TOP
トピックス

遠藤 滋
結・えんとこ
えんとこ
ケア生活くらぶ

連載情報
 ┣ 遠藤滋一言集
 ┣ にわか歌詠み
 ┣ 調査結果報告
 ┣ えんとこ通信
 ┣ いのちの森通信
 ┗ 梅ヶ丘周辺マップ

障害者自立支援法
施行問題
支援費制度問題
映画『えんとこ』


掲 示 板
アンケート
スタッフ募集!!
リンク集
更新履歴
 Vol.02


■いのちを生かして生きていますか?
 殺人事件の犯人とされ冤罪を訴えて、6年前に無罪を勝ち取った人が、事件を起こしてしまった。殺人である。まだ捜査中のことで、確定的なことは言えないが、その上、子供を襲って、意識不明の重体にさせてしまったという。私も彼の冤罪に対して支援した人間の一人として、こんな事態が起きてしまったことが残念でならない。
 彼が無罪を勝ち取ってからの私のこの6年間は、伊豆の山林(甘夏のみかん山)を農場として開き、仲間と活用できる空間として築くことに夢中で、酒好きの彼と酒を飲まない私との間に個人的な行き来はなく、彼にはニュースを送るくらいの関係でいた。
 いまさら、何を言ったからといって、取り返しはつかないので、何をしておけば良かったのでは・・・という類の話は、なしにする。
 彼が殺人を犯すに至る経緯は、伝えられる彼の言葉によれば、同棲していた女性との間の男女間のもつれだという。例え、私や他の支援者との間で、音信が途切れ途切れになっていたとしても、無実を勝ち取った彼に、自分のいのちを生かし、悔いのない人生を送って欲しかったと願う気持ちが届いていなかったことに、私は自分の関わり方の不充分さを感じた。けれど、彼が、それまでの制約された生活の中で人間関係にもまれず、あまり多くを学んでこなかったことがあったからと言って、彼も独立した一人の人間である訳だから、彼の行動に対して、他人がどうのこうの言って指図できるものではない。
 私にしても、12年前、いっしょに生活してきた女性との間で別れのトラブルを経験した。原因は、私の理解では、籍を入れる入れないで意見が別れたことと、相手の興味が二人の生活とかけ離れていったことなどにある。別れを前にしたお互いの言い合いの中で、相手の投げかけた言葉に、当時の私は心の底から怒りや憎しみを覚えたことがあった。私の相手はどう思っているか知らないが、幸い、私の場合は、言葉にできないトラブルの中で相手に対する極端な暴力を振るわずに終わった。けれど、相手を殺す暴力を振るった彼と相手を殺すことはなかった私との差は、紙一重のものだと私は考えている。
 何かことがあって、やっていることが自分の思い通りにならず、上手く行かなくなった時、相手に自分の思いを上手く伝えてお互いに納得しあうことができれば良いが、それができなかった時、人は相手のせいにすることが多い。この時、自分の意向に相手を無理やり(力ずくでも)従わせるのか、さらに相手と話し合って理解を得るのか、意見の決定的対立(破局)に向かうのか、大雑把に言って三通りの行動パターンがある。
 自分の意向(意志)に他人を無理やり従わせる行動は、人間関係の中で少なくなく、親子の間から始まって、さまざまな社会関係の間で頻繁に発生している。彼のとった行動もこれにあたる。そして、この無理やりという行為の歯止めが外れて、相手を死なせる暴力になったと私は推測している。私の場合、私の気の弱さからか、相手との話し合いで相手の理解を求めるのを途中で諦め、破局に向かって進んだ。破局の後さらに私も、お決まりの復縁を相手に求めたが、復縁は実現せずに別れは確定した。
 その当時の私は「自分も含めた障害をもった仲間のいのちを生かして、意義ある人生をともに生きれるようにしたい」と思い、これを実現することを模索して生活していたが、この別れの後、私は、これはいのちを生かそうと思っているだけで、自分のいのちさえ実際には生かして生きていなかったことに気がついた。そして私は、「自分のいのちを生かしていない人間が、ひととの間でいのちを生かす人間関係を結べる訳はない」とも思えるようになった。
 この別れを契機に、その後の私は、この先、例え自分がのたれ死ぬことがあっても、自分のいのちを生かして生きること、自分からはどんないのちも生かしあって生きること、自分のやりたいことを自分の責任でやることに決め、現在に至っている。
 ところで、余計なお節介かも知れませんが、いまあなたは、自分の責任で自分のいのちを生かして、自分の時間・自分の人生を、楽しく充たして生きていますか?


