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介助者ノートより

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(1985.4.25 T)
◎ きょう感じたこと。介助者会議に出れなかったのですが、それで決まったことを全然知らずに介助にきてしまいました。ぼくも時々ここに来てみるのですが、やはり、いちおう連絡がほしいですね。介助体制の連絡の責任はだれなの。えんどうさんなの。のりこさんなの。それとも介助者でやるの?
〇 この前感じたこと。この家は異常だ。障害者のお父さんお母さんがいるのに子どもたちはさっばり家のことを手伝わん。信はもう小学一年なんだから、もっと手伝わせなくちゃいかん。
〇 もっと前に感じたこと。この家で介助がいちばん必要なのはしげるさんだけど、連絡とかのりこさんがすることが多いみたいだし、しげるさんの介助のことをのりこさんから伝えてもらうことがある。そのとき介助者に対する必要性のちがいから、気持ちがこちらにきちんと伝わってこないときがある。なにかどーでもいいようなときとか、全然介助者に思いやりを示してくれないときとか、「来てあたりまえ」というタイドをとられるときがある。こーいうときは、みなさんならどうします。ぼくはときどきはっきり言ってます。毎回はいえないけれど。
 この3月で、足のサイズと年齢が同じになったTでした。
 このところわりと介助以外にもここへ来ています。たのしいよ!

(1985.4.26)
 介助者の部屋に入るなり、ホワイトボードが飾ってあるのを見て、思わずカンドーしてしまったきょうこの頃です。わーいわーい。
 それと、介助者の入る予定がおっきくかかれてあったのにも、びっくり。とても見やすくなったと思ってます。当初の計画通りにやっとこの部屋が介助者用の部屋になってきたみたいですね。(別に、家族の方が入ってはいけないとか、そういう意味では決してないのです)
 さて、DIARYをみると、24日の夜にな、なんと5名もの新人の方がいらっしゃったという事があったようですが、その後はどうなっているのでしょうか。是非とも教えていただきたい! 今の体制で5名増えたら、ぐっと楽になるし、時間もできてよこのつながりもとりやすくなるし、とてもよいことだと思うんですけど。個人的には女性5名というのが不安なのですが・・・。(というのも、僕の関係するところで、このところ5名以上の女性がいるところをみたことがないのです。ちなみにウチの大学、学部では女の子をなかなかみかけませんし。Bクンのいる文学部などは別ですが)
 冗談はさておき、とにかく、その後どうなったのかどなたかこのノートに書いていただけるとうれしく思います。
 先週金曜日は、介助者会議の後、M.O氏のとこで飲んでしまいました。どうもごちそうさま。久しぶりに「ふぞろいの林檎たち」も見ることができて、またじっくり飲むことができ、ゆったりとすごせた夜でした。
 それから今日は初めて滋氏とお風呂に入りました。いやあ、とっても気持ちがよい! やっば家に風呂があるのはいいなあとあらためて感じた次第です。実は、滋氏とお風呂に入るのは非常に困難なことだと前々から思っていて、今日言われた時もとても自信がなかったのですが、実際やってみて、やろうと思えばそれほど困難でもないのだとわかって安心したのです。
 そういえば、今日は生まれて初めてカレーライスを作ったという記念すべき日なのだ! なさけない詣ですが、私下宿をしていながら自炊をしていないという怠慢少年でありまして、のり子サンから作れと命じられても、あーだこーだとわいわいわめいていたのです。but、なんとか出来あがったので、これもホッとしました。

(1985.5.3)
 今日は「映画に行くから1時に新宿にきてほしい」と言われたので、先生も車イスでいらっしゃるのかと思って、車イスを最近あまりおしていないわたしはどきどきしながら新宿にいったら、じじょうがかわったよーで、けい、しん、おかあさんの三人でいくことになり、わたしは先生とおるすばんすることになりました。ピーターパンをみるんだって。いいなあー。(おうちにいったら、先生は歯がとてもいたくてねていた)
 三週間ほど前、先生が耳のおいしゃさまにいかれるということで、車イスをおしたのですが、実に半年以上だったので、カンがくるってよっばらい運転になってしまいました。段差は上手にあがれないし、踏切では前の車輪がミゾにはまってしまうし。わたしのうでは、とても太いのでゆうめいなのですが、あらためてぜい肉しかついていないことを実感しました。同じ太いんなら筋肉ぶとりの方がぜんぜんマシです。そして、こないだ2kgの鉄アレイを買いました。弟とシエイプアップごっこをしています。
 みんなが何を考え、どんな思いで介助にかかわっているか知りたいな、と思うことがあるのはたしかですが、なかなかそんな話する機会もなくて(積極的につくろうとしないアタシもわるい)また、あったとしても「あなたは介助についてどう思いますかっ!」なんてきくのもなんだかへんなかんじです・・・。
 はっきりいってわたしはなんのポリシーもない人間なのです。みんなきちんとした自分なりの考えをもって介助にやってきているのだろうなと思うとはずかしいのですが。とにかく今は、自分にとってここにくることはたのしいです。

