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基準該当団体『結・えんとこ』の設立にあたって

「えんとこ」を支える会


わたしたちは、「支援費制度」とその「介護保険制度」への統合に反対します
 日本国憲法の第二十五条には、基本的人権の根底をなす「生存権の保障」が謳われています。ところが近年、政府は障害をもつ者の介助に関する分野にまで、市場原理の導入をすすめてきました。しかしこれは、特に重度の全身性障害者の生活の現状にはなじまないばかりでなく、その生存すら脅かす結果になっています。こうした事態に責任を取らず、むしろそれを全面的に放棄しようとしているかに見える政府に、わたしたちは大きな不信と、深刻な危惧の念を抱かざるを得ません。わたしたちは政府がこうした方針をすみやかに改めることを求めます。

わたしたちは、今の現実をみすえた上であえてこの基準該当団体を立ち上げます
 「えんとこ」と呼ばれるようになった“交流”や“学び”の場を、自らの介助を通じて形成してきた重度の脳性マヒ者、遠藤滋は以前からその二次障害である変形性頸椎症を起因とする諸症状に悩まされてきましたが、最近それらが特に急速に進行しています。本人の委託を受けたヘルパーが、その意思を確かめながら、ともに体調などの細かい変化を把握し、生活に必要なことがらを管理し、それらを共通理解として徹底することが不可欠です。複数の事業者によるヘルパーの派遣では、そんなことは望むべくもありません。そこで、やむを得ざる選択として、あえてこの事業所を自前で立ち上げることにしました。

わたしたちは、あくまで“ひと”と“ひと”との係わりを第一に考えます
 事業所を立ち上げる以上、こうした制度に反対であってもその基準を満たす必要があります。運営形態や給与体系なども可能な限りしっかりと整えたいと思いますし、それは対社会的な意味をも持つことになります。しかしわたしたちはもとより営利を目的とするわけではありません。当面は遠藤滋をその代表者とし、当の本人が唯一の利用者でもあるという形をとらざるを得ませんが、将来的には複数のひとが利用でき、質的にも今ある一般的な事業所の枠を越える可能性を創造的に追求します。“ひと”と“ひと”との間に生まれる金銭を超えた直接的な関係…。これがわたしたちの着目点です。

わたしたちは、「障害」のあるなしにかかわらず同じ基盤に立ってこれを運営します
 お互いに“いのち”であるからには、「障害」を持っていようといまいと同じ基盤に立ってその“いのち”をいかしあえるはずです。そして、むしろその方が自然でしょう。それがかえって特別なことのように見えるのは、ただ単に現在の市場経済のもとで、“ひと”と“ひと”との関係までもが、知らず知らずのうちに金銭を介した関係として意識されるようになっているからにすぎません。もちろん、このような経済社会に生きる以上、それは介助という一方的な形をとらざるを得ないことが多い。そしてそれには金銭的な保障も必要でしょう。しかし、それは介助という行為のほんの一面でしかありません。そこにはもっと豊かな可能性が隠されているのです。自分を自分の枠内に閉じこめない生き方…。「障害」を持つがゆえに身をもってこの事実に気づく者がいるのも、また確かなことです。あえて「えんとこ」を事業所として立ち上げる以上、こうしたことをまともに考えながらその運営を行なってゆきます。

わたしたちは、“いのちをいかし、いかしあう”感性をなにより大切にします
 いったん「障害」を持った者は、決して“ひとりよがり”で生きることは出来ません。事実として、自らがやりたいことはまっすぐ他人に伝える必要があります。さもないと、それを手伝ってもらえないからです。何も実現できないばかりでなく、いのちの営みすら全うできない…。いくら煩わしくても、ひととの間にそれができる関係を創ってゆく必要があるのです。でも、このことは「障害」があろうとなかろうと、実は他のすべてのひとにとっても、同じことなのではないでしょうか。違うことがあるとすれば、自らの“いのち”にいま直接にかかわる緊急性においてぐらいのことです。たとえどんなことになっても生きようとする“いのち”の息吹きと輝き。そしてその限りない可能性…。それを「障害」を持つひとにしばしば感じることがあるのは、そのせいかもしれません。それならそれをただ美化するのではなく、いっそのこと共有してゆこうではありませんか。必要なのはお互いの“いのち”に根ざしたイマジネーションとコミュニケーションだけです。わたしたちは“いのちをいかし、いかしあう”感性を何より大切にします。

 繰り返しますが、わたしたちは国及び地方自治体による介助の公的保障を求める立場になんら変わりはありません。
 とくに「支援費制度」や「介護保険制度」のもとで、一事業所として出来ることに限界があるのは初めから分かりきったことです。資格、単価、利用上限に係わる問題等々、どれひとつをとっても釈然としないことばかりです。それに制度の先行きも極めて不透明です。国はもとより、当該の世田谷区はその公的責任において、直接「障害」をもつ者への介助業務から手を引かないで欲しい。
 しかし、あえてわたしたちがこの事業所を立ち上げるのは、厳しい状況の中でせめてこの機会を転じて逆に積極的にいかし、一事業所としての限界を超えて、新しい人間関係の入り口としての介助のあり方を具体的な中身として示せれば、と希うからです。そしてこれをいわば捨て石として新しい世界を開く跳躍台としたい。それができさえすれば、それだけで十分とわたしたちは考えています。
2004年6月1日