■戦後50年、日本は? 日本人は?
 戦後50年、日本は、日本人は何をやってきたのか?
 アメリカ・サンフランシスコが大地震に見舞われ高速道路が崩壊した時、日本の行政・土木技術者は、「日本は大丈夫。日本の技術は安全だ」と豪語してきた。また、韓国で橋桁が落下したりビル(デパート)が崩壊した時も「日本は安全だ」といって事故を“対岸の火事”扱いたものだ。だが、阪神大震災を皮切りに、北陸のトンネル崩壊や北海道のトンネル崩壊事故で日本の土木建築技術のあり方はその根底で信頼を失った。
 しかも、ソ連時代のチェルノブイリ原子力発電所は技術が旧式だから事故が起きたといって、他国の技術を見下した態度が見え隠れしていた。その矢先にプルトニュウム増殖炉「もんじゅ」の事故である。「もんじゅ」は、原子力発電推進関係者によれば、漏れないはずのナトリウムが漏れて火災事故を起こし、しかも、事故発生直後に原子炉を止めなかったという対応の遅れから、大惨事さえ引き起こしかねない事態が発生していた。
 事故の行政への報告や公表が遅れたばかりか、原子力発電に係わる人間・行政の虚偽の発表と秘密主義も相まって、彼らがいう「日本の原子力行政は安全だ」という言い逃れで糊塗してきただけの、日本の原子力技術(行政)の化けの皮は剥がれ、そこには信頼すべき何ものも存在していないことが確認された。
 それでも、おカミ(国や自治体)がうまくやってくれるだろうと振る舞う人々を前に、官僚や自治体職員のお手盛り宴会や業者へのたかりと、まさに上手くやっている。逆に、雲仙・普賢岳の噴火による災害や阪神大震災や北海道のトンネル崩落事故に見舞われた時の行政(国や自治体)の責任のがれに終始する対応。おまけに、どんな政治家からも責任ある発言は聞かれない。自分のやっていることに責任を持たない行為・構造に裏付けされた「文化・生活・建造物」は、すべてが砂上の楼閣と同じで、戦後五十年たって、公共の福祉と安全という名のメッキが一つ一つ剥がれているのが現実である。
 「安全」への保証は、仰々しい「危機管理」が必要なのではなく、事故が発生した時、その衝撃をどうやって最小限に食い止めるのか?直接の被害が発生しないようにどう対処するのか?という対応によって始めて確保される。ところが、日本におけるほとんどの技術は、トンネルの崩壊事故に見られるように、岩石が崩落した時の危険を想定して、その衝撃をやわらげる対策を取るのでもなく、直接の被害が発生しないように事態に直面した人がどう行動するのか?という社会的合意形成をするのでもない。原子力発電行政の中でも、危険が発生するとしたらどんな危険があり、どう対処したらいいのかという情報さえ住民には伝えられず、住民への被害を想定した、市民への被害を食い止めるための訓練(対策)はおざなりにされている。
 エイズに感染する危険が指摘された血液製剤の対策についても同じで、これまでの薬害と同様、製薬会社の利益維持にこびて、日本では被害を増大させる道を歩んだ。
 困った時に国民同士が相互に補完して生きていくことを、国の機関として率先してやってくれるだろうと、少しはそうした期待をもって見ていた人もいたであろう私たちの国、日本は、困った時に国民同士が相互に補完しあう機能を少しも発揮していない。


■オウム集団の出現
 おまけに、オウム集団の出現である。日本は一体どうなっているのか?
 私はこの2,3年、1年の3分の2を伊豆の山の中で暮らしているので、新聞を読む機会が減り、主な情報源はテレビで、彼らに関する話は断片的に入ってくるだけだった。
 テレビで知るかぎりの話だが、まず、坂本弁護士一家失踪事件の後、オウムの幹部連中がドイツのボンに1ヶ月ほど滞在(証拠隠滅の逃避行)して、彼らは帰国直後に記者会見に臨んだ。松本智津夫は記者を前に、まだオウムがインチキ教団だなんだという話が出る前に、「オウムがまともな宗教であってはまずいのか。オウムがインチキ宗教じゃなくちゃいけないんだろ」という主旨のことを声高に語っていた。
 これを見て私が感じたことは、彼の発言意図は、記者に「オウムはインチキ宗教だ」と言わせないための方便だったのだろうけれど、実際は、彼が「オウムがインチキ宗教」であることを自覚していたからこういう発言になったのだ。彼が本当に宗教家で、オウムがまともな宗教活動をやっていたのであれば、自分の宗教活動の何たるかを具体的に説明するだけでよいわけで、インチキかどうかを問題にする必要はない。ここでインチキという言葉が出たのは、彼がもともと「オウムはインチキ」と自覚していたからである。
 オウムのやったことは何だったか?人は彼らが特殊な集団であるかのように理解したがっているようだが、私の感想は違っていた。この1年、オウム報道を見ながらいろいろ感想を持ったが、1年もたつとよく覚えていない。けれど、思いつくまま、オウム現象についての私の感想をまとめてみる。


