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介助者ノートより

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(1995.1.2 I.M)
 夜になると、うつ病になる。全てから逃げたくなる。これ以上傷つきたくないとこわがってばかりいる。もう嫌だ。何もかもから逃げだしたい。どうして生きるのってこんなにつらいのだろう。
 朝がきた。一日のスタートだ。
 昨晩、遠藤さんに「ありのままの命を肯定し、それを祝福すれば幸せになれるんだよ」と言われたが、私にはそんな教祖様みたいな考え方はできない。
 遠藤さんに「初夢は何だった?」と開かれた。遠藤さんいわく、初夢は元日の夜、見た夢だという。私はてっきり元日の朝かと思っていた。

(1995.1.12 H)
 今日はちょっと寄ってみたのだ。実はテスト中なのだが、全く行かないで、完全に忘れられて、「君、新人?」と聞かれたら困るので。

(1995.2.4 K.N)
 遠藤さんの好みのタイプは、行動派、一見、天使様のようで、芯の強い人。
 「職業は看護婦なんかがいいですねー」(滋)
 私の好みのタイプは、カウンセラーのように話が聞き上手で、教養のある人。
 「かなり年上で尊敬できるような人がいいですね」(K.N)
 O.Rちゃんの好みのタイプは、何か一生懸命にやっている人。「好きになったら、その人がタイプ」(O.R)遠藤さん「固定観念にとらわれない人、を付け加えて」

(1995.2.9 O)
 寒いよお!! 遠藤くん、暖かい所でスヤスヤ眠っているが、起きている自分は、ファンヒーターを従え、台所で一人震えています。ここは防寒対策ができてなーい。寒さの苦手な自分はこのノートを書きながら、一人グチっています。
 時は流れて、今の介助者の皆さんは、とてもよく介助ノートで交流している。自分らの頃は、「俺の話を読め!!」的なのが多かったが、喜ばしいことである。もし、介助者同志でカップルが出来て、結婚なんて事になったら、あの遠藤くんが仲人になるのだろうか? そうすると介助者仲間ということで自分も呼んでもらえるのだろうか?などとよくわからない事ばかり考えている。なぜって、ここ寒すぎるんだもん。
 P。S。遠藤くん 石油ストーブ買おう!

(1995.2.16 O.R)
 友達はたくさんいた方がいいよね。少しでもいいけど。
 自分のこと、ちゃんと分かつてくれた上で、いろんなこと言ってくれる、大切な存在だよね、トモダチは。
 そーいえば、このまえ、ある人(もう五年近くつき合ってる大切なトモダチ)から、「あんたと話すと刺激をうけるよ」と言われた。すごく嬉しかったな。
 恋人というのは、やっぱりその人にとって、大切な存在である人なのでしょう。違いねえ。分かんないなあ。友達も恋人も大切なものに変わりはないから。
 結局、なんだかんだ言っても自分は自分。
 たった一人しかいない。
 どうあがいても、自分以外のものにはなれない。
 それなら、そんな自分を受け入れて、「一番ステキな自分」になりたい。他の誰にも似ていない、自由で強い自分。それが、最近やっと見えてきた「漂とした女」のビジョン。
 だから、私は今の自分がけっこう好き。もちろん嫌いな部分もあるけれど。まだまだ未熟者だけど、絶対にイイ女になってやる――、って思いながら生きてると、人生なかなか楽しいよ。
 下を向いて歩いていたら、前は見えない。辛いことばかりふりかえっていても楽しい気分にはならない。せっかく、この世に生まれてきたのだから、それを大切にしたい。
 未来を夢見るのもいいけど、「今」を充実させとかないと、それが後悔のタネになる。後悔は人生で一番つまんなくて役にたたないことだと思う。だから、まずは「いまを生きる」ことが大事だよ。後で悔やむことのないように。

(1995.2.23 W.M)
 僕が遠藤さんの所に来て一番嬉しかった事
 それは遠藤さんが僕を必要としてくれている事
 また、他の介助者の方が僕を一人の人間として認めてくれている事

(1995.3.10 K.M)
 この一年の間に、介助者の間に遠藤さんの言う「横のつながり」というものができたように思えます。それは介助者にとっても、遠藤さんにとっても良い事だし、これからも大切にしてほしいと思います。
 ただ最近、その輪に入れない私には、このノートが友達同志の交換日記のように思えて、どうも書きづらかったのです。このノートのあり方について、どうこう言おうとしているのではありません。うまい表現が見つからない・・・。自分がもっと積極的にならなければと思うけれど、あまりそういう性格ではないので・・・。

