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介助者ノートより

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(1990.1.30 S.G)
 昨日はTと二人で救急車に乗りました。
 昨日、夜から僕たちは少々うるさかったけど、救急車を呼ぶ前からサンシャインの生徒は、目つきが変わり、一人泣く人もいました。
 皆、眠いと言い、学校に行きました。T、F、H、S.K、S、U、みんな昨日は本当にお疲れさまでした。それでは僕も学校に行ってきます。これからも多数で遊びにきます。
 遠藤さん体には本当に気をつけてください。元気で笑顔な遠藤さんが、僕は大変大好きです。では、また来ます。

(1990.1.31 R)
 昨日、遠藤さんが具合が悪い事を聞いて、いてもたってもいられなくて、どうしようもなかったです。遠藤さんの顔を見た時、ほっとしました。遠藤さんの存在って、すっごいなナアーって改めて思いました。またまた、素晴らしい事をおっしゃいました。それは遠藤さんとRだけのヒ・ミ・ツだよ。
 でも、言っちゃお。「痛みは命の包帯」だそうです。
 感動した半面、痛い時に笑うのではなくて、痛い時には、痛いよ、痛いよ、痛いんだよーって言っていただけるような自分になりたい、とも思いました。
 みんな遠藤さんの減酒に協力して、お酒に酔う分、一生さめる事のない青春に酔おうゼイ。

(1990.2.4 K)
 何よりも 誰よりも つらいのはひとりぼっち
 僕は今 僕は今 僕は今ひとりぽっち
 というわけで、ひとりぼっちがいやだから僕はここへ来るんです
 と、チラシに書いたけど、今日は、本当にこんな気持ちで来ました。

(1990.2.4)
 遠藤さん、大変だったとか・・・。
 うーむ、導尿の感覚とは、いかなるものでしょーか。
 しかし・・・とにかく、おしっこの大切さといいますか・・・身体には気をつけましょう。
 そして、その時、救急車などを呼んだり、お医者に行ったりした介助の皆さま、お疲れさまでした。
 しかし・・・とにかく、おしっこの大切さといいますか・・・と何度もつぶやくのでした。

(1990.2.27 K)
 あーあ来てよかった。
 今日初めて来ました。
 それでもって、ハミガキのお手伝いさせてもらっていきなり流血です。
 遠藤さん痛かったでしょう、ごめんなさい。
 それでもって、今、となりの部屋では、遠藤さんとLが「愛」について討論しています。私はまだ愛を語るには未熟もの。・・・二人の間にいると、つくづくそう思います。思っていても、それを素直には口に出せない。それが、ちょっとの勇気で実現するとわかっていても、今の段階の私では、その勇気を出す「勇気」がまだないのです。わかってくれますか、誰か この気持ち・・・。
 それでもって、このノートを見させてもらって思ったことは・・・。
 人間というものは、見たくないもの、見なくても生きていけるもの・・・そういうものから目をそらして生きてはいけないということ。
 例えば、友達だって、ずっと一緒にいると見なくてもいいことも見えてきたりしちゃったりするけど、やっぱり、そういうところもひっくるめて「友達」としてつきあっていかなければならない。
 そうすると、やっぱりそこにはある程度の我慢とかもでてきちゃって、そして、その小さな我慢が積もり積もって・・・。とうとう爆発してしまうこともあるかもしれない。ならば、爆発してしまう前にお互い話し合って理解しあえばいいのだが、それも難しい時がある・・・。
 人間のきれいなところだけを見ながら生きていければ、どんなにいいだろうと思う時がある。しかし、やっばりきたないところもあるからこそ人間であって、そしてまた自分がきたない部分をもった人間なんだということも否定できない事実であるのだ。
 へっへっへっなーんて言ってみたりして。なんか長くなりそうなのでこのへんで終わりにします。何もできないけれどまた来ます。

(1990.3.31 T)
 いま、静かになって、遠藤さんの声がこの部屋に響いています。遠藤さんが、介助に入ってくるきっかけについて話しています。Yちゃんは今ここにいませんが、遠藤さんは今、Yちゃんが介助にはいりだしたことについて話しています。
 今日は1時頃に来て、準備から何からやって、おかげで楽しいひとときを過ごしました。今、12時ですけれども、今、私の思っていることは、この遠藤家でいろいろなことが思い出として残っているなあということで、すべてがいい思い出として残っているのです。だから、実習が終わったら、すぐにくるでしょう。