■オウム現象と株式会社日本
 修行するにあたって信者は、オウムに入信することを自己決定するというロジック(論理)を逆手に取られて、あなたが自己決定したのだから、あなたは無条件に教団に帰依しなければならないと誓約させられた。教団が自己決定を重視するのであれば、オウムの信者になろうとなるまいと、その人がどんな状況にいても、その人の自己決定権は最初から最後まで尊重するのが前提である。しかしオウムは、信者の自己決定権を奪ったばかりでなく、信者に対して、オウムのいうステージの高い者の指示や命令は絶対で、それに服従することを強要した。
 これは、文部省や教師たちが戦後培ってきた学校現場で校則によって生徒を枠付けし、服従を強いる手法そのものである。国連の子供の権利条約を批准しても、校則の撤廃を含め何の対応も取らず、国内的には何の不条理もないと文部省は強弁するだけで、子供の権利も何もあったもんじゃない。子供は親の所有物視され親から一方的に引回され、学校現場では学校や教師の管理の名の元に教師から一方的に引回されて、子供の時から一人の人間として人権を尊重されない国の子供が、青年になってオウムに入り、教団の一方的な引回しを受けてそれに疑問を感じなかったといって、何の不思議があるだろうか。
 信徒はロボットだったという意見(言い逃れのため?)もあるそうだが、彼らは、単に自らの行動と言動に自己責任を果たさない人間にすぎない。すべてが人ごとで、ことあれば他人の責任にしている。修行と称して、上の者(オウムがいう)にいわれるがままワークという犯罪を含めた作業に従事し、その成果(評価)によってステージ(ランク)が上がることに喜びを見いだし、果てはオウムの犯罪や殺人に手を染めても人ごとでいられる信者は、自分の責任で自分を生きることを回避しているだけだ。
 これは、まるであなたのいま現在の生き方(処世術)そのもの、多くの日本人がこれまで連綿と培ってきた処世術(生き方)そのものの反映でしかない。会社など組織の利益のために、上司の指示・命令にはどんなことにも従わされる株式会社日本の、自分の責任で自分を生きていない人たち(社員・構成員)の姿でもある。
 製薬会社の「ミドリ十字」を例にあげるまでもなく、会社の利益をあげるため、営業と称して、人を死に至らしめることがあると分かった薬剤(エイズウイルス入り血液製剤)の販売に手を染めて、その成績によって報酬や社内の地位(ランク)が上がるという、指示されるがままエイズウイルス入り血液製剤の販売に手を染めた製薬会社の社員たち(この中には厚生省の天下り官僚が社長や役員に納まっている例もある)。血液製剤の危険を知ってからでも患者に使用してきた阿部某をはじめとする医者たち。危険を知った後でも血液製剤の使用をストップさせず資料隠しや言い逃れをしている厚生省の官僚たち。
 オウムの構成員とこれらの人々の処世術、一体どこが違うというのだろうか。
 オウムの作った毒ガスは、かつて日本の軍隊が第2次大戦中に毒ガスを作った行為の繰り返しで、その軍隊が人体実験をし、実際に使用しているところまで、まったく同様に繰り返しただけである。結論をいえば、オウムは、日本人ならびに日本社会が歩んできた、歴史の道すがら振る舞った悪しき行為の数々を凝縮して実行したといえる。
 オウムを現出させた背景に、戦後、日本人と日本の国家が、戦争中、植民地支配したアジアでの行状を反省する観点から若い世代に伝えてこなかった日本人ならびに日本社会と教育に、とりわけ文部省に責任がなかったといえるのか。
 私は、「転生」を信じないが、「転生」できる人であっても、「いまの自分(いのち)を生かせない者は、転生した未来の自分も生かせない」ことは確かである。


■沖縄の軍事基地と米軍
 51年前の4月1日、米軍は沖縄に上陸し、以後、住民を排除し住居や農地を軍事基地に変え、強制使用し、アメリカの沖縄返還まで、沖縄を占領支配してきた。アメリカ政府および米軍は沖縄返還後も、沖縄占領時の軍事基地をそのまま引き続き使用し続けた。
 戦後、事あるごとにアメリカは民主主義と人権を旗印に軍事行動を展開している。他の国でも変わりないと思うが、米軍(沖縄の)は、民主主義と人権の軍隊なのか。二つの点でノー!である。
 第一は、沖縄占領時代の米軍基地の状態を引き継いで現在に至っている点である。第二次大戦は植民地支配を巡って争っており、その結果として沖縄占領時代がある限り、アメリカの沖縄占領も、アメリカによる沖縄の植民地支配であった。沖縄返還時に、アメリカは沖縄の植民地支配を本当にやめたのであれば、沖縄の住民から強制的に土地を奪った基地使用を中止して、一旦は住民に返還するのが当然であった。しかし、アメリカは、基地の存続を続けたばかりか、土地の強制使用の責任を日本政府に肩代わりさせてまで、沖縄占領時代の権益を守りつづけいる。
 第二に、米軍は沖縄の市民の人権を犯す(婦女子強姦・強盗・殺人など)人間の供給源になっている点である。米軍のいう人権にはもともとアジア人は含まれていない。そのいい例が、べトナム戦争における某米軍司令官の発言に見受けられる。名前は知らないが、彼は「アジア人は人間のいのちを何とも思っていない。アジア人はいのちを、欧米人より軽く考えている」という主旨の発言をしている。軍隊の構成員の潜在意識には、この考え方が脈々と受け継がれており、その反映として、本国では犯さない犯罪でも沖縄では軽い気持ちで手を染める軍人が後を絶たないのだ。
 沖縄の米軍は何よりも、アメリカの権益と沖縄における占領時代の米軍の権益を守ることに夢中で、他人の人権・他国の人権を尊重する意識はない。尊重する意識があれば、始めっから事件は起こらない。
 おまけに、軍事演習と称しての自然破壊と、遺跡破壊のやりたい放題である。
 どんな状況でも自分を律して民主的に振る舞い人権を尊重できない彼らの、どこに、民主主義と人権を専売特許にする資格があるのか。いま、後ろ指さされずに、それをいえる国はどこにもない。