(1995.3.11 H)
 ぎくう。友達同志の交換日記というのは、もしや自分のことでは・・・ぐさっ。
 世の中に情報が氾濫するようになって、私たちはいかに重要な情報だけを取り入れていくかに着目する必要が出てきました。要はノイズ程度のものは無視しましょうということです。
 ずばり言うと、私がいつもこのノートに書くことは、いつもノイズです。筆者が言うのだから、きっとそうでしょう。
 しかし「ノイズだったら書くなよ」ということになるかというと、ちょっと違う。このノイズは生きている。流動性をもっている。
 ここに書いてあることは、いつかノイズでなくなるかも

 最近分かったこと。
 大切なことは真実を伝えることではなくて、知らせたい真実をいかに大きな気持ちで包み込むのかということ。

(1995.3.24 K.N)
 遠藤さんは今、熱があります。39.6℃もあります。
 私は朝8時から遠藤さんと一緒にいます。私は看護婦です。看護婦の仕事は、患者のもっている回復力を引き出すこと、高めることです。
 でも、私は何もできません。やったことは、遠藤さんの頭に私の手を当てたぐらいです。私の手はいつも、とても冷たいです。この冷たい手が少しは役立つたでしょうか。
 いつも私は自分が大好きです。でも、今日は少し考えてます。
 遠藤さんは今、つらいだろうなあと思います。
 私にとって、愛とは、そのつらさをわかろうとできること、恋なら、そのつらさを真似るって感じかな。人に考えを伝えるのは苦手だなあ。字を書くのも苦手。意見は目を見た方が伝えやすい。会えた時にもっとみなさんと話したいと思っています。

(1995.3.31 I.M)
 遠藤さんが「指揮者になりたかった」と言った。
 指揮棒こそふっていないものの、その、ものをよく言う輝かしい日で、様々な人の心に眠っているものをおどらせ、ここでみごとなハーモニーをつくりだしている、素晴らしい指揮者であることに、あなたは気付いていないのか。

(1995.7.31 S.H)
 もう7月も終わっちゃうのですヨ。えーっ、こまった。
 今日、ゴキブリが二回も出た。
 二回、つまり、二匹ですよ。それも一匹なんて直径3cmはある巨大サイズ。こわかった。見つけた時、遠藤さんはべッドなのに、一人で逃げちゃった。本当にごめんなさい。すごーく大騒ぎして、やっととったら、遠藤さんいわく、「太陽系の爆発のようだ」そうです。その後、10分位は、心臓のドキドキが止まらなかった。みなさん、ゴキブリに気をつけてください!!〈登場した時は、がんばって戦おう〉

(1995.9.5 K.M)
 私は最近、悩みごとが多く、本当はあまり元気ではありません。といっても、実はたいした問題ではないことが多いのですが。それで今日も電車の中で考え込み気が滅入ったまま、遠藤さんの所へやって来てしまいました。それがKさんの挨拶と笑顔で、私は元気を取り戻すことができました。「人間て単純なものだよ」と遠藤さんに言われました。私もそんな気がします。

(1995.9.12 W.M)
 遠藤宅は僕にとっての竜宮城のようなものなのかも

 何かここの部屋に流れている時間だけは絶対に正しいように思う。
 何が起こっても、ここでの時間だけは、絶対的な真実のもとに流れているように思う。
 君と二人で共有できた、この『今』に乾杯。
 そして、ここでの、この真実の時間を共に歩んできたみんな、本当にありがとう。そして、これからもよろしく。
 これから、たとえどんなことがあろうとも、この真実の時間だけは、きっと生き続けているだろう。
 ささいな・寂しさや余計な心配・気配りなんてしなくていい。そんなことは必要ないさ。
 ただありのままに『今』を見つめ、『今』に生きるだけでいい。
 この時間の中に身を置いていると、全ての生命・ありのままの命をもう一度考え直してみたくなってくる。
 ただただ漠然と生きるのではなく、生きることに何かを見いだしていくという事を深く考え直させられるのである。
 遠藤家は僕にとっての竜宮城と冒頭で述べたが、ここの時間が正しいのか、外界の時間が正しいのか、それとも他の別の時間が存在するのであろうか、そんな事は気にするに足りないものなのかもしれない。