(1990.4.12)
 今11時20分だけど、遠藤さん、まだ寝てるよ。あーとってもヒマだけど、家でヒマなのより、ここのヒマの方がいい感じ。何でだかー。さっきMちゃん帰ったし、静かだなー。もっとさっきに、介助者さんの部屋のべランダから肘に何か当てて、わかんないんだけど、3Fの人の家にでっかいガラスの破片がばらばらばらばら。あやまりに走ったけど、優しいおばさんで助かったよお。皆さんはきっとそんなことないと思うけど、今度はきっと殴られっかもしれないから気をつけてねー。

(1990.4.13 M.M)
 今日は遠藤さんと赤坂のサントリーホールへ、モーツアルトのプラハを聴きにいった。アンコールを五回もやって、超ウルトラスーパー感激でした。すっかりHAPPYなM.Mです。でも、遠藤さんには多大な迷惑をかけてしまって、深く反省のM.Mでもあります。サントリーホールでトイレへ寄るのを忘れて、帰りの電車はパニックに陥らせてしまったり、電車の乗り降りでは、ホームと電車のすきまに陥らせてしまったり・・・。
 大学の養護のテストに受かったので、頑張って勉強してきます。
 でも、スリル満点のデートができて楽しかったでしょ!とむりやりおさめて帰ろうっと。
 P。S。介助と現実の厳しさに驚かされた一日でした。

(1990.4.22 O)
 多分、女性の介助者のネックみたいな存在になりつつある「トイレ介護」ですが、この問題には、私自身もかなり悩んでいたので、今日、遠藤氏と緊急会談をしてきました。
 そこで得た私の結論というか、考えみたいなものを書きたいと思います。
 今の福祉は「同性介護」(つまり、男性の世話は男性が、女性の世話は女性が、という考え)が基本であるとされています。確かに、ケアする側からも、ケアされる側からも、これが一番だと思われるかもしれません。でもネ、遠藤氏の家の場合、そうしたら、男しか来なくなってしまうではあーりませんか。おいらはそんなのゼッタイいやだし、遠藤さんはもっとだろう。もし、遠藤氏の考えが「同性介護」がいいというのであれば、それはそれでいいかもしれないが、彼は、男女の枠なんか関係ないと言っている。考え方の違いと言ってしまえば、それまでだが、俺は遠藤氏の考えは素晴らしいと思う。ただ、私自身、男女の壁、枠をすべてなくし、「ありのまま」に生きているかと言えば、ウソになる。だから、私がこんなことを言っても、無駄かもしれない。でも、遠藤氏に聞いてくれ! 彼はそれを実践しているのだから・・・。もし彼に共鳴とまではいかなくても、理解できる、納得できるなら、それを実践しようとトライしてみてください。チャレンジしてみてください。世の中には男と女しかいないのだから・・・。

(1990.4.23 W)
 今、遠藤さんが「オーッ」と言ったので、行ってみるとトイレでした。そこで、私は大矢敗をやらかしたのです。
 おふとんにも、マクラにも、そして遠藤さんにも、おもいっきり尿をかけてしまいました・・・。ごめんなさい、ごめんなさい。
 いまだにシピンの用い方がよくわかりません。どなたか一度私に教えてくださらないでしょうか。お願いします。

(1990.4.30 M)
 介助方法なんて、遠藤さんに聞いてやっていれば簡単じゃないか? 何でも失敗がつきもの!! 失敗におびえてちゃ何もできないもの!! 大事なのは、その失敗の後、反省してみて「ここをこうすればよかったんじゃないか」と考えてみることじゃないかな!! それと何でもそうだけど、もっと自信を持つことじゃないかな? 介助ってやっていれば自然にうまくなるんじゃない!! それで自信がないからってやらないのは、いつまでたってもうまくならないよ!!