■資本主義と社会主義
 べルリンの壁が崩壊し、東ドイツが西ドイツに吸収され、ドイツ国家として統一された時、社会主義社会・ソビエト連邦が崩壊した時、日本でも(海外でも?)「資本主義(社会)が社会主義(社会)に勝利した」と歓喜したバカな自民党の代議士がいた。一方、社会主義を理想化して考えてきたため、意気消沈した人たちも少なくない。
 だが、これが本当に勝利といえるほど、資本主義社会は社会主義社会よりも優秀で、光り輝いているのか。また、社会主義社会は、資本主義社会よりも人間的な社会を作ろうとしていたのか。どちらも、ノー!ではなかったのか。伝えられていた情報のメッキが剥げてみると、社会主義社会は、人権侵害は数知れず、公害の撤き散らしは思いのままで、人的被害への救済など放置されたままで、国家や行政の幹部に手厚い不公正な社会の姿が露呈する始末。中にはあれは、社会主義の常道を外れた国で起きたことで、社会主義はいまも光を失っていないと合理化する人もいる。
 資本主義社会と言えども未だに、同じ問題を抱え、自らが律して解決する自浄能力に欠けているところは、何ら変わらない。差が出たのは経済力・生産力の差で、だからといって、経済力・生産力の優位は、人々の豊かさの実現に結びついていない。
 では、社会主義社会の崩壊は何を象徴した事件だったのか?社会主義の思想が負け、資本主義の思想が勝ったのか?
 「思想・信条の自由」が言われている。思想・信条が自分の内面で成立している時はいいが、一度、その思想・信条が絶対化され、他者を規制する行動規範になると、もう思想・信条は自由に成立する根拠を失う。また私の理解では、思想とは、さまざまな自分が描いた理想を実現するにあたって、「こう在らねばならない(何々しなければならない)」と理想を絶対化したものである。絶対化された思想や信条は確信に満ち、力にあふれて見えるから持て囃されることはあっても、自由を失った思想・信条は、いつかは瓦解する。人間のいのちの自然の摂理に反するからである。資本主義も社会主義に対抗する絶対化した思想である限り、絶対化された点で、資本主義も社会主義と同じ運命にある。
 1980年代のべルリンの壁やソ連の国境崩壊の出来事は、絶対化された社会制度崩壊の政治的表現としてあったが、この出来事に象徴されたものは、人間の心を規制・強制し縛りつづけるあらゆる主義主張や思想が、瓦解していく最初の始まりであった。したがって、敗北し瓦解したものは、これまで人間の心を縛ってきたあらゆる自己規制・他己規制をする強制され絶対化された「主義主張や思想」であった。しかし、これまでの絶対化された思想(自己規制。他己規制)に取って代わったものが、新たな絶対化された政治や宗教や思想(オウム現象はまさにその一つ)ではあまりにお粗末である。あなたは、自分の経験や人間の歴史から何も学んでいないことになる。


■政治と社会
 「政治が変わらなければ社会は良くならない」という意見はいまもって根強い。1965〜7O年代にかけて、私も理想とする社会を実現するために、「かくあらねばならぬ」と、理想を絶対化して、政治や社会の変革を目的に行動したことがある。その結果、理想の断片でも具体的に実現できたかというと、現実には、何一つ実現するに至らなかった。
 政治が変わらなければ社会が変わらないとして、政治に原因(責任)を押しつける発想は、発生した問題の責任を自分以外の他人に転化することと同じである。自分には何の責任も原因もなく、現在の政治や社会が醸成されたとでもいうのだろうか。
 これまであなたは自分の責任で、実現したいことを具体的に実現するために行動したことがあったのか。あれば、いま、具体的に何か始まっていて、あなたは、問題の責任を政治や他人のせいにしている暇なく、自分の仕事に追われているはずである。かつての私からいえば、具体的に何かを実現するために行動することはなく、スケジュールという世の中の流れに追われることはあっても、自分の仕事に追われていなかった。


■政治の質が悪いのは市民(国民)の質が悪いから
 最近、肝心な時に市民社会の意思や希望を反映しない政策が平気で選択・決定されている。阪神大震災など、事あるごとに「日本は政治(の質)が悪い。(質の)良い政治家がいない」という発言が日本のテレビに登場するコメンテイターから聞かされる。自分を渦中の部外者に置いた発言だ。しかし、そういう政治家を選んでいる市民のあんたも一人だろうが、と言いたい。あんたは、自分はそんな政治家に投票していない、他の政党の政治家を選んでいる、と言い逃れる。だが、そうした政治家総体を生み出す市民社会(国民)のあんたもその一員ではないか。この種の発言をする時、ほとんどの人は見事に自分を部外者。圏外者に置いている。
 また近年、官僚や公務員の無能ぶりや不祥事がたてつづけに明るみに出ている。これは何も今に始まったことではない。「公務員の守秘義務」を楯に情報が完全に隠蔽されていた時代は、彼らの無能ぶりや不祥事が表向きにならなかっただけのこと。国や自治体の予算の配分にしても、半ば利権構造の力関係の比率に従ってやりくりされており、彼らは政策の立案者でもなんでもなく、単なる利権の調整役。あわよくば、利権先に媚を売って天下りに血道をあげる、欲惚けした只の人。けれど、こんな官僚しか生み出さないのも同じ市民社会(国民)である。市民(国民)の社会的質が悪いから、質の悪い官僚や政治家しか生まないのだ。
 では、問われる市民(人間)の質とは何なのか?


