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ケア生活くらぶ … 遠藤がなぜ発起人?
いま、ぼくは東京の街のまん中で、ひとり暮らしをしています。あえて「自立生活」などとは言いますまい。
それらのひとびとを、ぼくはいままで、「介助者」と呼んできました。 どこまでいっても決着のつかない論争に、ぼくは決着をつけました。
どんなひととでも、互いにそのいのちそのものをいかしあって生きる。たとえそのいのちが、どんな姿をしていたとしても…。
いま、いわゆる「介助」のひとたちに、ぼくは必ずしもおなじものを求めていません。 だから、ぼくは、望ましい「介助」だとか、「介助者」はいかにあるべきか、といった論議には、まったく興味がない…。
じつは、ぼくにとって問題なのは、たえずぼくのところに来てくれる「介助」のひとたちとの、人間関係なのです。相手の意識がどうであれ、ぼくの側からは、お互いにそのありのままのいのちを“いかしあう”関係をつみ重ねたい。そうである以上、お互いに使いにくい設備を、そのまま放っておくわけにはいかないでしょう? これまでも、ぼくはせっかく来てくれたひとを、迷いに迷ったあげく、介助者としては受け入れないという決断を、何度もしてこざるをえませんでした。その中には、たとえば精神障害を持っているために、一対一では介助は無理、というひとも含まれていました。
“すまい方”(住居のあり方とそこでの暮らし方)の検討は、やはり必要です。それぞれのひとの暮らしかた、仕事のしかたを、かなり基本的なところで、枠づけているからです。
『ケア生活くらぶ』が、現実の課題としているのは、いわばそうしたことなのです。都内でのケア生活館の建設のための取り組みと、西伊豆での農場づくりを柱として。 |