(1985.5.7)
 介助者会議以外にも、他のメンバーと話し合う機会が欲しいですね。やはり、僕なんかは、ほとんど何の考えもなく、なりゆきというか、気がついたら、ここに来るようになってた訳ですから、なおさら、他の人の考えとか、気のついた事を聞いてみたいですね。
 先程も書きましたが、僕は、明確なポリシーがあって、それでここに来てるという訳では全くないのですが、それでは何故来てるかといえば、やはり何か得るもの、他の事では得られないものを求めているからなんでしょうね。多分、僕はボランティアという言葉が(この語の本来の意味はよく分かりませんが、少なくても現在の使われ方においては、嫌いですね)、自分の今していることも「人のため」などというつもりはありません。自分のためとでもいう他ないでしょう。なにしろ僕は自分のことだけでせいいっぱいなんですから。

(1985.5.29 T)
 今、ふとんの中でねっころがりながらこれ書いてます。
 本日は滋氏の38回めの生誕記念日だそうです。ちなみに僕の誕生日は1月3日です。
 話はかわりますが、先日「最近楽しかったことは何」とふいにきかれ、考えこむことしばし・・・ない! これといってなにも思い浮かばない! がくぜんとし、ひや汗をかいてしまいました。
 ああ、なんといううすっぺらな生活。こんな生活をいくら重ねても、いつまでたってもうすっぺらな人間のままでしかいられない、とおちこんだのでした。
 いや、なにも彼女がいないからうんぬんということだけがいいたい訳ではないのです。みなさんはどうでしょうか。最近楽しかったこと、是非聞かしてもらいたいです。
 ところでこんな情報を耳にしたので発表します。(ニュースソースはあかしません!?)
 B氏 6月中旬にもタイへ外遊か!?
 あのバイク少年B氏が来月にも日本をはなれ、タイ国へ向かうとの情報が入りました。5月28日現在いまだ本人の記者会見も行なわれず公式発表もないため、その動機、目的etcに対し、いろいろな説、疑惑が流れている。外交筋によると、同氏のタイ行には、女性関係のもつれなど何らかの理由で日本にいづらくなったことによる亡命だとする「亡命説」、同氏が実は、タイ王朝の王子であったのではないかとみる「プリンス説」、タイの首都バンコクの魅力に同氏がとりつかれたとする「バンコクはくらんかい説」などがうわさされているが、同氏の両親が仕事の都合ですでに昨年の夏からバンコクに移住しているという有力な情報もあり、タイに入国したまま帰国せず永住するのではないかと期待する人々もいる。なお、この件に関し中曽根首相は何のコメントもしておらず、野党も沈黙を守っている。また、大学のサークルで映画をつくろうと企てたり、バイクをこよなく愛するなど、タイ政府にとってきわめて危険な人物であるB氏に対しタイ政府が入国を許可するかどうかが注目され、日・タイ間外交問題にまで発展することが憂慮される。
 すでに東京では、彼の予備校時代からの友人であるT氏を中心に「タイのみやげをもらう会」や「B氏タイ旅行真相解明特別委員会準備会付設タイ風俗研究会(正式名:タイ土産品を獲得し、それによってタイの風俗を研究する会)」が結成されるなど、大きな話題をよんでいる。

(1985.6.4 M)
 先々週にこのノートを書いてから、いろいろなことがありました。でも、なんか書くのがめんどくさい。何かの機会に口頭で・・・と思います。この前書いてから、このページまで"13ページ”。読むのに時間がかかった。(読みずらいこともあるけど・・・。〉あんまりいろんなことが書いてあってどこから感想をのべてよいのかわからない。
 とりあえず、ドライブの件、私は両日とも参加不可能です。30日は演奏会(またしても!)、23日は直前の臨時練習。私にとって、合唱、あの仲間とうたうことは他のなにごととも、はかりにかけることができないのです。ごめんね。私は高校時代から本当にこれひとすじで、そのためにのがしてしまったチャンスや、出会うことのできなかった人、失ってしまったものがなんてたくさんあることか・・・。でも、それにもまして大切なのです。私にとって"うた”は、他にかわるものがないほどなの。「始めは楽しかったのに、人間はその気持ちをわすれてしまう」というようなことを、M.Oくんが書いていたようだけど、そんなことはない。私は今でも、いや、始めたころよりもずっと"うた”うことが好きで、幸せです。
 他にもいろいろ書くつもりだったけど、ここまで書いたら急に楽譜が恋しくなってしまった。早く家にかえって、ちよっと練習してから寝ることにしましょう。こんな彼女をもった人、きのどくだと思いません? 私はいつもかわいそうだなあと思います。でも、私にとって"うたうこと”は、食欲や睡眠欲と同レベルの欲求なんですから、しかたがないのよね、ウン!