■自己否定
 オウムへの入団(入信)の動機に、ヨガと超能力というのがあるそうだが、修行すれば超能力が身につくというのである。彼らが超能力を身にっけたがる心理は、変身願望にある。結局のところ、これまでの自分から変わりたいというのである。その意味では、仮装変身願望や転職・転地願望、玉の興に乗りたい願望とそれほど変わるものではない。
 なぜ変わりたいのか、というと、これまでの自分(いまの自分)をいいと思って生きていなかったからである。そこにいるのはいわゆる「自己否定」をして(ありのままの自分を否定して)生きているあなたである。
 いまから10年くらい前、その当時、東大生だったT君とこんな話をした。彼が言うには「人間の向上・発展は、人間の短所(劣っている所・マイナスな自己)の否定によって得られる」というのである。
 なぜ、そんな話が出たのかというと、当時、私は友人の遠藤滋氏と、自分たちがそれまで生きてきた実感から、「人間はいのちを自分からまるごと肯定して生きるのがいい。ありのままに生きるのがいい」という主旨の文章を『だから人間なんだ』という本に書いて自費出版した。ちなみに、私は1歳4ヶ月の時ポリオ(小児マヒ)にかかり体力的ハンディを持ち、遠藤滋氏は仮死状態で生まれ運動神経のマヒで体力的ハンディを持つ。1985年の春のことである。その本を読んでの、T君からの意見である。
 その時、私がどんな意見をT君に言ったのか、あるいはまるっきり自分の意見を言わなかったのか覚えていない。覚えていないくらいだから、その時、あえて自分の意見を言わなかったのだろう。
 1996年の今も、T君が同じように思っているかどうかは知らない。だが、T君と私の間の溝を埋め合わせるという行き来がなかったことから推し量れば、未だにT君が同じスタンスをもって生きていることは想像に難くない。


■理(ことわり)の正しさと誤り
 「自己の短所を否定しなければ人間の向上・発展はない」という思考方法は、戦後の日本のみならず、世界の近代主義・合理主義の出発点になっている。こうした理(ことわリ)が論理的に正しいのであれば、人はこの思考方法に基づいて生きていけばよいわけで、このことが私たちの生活に不合理・不条理を引き起こさないはずである。ところが現実には、近代合理主義は、地球の環境破壊を生み、合理的? 社会から人を排除するだけでなく、いのちの抹殺もしてきた。
 それでも、現在の自己を否定しなければ、もっと向上した自分、もっといい生活、もっと高い評価、もっと高いステージは得られないと、「自己否定」を信じて生きている人は一所懸命自己(自分のあり方)を否定して、必死こいて生きていけばいい。しかし、いま生きている自分のあり方を何か変だと思い、自分が空回りして生きていると思う人は、ここで「自己の短所を否定しなければ人間は向上・発展しない」という理(ことわリ)を疑ってみるといい。
 例えば、「女性は優しい・男性は頼りになる」という言葉が真実だとしよう。そうであるなら、女性の〇〇さんは優しい、〇〇さんは優しいということを一人一人あてはめていくと、中には優しいだけじゃない人も出てきたりする。男性の場合もいっしょで、男性の中には頼りにならない人もいくらでもいる。そうなると、「女性は優しい。男性は頼りになる」という言葉は、理(ことわリ)にかなっていない、正しくないということになる。
 これと同様に、「自己の短所を否定しなければ人間は向上・発展していかない」という理(ことわリ)の正さを確かめるために、「自己の短所」を「ありのままのいのち」という言葉に置き換え、「ありのままのいのちを否定しなければ人間は向上・発展していかない」として考えてみよう。
 この「自己否定」の理(ことわリ)が論理的に正しければ、「ありのままのいのちを否定しなければ人間は向上・発展していかない」も正しいはずである。だが、これはとても正しいとはいえない。そこで「自己否定」して生きている人は、T君ともどもとんだ勘違い・間違いを犯すことになる。「自己否定」に足を取られて、自分のありのままを否定して生きることになり、不安な思いをして、毎日を過ごすこととなる。