(1990.5.12 N)
 実習も終わり、施設の非常勤が始まりました。今までボラに入っていた施設なので、『お姉さん』から『先生』という呼び名に変わり、重要な職におかれていると実感している今日このごろです。なかなか先生するのも大変です。だって、お母さんは私より年が上だし、先生になる以上は、保育をしなければならない。訓練もしなければならない。介助もしなければならない。少し慣れるまで大変です。でも、すっごく楽しいです。
 ただ残念なことに、学校へあまり行けないので、友達とはあまり話せないし、遊ぶのもなかなか・・・。少しつらいけどね。でもね、自分で決めたことだし、今はとっても充実しています。この施設に入って、すごく勉強になるし、精薄児(重複もいる)の心を見られるようになってきたので、すごく不思議な気持ちになっています。心を見るのは(何をしたいのか表情だけで見る)のは、自分が素直にならないと無理なことなんだよね。だから、施設に来たら、悪いことはできない。目の前にいる子供達と一日をどう楽しく過ごせばよいのか、そればっかり考えています。まだまだ慣れないが、先生のやっていることをマネすることしかできないけど、それから自己流になっていけばいいと思う・・・。それで大きくなれればいいナ!
 お互いに大きくなれるようがんばろうネ!

(1990.5.12 A)
 昨日、バイトの給料が入って、とてもうれしかった。花を買いたい気分になって、サボテンを買いました。このサボテンを遠藤さんの誕生日プレゼントにしよう。

(1990.6.9 L)
 二週間の実習終わって一週間くらい、カルチャーショックで放心状態でした。こんな私でも実習出来る施設があったんだナアと思いました。(今10週間の老人ホームの実習の方でのろくて失敗ばかりで、危険だと問題になってるんだあ)
 自給自足に等しい生活をしてきました。私が仕事場としようとしている『施設』って所は、園生の人達にとっては『我が家』なんだよなあ。むくだけで手間をかけてしまうような小さなじゃが芋を「くずじゃが」と社会は呼んですてちゃうけど、自分達でじゃが芋を育てて、じゃが芋の命を知ってると、やっぱりそれは「くずじゃが」なんかじゃないよと思いました。今はとても便利で、出来あがったものをぽんと目の前に置かれて、生活してるけど、みんなで薪割って、燃やして80℃までガンガン燃やして、お風呂なんかわかすと、洗面器にあふれるお湯を思わず、きゅっと止めてしまいます。電車もお風呂も家も食べ物も服もゴミも今、当り前に生活しているけど、感謝感謝感謝の生活を本当は今、生きてるんだよね、うちらは。帰ってきて、八百屋さんに同じ形や大きさのきゅうりやじゃが芋が並んでいるのが、逆に不自然に見えてしまった。
 人間が人間を障害者って呼ぶの――私も言ってるけど、社会が作りだしてる障害の方が多いと本当に思いませんか。多者優先の社会に当り前に生活してるけど、障害者もみーんなが普通に生活できる環境が本当は自然体なのかもしれない。と言いながら流されてるんだよなあー。
 今回、行ってきた施設は遠藤さんが伊豆に造ろうとしている世界(私の夢でもあるけど)それが現実にあったんだなあーという施設でした。障害者、健常者、職員、園生の境があまりなく、同じ人間として共存している社会では、障害者は人生を工夫して生きてます。人生が未来に向かって歩く道ならば、障害者はその道にハードルがおかれているのかもしれない。生きる事をそれだけ知っている人なのかもしれない。こんな世界の中で生きている障害者(園生)の人達は何とも「心栄えが鮮やか」です。人間の価値っていろいろあるなあー。

(1990.6.16 K.O)
 今朝、学校にここから直接行って、授業に遅刻した・・・。けれど、I先生は「泊まりの介助で直行した」って話を知ったら、「えらいねえこれからもそういう介助などで遅れた時は、言ってくれたまえ」と遅刻扱いにはなりませんでした。「ありがたや 白髪の人 I先生」
 授業が終わってすぐに戻ってきました。昼間の介助者が誰もいないんだもん・・・。そんで今は、遠藤さんとデート中なのさっ。
 「CDかけてくれる?」とのことで、今、遠藤さんはビートルズの美声に酔いしれています。「イエスタディ」を歌ってるわっ。

(1990.7.10 Y)
 こんにちはっ!! おひさしぶりのYです。介助者ノート読みました。介助者がいなくて、ホワイトボードがまっしろで、これから夏休みどーしよーかなんて考えて、ったく、なんでこんなことやってんのかわかんないよっ! なんて思ったりして、疑問も不満もたまってきたりして、だけどそんなふうに思いながらも、遠藤家に来ちゃうのは、うーん、なんか来ちゃうと楽になるからかなー。よくわからんこと書いてますけど。
 あたしの今やってる仕事は、「精神障害者地域作業所」の職員ってことなんですけど、なーんか毎日ドラマでさ、この社会で自分が生きていくってことの実践・・・って感じがしますです。で、ヘラヘラやってますけど。
 遠藤さんと今までいろいろ話してきたこと、介助で感じてきたことなんか、よく思いだしたりしてさ。
 ああもっと自分自身が豊かになりたいと思う。うすっぺらだなあと思うことが、毎日でさ、でも元気でやってますから。ええ、また来ますわね。

