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最近の体調について

 最近、とはいっても実は昨年の12月の初句からなのですが、ぼくの体の緊張が、全身的にかなり強くなっています。

 4日に赤堤の東京新教会で行われた『えんとこ』の上映会で、監督の伊勢とのトークのために会場まで出かけていったとき、すでにその兆候はありました。なにやらえらくしゃべりにくかったのです。
 それが日に日に強くなっていって、10日頃には我慢ができないほどになり、ついにかかりつけの整形外科のドク夕ーに往診を頼み、中枢性の筋弛緩剤(セルシン)をそれまでの3倍、末梢性の弛緩剤(ミオナール)を2倍に増やしてもらって、それで様子を見ることになりました。

 そのまま2000年の年を越して、1月の10日過ぎまでは少しずつ緊張がほぐれていっているような感じがあったのですが、それから急に緊張の状態が不安定になり、ついにそれまで月に3回ほど来ていただいていた管理栄養士の松月さんに、まっさきに”SOS”のメールを出したのです。
 それは、いちばん影響が出るのが夕食時、それもとくに後半だったからです。

 緊張が強くなれば首の筋肉にも力が入り、顔の向きも定まらなくなります。食事中にものを喉に詰まらせたり、そこまでいかなくてもなにかを気管支や肺の中に吸い込んで、はげしくせき込んだり、それがもとで肺炎になって高熱をだしたりすることに、以前から最心の注意を払っていたぼくでした。そのままあの世行き、ということにもなりかねないからです。
 それが、自分ではコントロールしきれなくなってしまったのだから、自分でもどうしていいか分からない。ほとんどパニック状態に陥っていました。

 必要な食事の摂取量は、できるかぎり摂っておきたい。夕食は、約600Kcal。朝食とあわせて、せめて1日の基礎代謝量(1,200Kcal)をうわまわっている必要があります。たえず食べ物を喉に詰まらせないようにしながら、うまかろうがまずかろうが、途中で疲れようが、とにかく自分の健康の維持のために食べきっておく必要がある、というジレンマ。
 これが、その時ばくをとらえていた、強迫観念でした。

 自分のいのちを、ここで終わらせたくない、という気持ちのあらわれでもあったと思いますが、とにかく、夕食は、ぼくにとって全く苦行でしかない、というところに再び落ち込んでいたわけでした。
(中略)
 それから、なぜこういうことになったのか、その理由が、なんとなく分かってきました。もう数ヶ月も前から、腕が痛い、肩が痛い、などとしきりに訴えていたことを思い出します。そのころから、じつはからだの緊張はすこしずつ強くなっていたのです。とくに食事の時、顔の向きをコントロールするために、右腕や肩に無意識にかなりの力を入れていたことはまちがいありません。
 いまでも、じつは右肘を脇腹の右に置き、手首を顔の横に置くという、例のポーズがいちばん 上半身をコントロールしやすいことに変わりはないのです。でも、それが痛みを呼んでしまう。これもまさにジレンマです。

 最近、食事中にはなるべく腕を下にさげ、痛いところを絶えず揉んでもらっているのは、困ったあげくの、いわば窮余の一策なのです。たとえ腕を下に向けていたとしても、やはり肩にはかなり力を入れないと首を安定させることができない。
 痛みは緊張を呼び、緊張はさらに痛みを増幅させてしまうので、その悪循環を絶つためには、あのマッサージはとっても意味があるのです。介助するひとは、自分の指だけでなく、手のひらや、手首を使い分けて、自分自身の手をいためないように工夫しながら、なんとか続けてほしい。今のところ、これは食事介助の一部、と考えておいてください。

 3月1日に、小平の専門病院でMRIの断層写真を撮ります。ぼくの場合は眠っていない限り動いてしまって鮮明な画像が撮れないので、全身麻酔をかけます。だからけっこうおおごとになります。その日の夜までに帰ってこようとは思っていますが、もしかしたら一晩病院で過ごすことになるかもしれません。

 あとはその結果しだいです。その病院のドクターは、頚椎そのものには触れずに、首の回りにある筋肉の一部を何ヶ所か切断して、頚椎にかかる物理的な負担を軽減し、頚椎症の進行を防ぐ、という手術の方法を研究したひとで、これなら5日か6日入院するだけですむそうです。

 頸椎そのものにメスを入れる方法も、大きく分けて三つほどあるようです。でも、その場合は入院期間だけでも半年。手術そのものも高等な技術が必要だし、術後の管理もむずかしいので、いままでぼくは、しないと決めてきました。
 しかしそれらの可能性をもふくめて、今年一年はいくつかの病院をまわって、実際に自分が受診し、ほんとうに納得できる治療方法をもう一度探してみようと思っています。

(2000.2.13)