■不安の震源地は「五体満足」にある
 人々は、いま不安な時代を生きているという。生きていることが不安だらけだという。彼らの間に広がる不安に思う「自己否定」する心。その心の不安の元は、自分が「五体満足であるかどうか」に絶えず気を奪われてしまう思考回路にある。
 子供の頃からあなたは、「五体満足であるかどうか」に心を囚われ、「普通である」ことに腐心し、自分が人よりも劣っていないかに気を病んできた。自分の生活は人並みか。自分はひとよりもよりましな生活・満足度・幸福感を持っているか。不幸と思える人々からみれば、自分はまだいい方・・・か。はっきり言えば、自分より不幸な人の存在が、あなたの満足度を支え、生活を支えている。なんという嘆かわしさ。
 自分の行為の果ての結果がどうあろうと、自分が何をどれだけやり遂げたかに満足するのではなく、あなたは、それらを人の行為や結果と比べて、よりましな結果が得られたかどうかによって満足するのだ。あなたは、自分の責任で自分を生きることに満足するのでなく、人と比べ、人よりも評価? されて満足を得る。こうした連中の究極の姿が、自分から勲章に群がり、勲章を有り難がる輩である。
 逆に、ひとたび自分が「五体満足」から外れ、人よりも劣っていると感じた時、あなたは、人と比べて上手くいっていないことに気を病み、人並みにやらなくてはと思い、人並みにやれるかどうか不安に思ってしまう。
 こうした不安がひとたびあなたの心に醸成されると、知らず知らずにあなたはいろいろな不安の虜になる。人間関係への不安、育児や子育てがうまくやれるかどうかへの不安、事件・事故に巻き込まれることへの不安、病気への不安、将来への不安、老後への不安、死ぬことへの不安など、列挙に暇(いとま)がない。しかも、子供が生みの親の所有物であるかのように思い込んでいるあなたは、子供が自分の思いどおりにならない時、自分のフラストレーションを子供に吐き出すようになる。
 また、自分の責任で自分を生きてこなかったあなたが、生活への不安・不安な心から逃避する時、これが引き金になってあなたはさまざまな依存症(アルコール・買い物・パチンコ)の落とし穴にはまり込むことになる。


■すべては「五体満足」から始まった
 すべては、「五体満足でよかったね」の一言から始まった。
 日本人の「五体満足でよかった」という呪文が、いつの頃から私たちの社会に蔓延してきたのかを私は知らない。だが、未だに日本人の多くが、生まれてくる赤ん坊を「五体満足でよかったね」といって迎えている。赤ん坊の頃から「五体満足でよかったね」とささやかれても、あなたはその言葉を何も信じ込むことはなかったのだ。周囲の誤解を自分の脳裏に刻むことはなかったのに、ささやかれた言葉を自分の記隠装置にあなたは刻み込んだ。かっての私やハンディと共に生きる仲間の一部が、逆に、「五体満足でなかった」ことで、五体満足でない自分は不運だと思わされてしまったように。
 人は、自分の描いた五体満足度にしたがって、手や足の指が五本あるとかないとか、顔がいいとか悪いとか、頭がいいとか悪いとか、果ては、運がいいとか悪いとか、まちまちの価値判断をしている。ところが、この五体満足度をエスカレートさせると、超人的超能力の持ち主が出来上がり、すべての人が落ちこぼれることになる。そこで、超能力を持ちたいという思いが生まれる(オウムは、こうした人の心の隙間に入り込んだのだ)。
 それにもかかわらず、あなたは、「五体満足である」ことで「自分が普通である(当たり前)」と思い、「自分が普通である」ことに安心を覚えようとしながら、結局は、自分が普通でないことを知る。「普通である」ことは、この世界に存在しない実態で、現代の日本人が勝手に作り上げた概念だからだ。
 そして、意識するとしないにかかわらず、五体満足でないところが自分にあると思った時、あなたは自信をなくし、人がどう思うか気にかかり、みっともない・恥ずかしいという意識にかられる。自分が「五体満足であれば良いが、五体満足でなければ悪い」とする価値基準に基づいてあなたは判断し、「ああはならなくてよかった、ああなったらおしまいだ」と行動してきた。
 そんなあなたが育って学校へ行くようになると、今度は学校現場で、頭の先から足の爪の先まで「五体満足であるかないか」という判断基準に染まっている教師によって、「おまえらは何年生にもなってこんなことが分からないのか」と責められ、「ああなったらおしまいだ」と脅されている。自分が人よりも劣っているという「落ちこぼれ意識」は、こうしてあなたの記憶装置に植えつけられる。一旦「落ちこぼれ意識」を植えつけられたあなたは、その後、無批判に自分でも「落ちこぼれ意識」を発酵、増殖させる。日本の学校現場では、こんなやりとりが教育の神髄として、日常的に繰り返されている。
 また、学校現場では、競争とランク付けに子供たちはさらされ、ストレスを感じ、「さびしい」という孤独感にさいなまれて生きている子が少なくないそうだ。こんな時、子供も仮面をかぶって生活してしまう。教師でさえ、仮面を被って子供たちの前に登場しているものだから、教師と言えども、子供たちにどう接して良いのか、実際には分かっていない。仮面をかぶった者同士がいかに向き合おうとしても、一人ひとりが人間として本音で向き合うことはない。
 時には、家の中でも、家族同士が、本音で向き合って生活していないことさえある。よく、うちでは、何でも家族で話し合って生活しているという話がでるが、家族同士が、本音で向き合って生活していれば問題はないが、本音で向き合うことを避け、家族という仮面を被って生活している場合には、孤立した状況に置かれた子供の「さびしい」という孤独感は、さらに増幅させられる。こんなことでは、子供たちの毎日の生活が楽しいはずもない。だから子供たちは、八方ふさがりの中で、時には「死にたい」とまで思いつめ、実際に死んでいく子供が後を断たない。
 その一方で、自分が他の人と同じであるということに安心し、「みんなと同じである」ことへの帰属意識が強くなる。そして、日々積み重ねた自分のストレスを爆発(発散)すべく、言葉だけでなく、力づくで相手をないがしろにして、同じでない者を排除して面白がっている。なぜそんなことをするのか。いま生きている自分が面白くないからである。なぜ自分が面白くないのか。自分で自分を生きていない、自分から自分を生かしていないからである。
 管理という枠の中にあっても、自分から自分を生きてしまえばいいだけなのに、その枠の中で、自分から自分を生きることを放棄してストレスを発酵させ、争う姿は、オリに閉じ込められた動物が、ストレスから争う姿と変わらない。
 こうした集団への帰属意識と排除の構造は、かつては「村八分」として日本の社会に存在し、今も日々、学校や会社で醸成され、校則や会社への忠誠として体現されている。もし、こうした社会構造に嫌気がさすのであれば、これらを丸ごと捨て去ればいいだけなのに、「みんなと同じである」ことへの帰属意識を引きずったまま若者たちは、オウムへと寄り集まっていった。
 ところが、体のハンディを持って生きる者は、始めから「みんなと同じである」ことと異なって生きている。そこで、体のハンディ(知覚のハンディも含む)を持って生きることになる子供の不運のすべては、「五体満足でよかったね」と思い込んでいる親や市民社会の間にいきなり放り出されることである。彼らは、自分の生活実感から「五体満足でよかったね」という考えには囚われないが、その考えと自分の体感とのギャップに戸惑いながら育っている。
 『私は、不思議に思う。たとえば、高校生のグレってあるよね。一番グレしたいのは、私たちかもしれないのに。だれ一人グレしてる人はいない。私達が一番できた人間かも。一番生きる意味のある人間かも。だまされても、不安があっても、私達が私達であるかぎり、生きなければならない。こんなこと言ったら悲しいけど、次の世代の私達のために、がんばろう。何かをやり遂げて、何かを残してあげよう』(「私たちにも言わせて2 もっと元気のでる本」発行・全日本手をつなぐ育成会 より)
 この文章は、朝日新聞(1996・3・28付)に引用された、知覚(新聞では知的)障害者が、自分たちで編集・出版した本からの一節である。


