を使ったが、それは「会う」でも「約束する」でも、ひいては「愛する」でも同じだと思う。)もし、僕を「嫌い」だと思っている人に電話をしたら、相手は迷惑だと思うだけだろうし。ますます僕を「嫌い」になるのだ。結局、僕がやっているのは、僕の思い入れを全く、無視したところで必然的に必要な「相手への用」を探し出すのに四苦八苦することなんである。
 そういう意味で、言葉って理解できない。人は自分の心にあることを、正反対の言葉で表現するから。いや、全部が正反対だったらいいけど、そのままの意味で使ってる単語の中に、理解できないから信用できない。同じ日本語を使ってるのに、全然通じない。それで余計、淋しくなり、人恋しいのだ。
 I LOVE YOUってすごく嘘っぱちな言葉だと思う。本当にそういう状態にいるなら、わざわざ言葉にしなくても相手に伝わると思うし、それこそ何回も口にしてるのを見ると、とても嘘っぽい。

(1998.9.19 N)
 7時に来るなどと言っておきながら、30分も遅刻をしてしまいました。でも、Hくんがいたのでよかった。けど、何も手伝わずに朝からのんきにアイスクリームなんて食べてしまって、あいかわらずの私です。
 最近、私のまわりで病気になって入院してしまった人が何人かいて、病院に行ったりする機会が多いのですが、皆さんもくれぐれも健康には十分留意して過ごされますように。体なんて一回こわしてみてはじめて、そんなに無理がきくもんじゃないと認識するのかもしれませんけど。病気になると、体の痛みもさることながら、心理的にも今まであったこととか、いろいろ思い出したりするらしくて、かなり気弱になるみたい。皆さんも気をつけてね。
 いつも思うことですけど、すでにおこってしまったことに対して、人はそれをどう受け止めて生きていったらよいのだろう。例えば、戦争犠牲者とその家族、通り魔にわが子を殺された親、大人の犠牲になった子どもたち等々、無論、それらのことを未然に防ぐ努力は最大限なされるべきだけれど、それでもおこってしまったことと、それから被った人の心の痛みとか憎しみとか哀しみとか、それらをその人はどう受け止めて生きていったらいいのだろうということ。
 無論、被害者ばかりがそういう対象ではなくて、加害者、つまり罪を犯してしまった者の心の痛みとか、自分の罪をどう受容して、懺悔し、救われるかということもそうである。利害関係は、それが明白な場合もあるけれど、案外、相反している場合も多いのであって、どちらが悪いとか、安易にはいえなくて、双方ともそれぞれ心の痛みを抱えている場合も多いのである。
 そういう痛みに対して、痛みの外にいる自分に、何ができるのかというペシミスティックな考えが今までちらちらしていたのだが、どうもそれ自体古かったような気が最近ではしている。
 以前、Sさんが「人は人を救うことはできない」とノートに書いていらしたことがあると思うのですが、私も本当にそれはそのとおりだなあと思う。じゃあ人は自分におこったいろいろなことに対して、それをどう受け止めるかということになるわけで、これは最終的には、個人的な問題になるわけだ。
 死んで決着をつけるなら、それはそれでいいのかもしれないけど(本当はよくないのかもしれないけど)生きていくなら自分でどこかで思いを止揚、あるいは消化する必要がある。考え方とか、受け入れ方とか、信仰とか、自分なりに変化させたり、咀嚼したりして。
 だけど、受容できないからといって、その人が弱いとか、そういう見方はなるべくしたくないのであって、経験がちがえば、認識も自ら異なってくるし、結果的に受容できるにしろ、さまざまの過程を経て、時機が熟してからはじめて、その人のものになるのであって、やっぱりその過程は、最終的には、人それぞれの個々人の戦いというか、何だか、あたりまえのことのような気もしますけど。
 こんなことを書くと、私があぶないんじゃないか、などと思われると困るのですが、昨日、友達の見舞いに行ったら、死にたいとか言うからさー。ついこんなことを書いてしまったのです。
 以前は、他人の痛みをどれだけ自分のものとして感じることができるかとか、青くさいこと、考えていたのですが、この頃は他人の痛みに対する自分の心の位置というか、そういうものも同時にしっかり持つことも必要なのではないかと思ったりします。
 ただ今、10時35分。光明養護学校の放送室にいます。こんなところに一人でいると、小学生だった頃、気分が悪くなって、一人で保健室で寝ているような、そんな感覚がよみがえってくる。

