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遠藤 滋
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  第37号
1995年10月22日発行

Izumida wasabida ta no mizu sunde,
Tsumetai tamamizu potari to ochita.

 暑かった今年の夏も終わり、いつのまにかすっかり秋になりました。すずむしの声に、何となくもの想わるる秋です。
 ぼくにとって、この夏最大の出来事はやはり恒例の伊豆ゆきでした。海につかって身体を動かすことは、確かにいい。これだけはプールもおよばないし、どんな治療にもまさって緊張がほぐれ、元気も出るのです。しかもその影響が長続きする。今年はあきらめかけていただけに、そのことが確認できて、とてもいい思いができました。
 でも、ちょっとした事件もあったのです。最初の日、松崎からは南どなりの岩地という、岩にかこまれた入り江にある小さな浜に行ったのです。
 とても水のきれいなよい浜辺だったのですが、入ったとき、少し冷たく感じてからだがなかなか水温になじまなかったので、一度水からあげてもらいました。波打ち際に、足を海の方に、頭を岡の方に向けて寝かされていると、突然、背中の下の方にかすかないたがゆさを感じました。しかもそれが、波がきてそれに洗われるたびに広がってゆくのです。背中全体から首や頭の後ろまで広がり、ついに耳や手の指の間までがちくちくと痛みだしました。
 助けを求めて起こしてもらったら、「血だらけだよ」と介助者の方が大騒ぎ。なんでも、透き通った小さな虫が一面に食らいついていたのだそうです。あわてて払い落としてもらい、そのまま浜に置いてあったストレッチャーにのせられてしまったので、ぼく自身は正体を見なかったのですが、いったい、なんだったのでしょう。それでもぼくは海に入りたかったのだけれど、それで帰ることになってしまったので、本格的に水にはいることは翌日に持ち越されてしまいました。
 次の日は去年と同じ松崎の浜で、思う存分に海の中で身体を動かしてきました。
 え? 冒頭のローマ字で書いたタイトルはいったいなんだって? 本当は全部平仮名で書いたのですが、ためしに漢字まじりに直してみます。
 「泉田わさび田田の水澄んで 冷たい玉水ポタリと落ちた」 これは実は泉田さんのために作ったことばあそびうたで、彼女は一緒に行ったうちでただ一人の女性でした。ちなみに、伊豆にはわさび田があちこちにあります。
 伊豆に行っている間中、ぼくは彼女を相手にぶつぶつとことばあそびを考えていたので、みんなに馬鹿にされていました。彼女はこの秋、大学の合唱部で、谷川俊太郎の「ことばあそびうた」に、吉岡弘行が作曲した作品を唱うのだそうです。それで、話が合ったというわけでした。

 8月末にちょっと涼しくなったころから、ぼくは夏の疲れがどっとでて、とうとう9月10日に40度の高熱を出してしまいました。翌日には熱も下がって、かえってすっきりして元気をとりもどしましたが、しばらくはできるだけ無理をしないように注意してゆこうと思っています。
 介助を依頼する電話も、9月の初めから和田さんに手伝ってもらっています。それだけでも忙しい夜の時間帯がずいぶん楽になり、気分的にもたえず追い立てられているような感覚が軽減されて、身体も休まるようになりました。
 このことも含めて、例えばこのえんとこ通信の発行なども、少しずつ責任をわけ持ってくれる人が何人かいてくれるとありがたいのですが。
 小串君のおかげで家もびっくりするほどかたずいてきて、それだけでも積極的な気分になれます。そろそろほんとうにやりたくてできないできたことが始められるかな、と思っているところです。感謝、感謝! (遠藤)


介助者探しをお手伝いしています

和田 亜希子

 昨今、介助者同士の横のつながりがうすいということが言われていました。5年ぐらい前(?)は、介助のスケジュールも、えんとこ通信も、介助者同士で(別だん決めることなく)協力しあってやっていたようです。いつのまにか、えんどうさんが自分一人でやっていて、現在に至ったようでした。私もえんどうさんの介助に入るようになって1年と6ヵ月…。電話がきて、空いてると介助に入るという調子でした。
 ある時、えんどうさんが、「明日の介助に入る人、探さなきゃ」と介助者探しに追われていることを知り、それによってのストレスとか、不安を知り、それじゃなくともねたきりの状態というのはストレスが溜まりやすいのに…、と改めて感じました。
 えんどうさんが1日にかける件数には限りがあって(言語障害で多くできない)夜は食事をとったり、歯みがき、リハビリ、と他にもやることが結構あって電話しようとすると10時すぎてしまったり、体調が悪かったりすると、電話するには、きつかったりします。
 私にお手伝いできるなら、やってみようと思いました。