(1995.9.23 I.N)
 人間って不思議な生き物だなあと最近、思います。
 どんなにつらいコトがあって、死にたいとか思ったり、生きる気力を失っても、ちゃんとお腹はすくし、眠いと思う。
 そんな自分が心から好きになりたい。
 今は笑うことが出来なくても、「そのうちきっと」と信じて生きていきたい。だから、私は元気になります。
 皆さんから勇気をいただいたので、私はまたがんばれそうな気がします。

(1995.9.25 K)
 最近、遠藤さんちはゴージャスだあー
 トイレのペーバーが香りつきだあー
 スリッパがおニューだあー
(1992.1.15 Y)
 「介助者」の中にも、めでたく成人される方いらっしゃるんでしょーね。おめでとうございます。
 「子供」と「大人」の境ってよくわかりませんけど、実際「ガキ」というか、「子供」っていう人種はいるような気がします。はっはっは。
 まあ「大人」になっても、今の自分にとどまらず、自分さえ決めりゃ、どんどん変わっていける、と思いますので、お互い新鮮な発見なんぞを楽しみに進んでいきやしょう!! なんてね。
 今日はいい天気。富士山と丹沢連峰が雪をかぶっているのが見えます。さわやかです。じゃ、また。

(1995.10.2 O)
 ボーッとしながら過去を振り返ってみた。
 ここに来て、たくさんの人と会い、たくさんの人と話をしました。何人かの方にはマッサージもしました。
 昨年の暮れから年始め、なんだかんだと近いこともあって、ちょくちょく顔を出しておりました。最近、遠慮というものがなくなってきたのではないかと危惧しております。一度、初心に帰って、しっかりと自分を見つめ直し、介助にあたろうと思いました。
 と、固いことも考えつつ、まあ適当でいいかなどとも考えている始末。まあ日々いろいろなことも考えているので、考えがまとまらず、右往左往しつつ、生きており、年をとっていっても、昔と変わっていない自分に気づきます。ま、いいか。

(1995.10.21 K)
 遠藤さんと落ち着いた時間をいまだに過ごせずにいて、そういう自分が口にするのは似合わないけど、最近よく感じてることは、今ここにいる、在るってこと以上の大事件は、もう生涯起こらないだろうなあということ。
 「在る」ってものすごいことです。
 いちばん当り前なことに見えて、いちばんあやしげな、いちばんよく分からないことじゃないですか。考えてみると。
 「在る」と「無い」との境目を探そうとすると、くらくらしてしまいます。そういうこと考えてると、妙にうれしいようなさみしいような心持ちになります。
 いちばんの『大前提の不思議さ』を死ぬまで、味わいつくそうと思ったら、(今はまだよく知らない)全然、たいくつしないような気がします。本当に味わおうと思ったら、「あなたなしではいられない」ってことになるだろうし。
 という訳で、これは進路のこと考えてる延長なんですが、とりあえず、自分がここに在るっていう以上の事件を起こそうとムリしなくていいんだなあと思うようになってます。いやあ、在るって不思議だなあとしみじみ感じつくそうとしてれば、いろいろ向こうから来てくれんのかなと。きっと遠藤さんは、そういう人なのだと思います。

(1995.11.24 O.R)
 「遅刻」のことで私も一言。
 私は、最近、よく遅れてしまいます。それ自体、いけないことだし、そんな私がエラそうに言うのも何だけど、以前、とっても頭にきたことがあったので書きます。
 「どんな理由であれ、チコクはチコクだ。たとえ一分でも二分でもチコクにはかわりない。たとえ、思わぬ理由で遅れてしまったのだとしても、まず第一声は『すみません』だと思うぞ」ということなのです。
 私は以前、毎回のように後に入る方に遅れられたことがあって(しかも連絡なし)、やっと来たかと思えば、電車がどうの、道がどうの、あげくのはてに、入る時間を勘違いしてたり、ちょっと待ってよーと思ったことがあったのです。一度は、いきなり言い訳するもんだから、「それは言い訳でしょ」とイカったら、「言い訳じゃなくて、どーだ、こーだ(もう立派な言い訳)」ますます頭にきて「いーからあやまれ!!」とどなりつけてしまった。だからさ、
1、チコクは絶対しない
2、もし遅れるようなら必ず連絡する
というのは常識として、
3、遅れてしまったら、何はさておき「すみません」とあやまる
というのは礼儀だよなァと私は思うのです。たとえ遅れたのがほんの二、三分であったとしても、それでも遠藤さんは不安になっちゃう訳だし。何より、言い訳はあきまへん、言い訳は。という訳で、ずいぶんエラそうではありますが、私もしっかりと時間は守りますので、みなさんもよろしくお願いしますね。