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遠藤 滋
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その一週目。
 懸念にかかわらず、二、三日で明らかな反応が感じられた。肋骨の、上から数えて七番目、まん中よりすこしわきの上下の肋間が誘発帯といわれる場所らしい。そこに微妙な角度で圧をくわえられると、しばらくしてそこがズシーンと重くなる。
 気がつくと、胸がいっぱいにひろがっているのだ。わたしは、はじめて自分の肋間筋を使わずに呼吸をしてきた自分に気づかされた。ただし57年もこれを動かすことなく自分の身体をつくってきてしまったのだから、胸郭にはおおいに抵抗感があった。週末には、ちょうど使いつけない筋肉を使ってしまったあとのような痛みがのこったほどだ。
呼吸とはかかるものかと驚きぬ胸をひろげてそを味はへり

その二週目。
 一週目に感じたような反応はますます確かなものとなり、呼吸がしやすくなっただけでなく、肩がうしろに引け、左傾していた首がまっすぐになるという反応がおこった。そしてそれとともに、すくなくとも理学療法室の台の上では、自力で顔が右へ向けられるようにさえなったのだ。
胸張ればおのづと首の伸びきたりす直ぐになりそむ左傾したるも
息深くなれば余裕のうまれしやむ噎せ返ること少なくなりぬ

 ところがこの週の木曜から、わたしは気管支炎にかかって寝込んでしまうことになる。これが回復するまでに約十日間。このブランクはなんとも残念だった。
幾重にも閉ざされし箱その中に痰のからみしわれ臥しをりぬ
暁に痰のつまるを知りをればぬるにも怖れわれ抑へえず

 こわごわ理学療法室に復帰できたのが、すでに四週目のはじめ。本来ならば最終週である。退園日を一週間のばしてもらったものの、自宅にもどるまでに介助者にしっかり方法を身につけてもらえるかどうか、心配だった。それに、二週目までに起こっていたあの劇的な変化を、ここにいる間にさらに確かなものにしておきたいという想いもあった。
 幸い、からだの反応はすぐにもとのとおりに戻っていった。しかし、病み上がりの状態である。しかも自宅での生活状況や、日常の自覚症状の悪化など、細かいことについてはまだ先生たちには十分に伝えきれていないことが多々あった。
 これでは帰宅後の療法の継続について、安心できる相談を受けることもできない。あせりの感情に、わたしはとらえられていた。
 しかもこの週、足のしびれがまた一段と強くなっていた。園長の富先生によれば、気管支炎にかかっている間に激しい咳をしたのが頸椎を刺激したのではないかという。それはそうとしても、わたしは疲れ果てていた。
 介助者は、ひとりを除いてあとのふたりはおおむね一週間交替。なかにはわたしの想いを十分に理解できていないひともいる。チームワークをつくるのもなかなかに大変だったし、滞在が一週のびたことで、トラブルも発生していた。
わが為に日帰りにこし君なるをごくさりげなく「見舞ひに」といふ

五週目。
 とはいっても、一日はやく退園せざるを得なかったので、実質は四日間である。そのうち、退園時評価と退園時診察に一日。療法ができたのは二日間ほどで、介助者ともども疲れ果てて一日休んでしまった。