 Quality of Lifeという言葉があります。その言葉を知ったのは「病院で死ぬということ」という本でした。末期癌の患者が治療や痛みのために何もできないで終わるのではなく、痛みをコントロールしながら自分のやりたいことをやり、愛する人や家族と今の生を確かめあったり、来るべき死を悲しみあったり、その人がその人らしく最期を迎えられるようにする「ホスピス」の話です。
 Quality of Lifeという言葉は、末期癌の患者だけにあてはまる言葉ではなく健康な人にも、そうでない人にもあてはまり、もちろんえんどうさんにもあてはまると思います。
 えんどうさんの Quality of Life をささえるお手伝いをすることは、関わっているみんなが、自分自身の Quality of Life を考えるきっかけにもなると思います。交代でできる方、他にもいらっしゃいませんか?


交流会をしました
 9月30日の土曜日、遠藤宅で介助者交流会を行いました。
 えんとこ通信を発行する力もなかったので、ただホワイトボードの予定表に書いておいただけなのですが、10人近くの人が集まり、飲んだり食べたり、ゲームをしたりして、とても楽しいひとときとなりました。最悪の場合は介助に入った小柳さんと二人だけででもやろうと言っていたのですが…。話にも花が咲いて、終電に乗り遅れた人が続出。5人の人がここに泊まることになってしまいました。次の機会は、忘年会かな? (遠藤)

♂ 忘年会について ♀
 ついでにお知らせです。きたる12月16日(土)に忘年会を開きたいと思います。それまでにえんとこ通信を出せるかどうかわからないので、ちょっと早すぎるとは思いますが、今のうちにお知らせしておきます。
日時 12月16日(土)
    4:00PM〜       準備(みんな遠慮しないではやく来ましょう)
    5:OOPM〜9:0OPM 忘年会
場所 遠藤滋宅

 食べもの、飲みもの(特に高級な日本酒)、寝袋、歯プラシ、洗面器、なんでも持ち寄り大歓迎i(ただしネコ以外!)
 みなさまのおいでを心よりお待ちしています。

文責 泉田&加藤


介助料について
◎ ご注意  介助料の振込は、新総合郵便貯金通帳でないとできません。「新」になっていない場合は、外からの振込ができないので、ぜひご確認ください。通帳と印鑑、それに何か身分を証明できるものを郵便局に持って行けば、切り替えや新規の作成は簡単にできます。
 また、それでも振り込まれていないなど、不審な点があればどうか遠慮せずに遠藤、または会計の平沢さんにおたずねください。

なお、この介助料についてあらためてご説明します。
 これは、遠藤の生活費とははっきり区別されたものです。重度脳性マヒ者等介護人派遣制度による介護料(代表登録者 斉藤浩子)と、緊急介護制度による介護料(代表登録者 荻野麗奈)との合計を財源としたもので、行政から出ている純然たる介護料です(ポランティア委託)。
 遠藤の生活費は、公立学校共済年金、国民年金の障害基礎年金、それに親がかけておいてくれた扶養年金でまかなっています。合計すれば25万程度にはなっています。ご心配なく。
 このほかに、国や都、区からそれぞれに微々たる額の福祉関係の手当が支給されています。このうちの重度心身障害者手当を、いま、介助者の交通費など、介助にかかわる諸雑費にあてているわけです。
 ただ、介護料はこの15年あまりにわたる障害者たちのねばりづよい運動によって勝ちとられてきたものだということだけは、知っておいてほしい。
 現在、世田谷区との交渉のなかで、推薦登録ヘルパー制度の新設が議論されていて、代表登録を認めるかどうか、研修を特別に義務づけるかどうか、などが争点になっています。また重度心身障害者手当については、10月11日の交渉でもたたかれていて、これは介護料ではない、ということが確認されていました。諸雑費については、ほかに出所がないので、ここから出しているだけなのです。
 現在唯一の役所からの人的派遣である家庭奉仕員(ホームへルパー)の増員も、引き続き要求されています。とりあえずここまで。 (遠藤)

ぼくはいま、どう生活したい?
 ここらで、ぼく自身が今、いったいどういう生活をし、その中で何をしてゆきたいのかをはっきり伝えておく必要があると思います。

 まず、現実にどうしてもおさえておきたいこと。それは、今の健康状態を可能なかぎり維持し、少なくとも気持ちの上ではできるだけ向上させてゆくことです。
 具体的には、特に寝たきりでいることに伴う床ずれの予防、体の筋肉が固まったり力が落ちたりすることの予防などですが、それに、せめてべッドをギャッチアップするなどして無理のない範囲でできるだけ体を起こすことです。これは難しいことではなく、ちょっとした注意で十分にできることでもあるし、逆にことの重大さについてあまり理解されていないと思うので、強調しておきたいのです。