(1985.6.5 T.A)
 最近、みなさん、よくこのノートを書いているので、一ヶ月ぐらいでノートが終わってしまいます。いろいろな人間がそれぞれ違った時間にここに現われているわけで、意志疎通をはかる手段の一つとしてこのノートはたいへん役立っていると思います。
 楽しいとか幸せとか、とりたてて考えなくちゃならないもんでもないんじゃないですかね。私なんて毎日、最近、飢えないだけの食事と死なないだけの睡眠をとって、なんだかよくわからないけど、いろいろな事で忙殺されていて、(仕事上)義務感で学校行ったりしてるけど、生きてるだけでもめっけもんだと思うし、その場その場の、自分の関わっていることやってくだけで、瞬間燃焼することになってるから、前のことも、先のことも考えてる余裕がないですね。
 7時前、信が朝めしを食わずにビービー泣きわめいて、私の睡眠を妨げました。おまけに慧にのっかられてしまいました。

(1985.6.5 B)
 タイ行きについて、いろいろな説が乱れ飛んだあげく、結局あれは口から出まかせだったということで「一応の決着を見て」しまったみたいですが、誰が何と言おうと行きます。8日に出発しますが帰りは未定なので、もし19日までに帰って来なかったら「予備校時代からの友人」のT君替わりに介助に来て下さい。タイ行きの理由についての詳しい記者会見はとりあえずあとにするとして、では行ってきます。

(1985.6.26 M.O)
 ウーッ、腹がいたい。不当に、季節がら、みなさん食中毒には気をつけましょう。不当にいたいぜ。

(1985.6.27 Y)
 腹がいたいだの、愛に飢えているだの、元気のない少年達へ、つゆなのだからといって、体や心まで落ちこまないで下さい。これでは、昨日、おとといと落ちこんでいたYクンが落ちこめないではないか。せっかく一人でくらーい世界に入ろうと思ったのに。全くもう。プリブリ。
 でも、考えてみるに、人間の心っておもしろいもんですね。ちょっとしたことで落ちこんだり、元気がでたり。自分でなかなかコントロールできんし、やり場のない怒りなんてのも出てくるし。誰にも責任はないのだけど、腹がたってしまう場合なんて、どうしたらよいかわからない。
 くやしくて、悲しくて、滑稽で、腹立たしくて、自分の気持ちがわからない、そんな経験ありませんかね?
 考えてみるに(あ、また使ってしまった)別に昨日、おとといの話ではなくてこのところずっともやもやしてるわけなんですよね。でももやもやしてるときはきまって字ももやもやしてるんだなあ、これが。あー汚い。
 近頃、仕事をかかえすぎて責任をまっとうしきれなくなってます。あちらこちらでミスばかり。くっそー気合をいれるぞ。走りまくってノイローゼになりかけた高校時代に比べれば何のこれしき。

(1985.7.11 M.Y)
 ハーイ、皆さん 初登場のM.Yでーす。よ・ろ・し・く。社大の四年生です。今日はサカナと野菜イタメと魚のマリネを作りました。すごくおいしかったです。介助は初めてで、私はすごくヤセているので腕力がなく、坂道で何度も遠藤さんをへイにぶつけてしまいました。駅では私の100万ドルの笑顔で、いや、へビに見込まれたカエルのような心優しい男性が四人も階段のぼりを手伝ってくれました。みんななんか人助けをしたすがすがしさで電車を1つ見送ってもニコニコ顔で"いや、どういたしまして”と愛きょうをふりまいていました。これからもよろしく。

(1985.8.26 S)
 今日もただ遊びに来ただけで、自己嫌悪(のふり)になってしまいました。生活の介助って何をすりゃ良いんですかね。ヘルパーさんと介助者は基本的に同じなんでしょうか、違うのでしょうか。どなたか教えてチョーダイ。