■ありのままのいのちの否定
 「五体満足・普通・当たり前である」ことが唯一のあり方で、「ああなったらおしまいだ」といって生きてきたあなたは、自分ではいのちを肯定して生きていると思っている。しかし、私からいえば、あなたは、もうおしまいのいのちを生きている。
 現にあなたは自分から「ああなったらおしまいだ」といって、早々とおしまいを決めて生きている。だから、例えあなたが「ああはならなかった」としても、あなたのいのちはすでにおしまいのいのちで、あなたはそのおしまいのいのちを生きることになる。
 いのちは、「五体満足」であり続けることはない。確かに、運よく、高齢者になっても元気に過ごす人もいる。しかし、例え元気だといっても、体力の低下・肉体の老化を避けることはできない。いのちは、絶えず自らも変化し、環境にも影響され変化を余儀なくされて生きるものである。したがって、「五体満足である」いのちを想定することは、始めからあり得ない現実であり、「五体満足である」いのちを是認して生きることは幻想・幻影の世界を生きるにすぎない。この幻想・幻影の「五体満足である」満足度を失うと、人は尊厳を失うというのが、「人間の尊厳」であり、かつて、私たち(障害者)は、これらを「健全者幻想」とよんだ。
 したがって、あなたが「五体満足であること」を是認して生きることは、いのちのありのままの姿を否定して生きることにつながり、とどのつまりは、自分のありのままを肯定して生きること、ありのままのいのちに立って生きることを拒否することにつながる。
 ありのままのいのちの否定が根底にあるから、あなたはありのままの自分を、ありのままの心を、ありのままの事実を語れない。あなたは、ありのままの事実を語らないから、自分の本当の姿、自分の本音がどこにあるのかさえわからなくなっている。
 一人の人間としての自分の本当の姿を見失って、「仮面」を被って振る舞うあなたは、他人(ひと)に対して、自分がどう振る舞えば良いのか分からなくなっている。あなたは、そんな自分が不安でさえある。相手が自分より弱い子供である時は、その子供に対して、自分への不安から発生するストレスを子供にぶつけてしまう。それが、親である時は、子供への虐待となり、教師の場合は、生徒への体罰(暴行)となり、子供同士の場合は、いじめとなっている。それでも、自分の不安を覆い隠して生きている。
 ありのままのいのちの否定は、マイナス思考(否定的選択)の土台にもなっている。また、ありのままのいのちの否定は、いのちそのものの否定につながっている。
 現在も繰り返される障害児殺し・子殺しの引き金は、「五体満足でないこと」や「ありのままに生きること」を否定する親の心情にある。
 ありのままのいのちを否定して生きているから、あなたは、人生を虚しいと感じ、人間はどうせ死んでしまうからと否定的感傷に浸り、マイナス思考を展開させる。
 今の24、5歳の世代が小学生の頃、地球滅亡が話題になっていた。いつか地球は滅亡する(人間は滅亡する)んだからまともに生きてもしょうがないと結論づけて、それで自分の人生、遊ばなきゃ損だという意識に駆られていると見える人が、私の身近にもいる。その人は、自己決定を曖味にしたまま、自分の責任で自分を生きることを放棄して行動しているように見え、その結果、親しい人から疎まれるという事態に陥った。
 一度招いてしまったことは、どうあがいても取り返しはつかないが、少なくとも、これからの人生を、自分の責任で決定し、行動し、その結果に対しても責任を持つことで、同じ過ちを繰り返さないで済ますことはできる。マイナス思考に陥っている人でも、同じ過ちは二度と繰り返さないとか、同じ失敗は繰り返さないと、自分で決断するだけで、このマイナス思考から抜け出せるきっかけにはなる。