(1988.10.6)
 ここ二、三日、非常にイライラしてる。夜寝られなくて、やっとウトウトしたかと思うと、へンな夢みたり(自分の手でお皿の破片を強く握りしめて、血がいっばい出たり)、いろんなことに対する不安や焦りが、人に劣等感もって、なんかよくわかんない。介助してても、いろいろ考える。やっばりよくわからない。言いたいことが山ほどあるのに、言葉になっては出てこないでのどにつかえている感じ。結局、ずるいんだけども、自分のこと、人にさらしちゃうと、ああ、この程度かと思われそうでこわいから、とりつくろってすましてる。大学に入ってから、それまでにまして友人関係が希薄になった。そのときは仲良くても、卒業したりして離れちゃえば、それで終わりになるだろう。こういう考え方は甘えてるのかな。でも寂しくて時々どうしようもなくなる。永続的に続く関係というのがないなら、どうして人と知り・合いたいとか思うんだろう。結局、無になってしまうのなら、同じじゃないのかな。

(1988.10.7)
 私も中学校の時、友人との関係について、すごく悩んで、本当の親友って何だろうとか、親友ができない私は人間的にダメなやつなんだとか考えたものです。大学に入ってからもそうでした。自分をさらしちゃうのがこわいっていう気持ちもよくわかります。でも、今はそんな私から少し変わりました。前は相手が先に言ってくれなきゃ、自分を見せることはできないっていう、計算しているみたいなことがあったけど、今は自分の方から、なるべく心を開いていくようにしています。それで傷つくこともあったけれど、反対に楽になった部分も大きくなりました。
 人に「この程度か」って思われてもいいじゃない。自分は自分なんだからさ。「私はこの程度よ」って開き直ると、相手のいいところがどんどん見えてきて、それを素直に受け入れられるようになるよ。大したやつじゃない自分だからこそ、成長の可能性もいっぱいあるんじゃないかな。 私はたくさんの人と知り合いになりたいと思っています。たった5分間会うだけでも、人から学ばされることってたくさんあるから。私はあまり勉強好きじゃないけど、人の話を聞くのは大好き。一人の人間が生きてきた中で得たものって重いよね。その重い部分から、どんどん吸収していきたいです。
 元気出してね。きっと、あなたはとても誠実な人なんだろうと思う。それだけ悩むということは、それだけ強く求めているということでしょう?大丈夫だよ。いい友達がきっとできるよ。私もあなたと友達になりたい。

(1988.12.27 H)
 遠藤家に来てから、一年経って、心が自由になってきつつあるように思った。最初にこのノートを読んだとき、なんでみんな思ったこと、こんなに言っちゃうんだろう、恥ずかしくないのかなーと思った。時々、自分もノートにいろいろ書いてみて、最初よりはかなり素直に、なんて言うか、いいかっこしない自分を書けるようになったよーな気がする。でも、書いても他の人は読んでくれているのかな、と思う。ノートに書くのは、私の場合、自分という人間をできるだけ表現して、興味を持ってくれる人がいれば、と思うわけで、時々、自分の書いたことに他の人がコメントを書いてくれてるのをみつけると、すごくうれしい。しかし、会ったこともない人に興味を持てというのは、自分を考えてみても難しいので、なるべく他の介助者の人と顔を会わせたいと思う。ここの場合、入れ違いが多くて、その人の気配はしても、実体になかなか会えないので。時々うわさが先行して、会う前から妙な偏見を持っていたり。そんなわけで新年会には、行こうと思ってるけど。では、よいお年を。