(1990.10.19 O)
 「あなたの夢は何ですか?」
 変な問いかけかもしれませんが、最近ふと考えます。俺の夢は、みんなを笑顔にすることなんだ! 悲しい顔、寂しい顔、泣いている顔は絶対見たくない! でも、それって都合良すぎるかもしれないけれど、俺にはできないかもしれないけど、生涯かかってもいいからやっていきたい!
 人間は所詮、独りっきりかもしれないけれど、一人で生きていくのは、さみしすぎる。だから仲間がいるんだ! 最後は笑っていて欲しい! どんなつらいことや悲しいことがこれからあるかもしれないが、それを乗り切ってこそ、楽しいことが待つているんじゃないのかな!?
 俺はまだ発展途上の人間だから、まだかなりいい加減かもしれないが、これからがあるんだ! 絶対、将来みんなを幸せにできたらいいな!? これからも何回もの失敗を繰り返し、何人もの人の信頼を裏切っていくかもしれないけど、今の俺には、ある意味当然の事かもしれない。
 話せば長くなるが、ビールの酔いの勢いにまかせて、どんどん書いてしまおう!
 俺は小学生の時、かなり賢かった。これは自分でもわかっていた。でも、それにうぬぽれが生じて、勉強を全くしなかった。当然、中学受験に失敗した。公立の中学に行くことになったのだが、これ以後、私は常に逃げることばかりを考え始めた。
 中学生の時は、中の上ぐらいの成績で、高校にも充分行ける力はあったが、それでも自分は落ちるのが怖かった。先に受けた私立高が三つとも全部受かったが、公立高の受験が逆に怖くなり、受けるのをやめ、私立高である法政二高に行った。大学受験の時もエスカレーターだったが、絶対入れる学部学科を選んだ。文学部地理学科はそうした安易な理由で決めた。でも、今度は親から逃げ、一人暮しを始めた。生活は乱れ、大学もほとんど行かずバイトに明け暮れていた。
 そんな時、ふと自分のたどってきた道を振り返り、逃げの人生だと思った。でも、俺はまた逃げた! 大学を中退して、専門学校に入った。社会福祉は確かに興味分野ではあったが、全く知識はなかった。
 今、振り返ると、つくづく俺は自分がいやになるくらい、いい加減な人間だったと思う。でも、サンシャインに入ってから、いろいろなことを考え、教えられたような気がする。仲間もできた。女の子の事でも悩み始めた。真剣に。だから、今までの人生、俺は後悔していない。他の人からどう言われようと、俺は俺だ! 仲間を大切に生きようと! 今でもいくつもの失敗を繰り返しているかもしれないが、そーんなの全然平気(そんなことないけど)。だって、俺は楽天家B型だもん! 俺がミスるのは、世の中がおかしい! なんて考えている自分に今、逆に怖いものを感じています。

(1990.10.20 M.E)
 なんだか、ものすごーく早く来てしまいました。約2週間ここにはこなかったの。それなんだけど、たった2週間でここまで近代的になってるなんて驚いています。
 今日は3時10分に講義が終わって、それから池袋駅前で約一時間半「あしなが学生募金」のボランティアをしました。「募金にご協力ください!!」っていう立場を私は今日初めて体験したんだけど、なんか、いろんな気持ちがまざって泣きたくなっちゃったんです。「お願いします!!」って言っても無視して通り去る人、その反面、はずかしそうに募金してくれる人・・・。実際に今日やってみて良かったと思います。こういう立場に立ってみないとわからないこと、見えないことがたくさんあるんですね。だんだんと箱が重くなるにつれて、人のやさしさ(!?)というか、うまく言えないけど感じました。あの箱の重さは忘れないでしょう。
 よかったです。皆様も一度体験して、いろいろ感じてみてくださいな。