 次に、介助態勢についてです。これについては、ぼくにもジレンマがあります。もちろん、介助者の絶対的な人数はもっともっと増やす必要がある。今年度は去年ほど新しい人が増えなかったこともあって、今から来年のことが気になっています。なんとかならないものでしょうか。
 でも、人数が増えたら増えただけ、それらの人たちのひとりひとりに、気を配ることが多くなるのも事実です。最近、ひとりではとても対応できない、疲れた、と思うことが多くなりました。先のことを考えればなおさらです。
 やはりケア生活くらぶとして考えている共同住宅(地域ケア生活センター)づくりに向けて、一刻も早く一歩を踏み出す必要がある。やりたいことの第一は、まさにこのことです。とりあえず、調査活動の呼びかけから再開したい。
 それにしても、さしあたりは今の生活からしか何事も出発しないのです。信頼し、協力しあえるひとさえ現れれば、個人的な形での今の生活の大転換も、考えられないではない。それなりの積み重ねは、確実にしてきているのだから。

 その上で、更にやりたいこと。一言で言ってしまえば、それは文筆活動です。現在、短編小説か脚本の形で書きたい題材が二つ、論述の形で書きたいものが一つ、すでにあります。以前から言い続けているような、一向一揆をあつかった大歴史小説など、いのちのある内に本当にできるのでしょうか?
 短編の内、一つは題名まで決まっていて、「六角堂の暁」、これは鎌倉時代の宗教家(思想家?)親雲を主人公にしたものです。もう一つは身近なところに材をとったもので、障害者を主人公にした、奇想天外で楽しいものにしたいと思っています。
 論述の方は、「いのち・じかん・しごと」。これまでの常識的な世界観を、事実をもってさりげなくひっくり返そうと思っています。
 それ以外にも、書ければ書きたいことはたくさんあるし、また実際に書く必要のあることは次々にでてくるでしょうが、それらに煩わされずにできるだけ上の三つに集中したい。さて? (遠藤)


ことばあそびうた選集

’95年 夏   作・遠藤 滋

  ばった

ばったがばったときりむすび  おおだちまわりばったばた

ばったとばったがきりあって  かたなをかざしどったばた

とのさまばったあらわれて  ものどもかかれとじったばた

てきのばったもたばになり  かかっていったよどったどた

きってもきってもきりきれぬ  それでもとのさまがんばった

ばったばったとたおしたが  ついにとのさまへたばった

ばったのとのさまへたばって  ばったにきられてくたばった

ばったのとのさまくたばった  とのさまばったくたばった

  ぶた

ぶたのこぶたをたぶらかし
ぶたのみみたぶいたぶった

ぶたはこぶたをぶったたき
たばかったぶたおいだした

おおぶったまげた

  はと

はとばではとがはっとした
どうしておれははとなのか

はとばではとはかんがえた
ほんとにおれははとなのか

ほととはととがはちあわせ
そこでふたりはぎろんした

かもめがいちわとんできた
はとはかれにもきいてみた

はとはやっぱろはとだった
はとはやっぱりはとだった

  うぐいす

けきょけきょうぐいすうがいする
ほうをとくためほうほけきょ

けきょけきょうぐいすうがいして
ほうをとくならほうほけきょ

ひえいのやまのうぐいすは
みやこへおりてもほうほけきょ

けきょけきょうぐいすほうほけきょ
ほけきょうとくためほうほけきょ

  うし

うしろでうしがうっしっし
まえでもうしがうっしっし

ひだりでうしがうっしっし
みぎでもうしがうっしっし

おやうしこうしまごのうし
みんあそろってうっしっし

どようのうしのひうっしっし
よだれをたらしうっしっし

うしろでうしがうっしっし
くってやるぞとうっしっし

  よっぱらい

よるなさわるなよっぱらい
よればさわればおおげんか

よるなさわぐなよっぱらい
よればかまわずおっぱらう

よるなからむなよっぱらい
よるにはよるなよっぱらい

いきがくさいぞよっぱらい
あさにもよるなよっぱらい

よるなたよるなよっぱらい
ひるこそよるなよっぱらい

よるなねらうなかっぱらい
これからおれもよっぱらい

よるなさわるなよっぱらい
よるとさわるとけんかする