・TOP ・トピックス ・遠藤 滋 ・結・えんとこ ・えんとこ ・ケア生活くらぶ ・連載情報 ・障害者自立支援法 施行問題
・支援費制度問題・映画『えんとこ』 ・掲 示 板 ・アンケート ・スタッフ募集!! ・リンク集 ・更新履歴 |
臨時代表 清水奈央 脳性マヒによる障害者・遠藤滋は、1977年当時から筆記や食事等を介助者に頼るようになっていました。このころ、本人は実家から都立光明養護学校に出勤。その後、結婚のため新居を構え、やがて子供が生まれ、子育てに追われるようになったのです。 その間、職場での過度な緊張や無理な動作の積み重ねにより、頸椎の変形からくる神経障害がいっそう進行することになり、次第に全面的な生活介助を必要とするようになりました。しかし、介助者は常に不足し、大学や駅頭等でチラシを配るなどして自分の周りに介助者のネットワークを形成してゆきます。 これが「遠藤滋&介助者グループ」の始まりです。当初はまったく個人的な必要からつくっていった“介助”を介した人間関係は、これがひとつのグループとして地域でのイベントに参加したり、独自の催しを企画したりする中で、次第にそれを超えた性格を持つようになりました。 やがて遠藤宅、及びこの介助者グループは、そのコミュニケーションのための通信の名前をとって「えんとこ」という通称で呼ばれるようになり、とくに1999年、映画『えんとこ』(監督・伊勢真一)が話題になることにより、その特色ある性格が世間に知られるところとなるに至りました。 ところが、本人の障害はこの後急速に悪化の一途をたどります。これに追い打ちをかけたのが2003年4月より障害者の介護に市場原理を導入した「支援費制度」への必死の対応でした。そしてこれが、決定的な一撃となってしまったのです。身体の状態が悪くなればなるほど、その介助は微妙で難しいものになってゆきます。そのため、「えんとこ」の維持はいま、極めて困難な状況にあります。「支援費制度」が導入されてしまった現在、だからといってこの灯を消してしまっていいのでしょうか!! 1985年、本人は白砂巌氏と『だから人間なんだ』を編集し、これを出版。このことをきっかけに、障害のあるなしにかかわらず“自らのありのままのいのちをいかして生きる”ことが最も自然な生き方だと気づくことになりました。以来、本人は介助を受けることをひとつの具体的な契機としていかし、そうした事実を伝えたいと願ってきました。 「えんとこ」の特色ある性格は、多分に本人のこの強い願いによって形づくられたともいえるでしょう。“いのちをいかし、いかしあう”ことを感覚として共有すること…。このことが、今だからこそ求められているのではないでしょうか。 しかしながら、これは単なる個人的な関係を深めるだけでは全うできないことを、わたしたちは知っています。ぜひとも“たがいの固有のいのちをいかし、いかしあえる拠点”としての、社会的な性格を持った共生住宅、「ケア生活館」の建設を自分たちの力で実現させたい。こうした生活拠点を持ってこそ、わたしたちは初めて自らの意志でそれを確かなものにし、さらにそれをネットワークとして広げてゆくこともできるでしょう。 たしかに、それは容易なことではないかも知れませんが、一定の数のひとたちが心を合わせ、本気になってこれに取り組みさえすれば、決して不可能なこととはいえません。それこそが既存の社会や政治のあり方からの、わたしたちひとりひとりの全面的な自立といえます。時の政治によって生活が振り回されることも、そこではありえないのです。 いまの政治家や官僚たちに、この先いったい何が期待できるといえるでしょうか? これらのこともふまえて、わたしたちは「えんとこを支える会」の活動として以下のようなことに積極的に取り組むことにしました。いわゆる「えんとこ」らしさをいかし、それを維持・発展させるために…。みなさま方の参加と、ご支援、ご協力を呼びかけます。楽しい、実りとやりがいのある活動にしてゆきましょう。
(2004.6.1)
|