(1990.11.28 I.K)
 久しぶりにやってきたI.Kです。私の病気(てんかんみたいなやつ)と闘うため、しばらく遠藤宅に通う事に決めた。ノイローゼ(悩みの種)とも長らく闘っていたが、なくなってしまうと、かえって心の中が空っぽになってしまったようだ。
 というわけで、しばらく遠藤宅へ通う事に決めた。何をするにも激しい疲労を伴うので、いつまで続くか、わからない。しかし、今の私にやれる事は、これしかない。

(1990.12.14 I.K)
 遠藤さんの介助へ来る皆さんへ
 ここは来るも帰るも、自分の勝手でいいんです。たまたま近くまで来たから、休ませてもらおう。飯を食わせてもらおう。寝かせてもらおう。そんなんでいいんです。寝城にしたってかまわないところなんです。みんな考えすぎてんじゃないのかな。遠藤さんのうちでありながら、遠藤さんに、そんなに気を使わなくていいんです。有難くて、便利なところなんですよ。ここは。

(1990.12.15 I.K)
 発作をおこすようになってから、ろくに大学へ行かなくなった。当然、友人と口をかわすことなんて事はほとんどなかった。誰かと話したくて、寂しくて、切なくなった時、僕は遠藤さんちへ来ました。遠藤さんは「ひとりぽっち」とめげてる僕の話を聞いてくれました。励ましてくれました。時には他の介助者とも話をしました。でも、何より、遠藤さんがいるから、僕は「ひとりぼっち」じゃなくなりました。遠藤さんちは、いつも暖かかった。これから、僕がどんな人間になるか分からない。大物になるか、平凡な者か、日陰者になるのか。でも、人恋しくて寂しくなった時、きっと、遠藤さんちの暖かさを思い出して、きっと涙をこぼすでしょう。でも、今、何故、冷たくなってしまったんでしょう。遠藤さんは「いつかこうなるとは思っていたけどね。」そんな寂しい事を言いました。できれば僕の力で、また暖かい遠藤さんちに戻したい。自殺を考えていた頃、「生きる事の素晴らしさ」を教えてくれたのは、遠藤さんだったから。
 世界地図をバラバラにして、「心の地図をかきましょう。」僕は、いつでも暖かい所に、遠藤さんちをかくでしょう。心の中で冷たい雨にぬれた時、遠藤さんちへ歩いていくでしょう。
 僕は遠藤さんを「年の離れた友達」だと思ってます。一緒にコーヒーを飲む。飯を食う。酒に酔う。一緒に眠りにつく。いつも二人して同じ事をして、どうして、遠藤さんを介助の対象物とみるのですか。どうして、そんなに気を使うのですか。僕には分からない。
 遠藤さんは、自分一人では何もできません。だから、誰かに自分の身をまかせなければ、生きていけません。遠藤さんは無防備です。体はもちろん、心までも。だから、遠藤さんが口にする事は、その全てが本音です。(僕はうそつきは大嫌いです。「己の欲せざる所、人にほどこす事なかれ」だから、僕もうそは決していいません。残酷なほど、時も場所も人もわきまえず、僕はうそをつきません。)遠藤さんと会話をする時、その言葉の全てが本音だと、頭に入れておいて下さい。今まで気づかなかった人は。
 全てにおいて、完全なる人間はいません。その人間がやる事。考える事、つくる事。全てが完全でない事は当然です。だから、遠藤さんの介助も、誰がやっても完全ではありません。「こんなもんでいいのかな」それでいいんです。

(1990.12.29 L)
 遠藤さんと夜、お話しました。内緒だけど、これだけは私だけにゃもったいない。
 「相手を生かし 自分が生きて 相手が生きる自分を生かせないと 人を生かせないよ」
 脱脂綿が水を吸い取るように、言葉が心に染みました。
 「ありのままの自分の姿を肯定して生きる」
 遠藤さんの生きる姿に感動して、少しでも近づきたい。
 そんな出会いから始まり、最近、多少なり、自然な自分を感じれる気がしたけど、何かものたりない気がしてました。
 自由と孤独は、表裏一体のものとよく言いますが、そういえば、最近、なんだか淋しくて、孤独ばっかり目について、不安定になってたのかもしれないなあ、デへ。顔に似合わず、ナイーブだなあ。
 相手を生かし、自分が生きて、相手が生きる
 とりあえず、自分が良いと思う方向に生きる
 ありのままの自分からはじまる
 遠藤さん、いい事言うなあ。
 今日のバイト 二倍頑張れそう。今日からひとつ山こえて、また、色つきの人生が始まるぞオー。ファイトオ一発!