■プラス思考(肯定的選択)
 最近はどうなっているか知らないが、「プラス思考」が一時ブームのように持て囃されて、いまでも発想の基本に置いている人は少なくないだろう。このプラス思考は、実はマイナス思考の裏返しで、価値をプラスかマイナスかに振り分けるマイナス要素(否定的選択)の存在を前提にしている。
 人による基準の違いはあったとしても、ここまではプラス、ここまではマイナスという一定の基準(レべル)を置いて、この振り分けは存在する。もっとも人の中には、プラスかマイナスかに振り分けることのできない曖味な部分を抱えていることも多い。
 人生とは時間の積み重ねだから、人はプラスだと思える、自分の肯定できる要素とマイナスだと思える、否定すべき要素を積み重ねて生きていると思っている。そして、自分のプラス部分(肯定できる要素)は例えば70%で、マイナス部分(肯定できない否定すべき要素)は30%だから足し算すると、40%のプラス人間だと安心する。
 ところが、現実には、人間は、それまで生きてきたすべての要素が作用しあって成り立っているのだから、あらゆる現象は、プラス要素とマイナス要素の相互に作用しあう掛け合わせによって成り立っている。数学で言えば、当然これは掛け算になる。
 そこで、自分にプラス要素とマイナス要素があると考える人は、プラス要素を+1、マイナス要素を−1と置き換え、その作用がどう現れるか計算してみるといい。
  プラス要素〔+1〕×プラス要素〔+1〕=〔+1〕で
 プラス要素にプラス要素をいくら掛けてもマイナスにはならないのに対して、
  プラス要素〔+1〕×マイナス要素〔−1〕=〔−1〕で
 どんなマイナス要素であってもプラス要素にマイナス要素を掛けるとなると、その結果はすべてマイナス1になってしまう。
 プラスかマイナスかという価値基準の延長線上には、役に立つか立たないか、長所か短所か、良いか悪いか、損か得か、敵か味方か、という価値基準もある。


■高齢者とありのままのいのち
 地上げに追われた高齢者や阪神大震災の被害を被った高齢者の多くから、悲痛な叫びが聞こえてくる。確かに、行政や政治、日本の社会は充分なことは何もしてくれない。無力な自分の現実を前に、無理からぬ話である。確かにあなたたちは、真面目にわきめもふらず、身を粉にして働いてきたかもしれない。だが、ちょっと待ってくれ。その一方で、いまの社会を綿々と作り上げてきたのは誰なのだ。「働かざる者食うべからず」と軽口をたたいて、能率よく働けない障害者たちを社会の一員から排除してきたのは、他ならぬ、あなた自身ではなかったのか。あなたは、まさに将来の自分、つまり、現在の自分を排除していた。これくらいの事実は、あなたに自覚してもらえるのだろうか。
 今の契約社会は、損得勘定ができる人間の社会となっており、市民社会も、そうした損得勘定ができる人間を前提に成り立っている。ところが、知覚障害になると、この損得勘定ができなくなり、契約社会から排除されるだけでなく、契約を悪用されたり、市民としての権利も充分に行使できない状況に置かれてしまう。
 知覚障害の高齢者(世にいう痴呆性老人)と知覚障害の人(世にいう知的障害者)に対して子供扱いする人が少なからずいる。彼らは、まるでそれが自分の「やさしさ」の体現でもあるかのように振る舞う。しかし、それは大きな誤りである。彼らの子供扱いの裏には、子供扱いした相手を対等の人間として扱っていない態度が潜んでいる。
 知覚障害に限らず、人間は、歳とともに事故や病気で肉体的ハンディに出会うことがある。当初はショックに見舞われ言葉も出ない期間を過ぎると、いよいよあなたが試される時がくる。公務員だ、企業の社長だ重役だ、大企業の社員だと言ってみても、企業を離れればかつての肩書は多少のコネの足しにはなっても、高齢になって動けなくなったあなた自身を生かす術(すべ)としては、何の役にも力にもならない。裸になったあなたがこの時どう対処するかで、それまでのあなたの人生の本性は露になる。
 それまで「ああなったらおしまいだ」と思って生きてきた人は、自らの新たな事態に失望し、「自分はもう死んでしまったほうがいい」と思う。それまでの人生があなたの一大事にあって、あなたの生きる気力を支える何の足しにもならない現実を、あなたは知ることになる。せいぜいあなたは、自分はここまでやり遂げてきたと過去の栄光(成功?)に自らを慰める。過去の栄光に浸るのも時には悪くないが、あなたがこれまでに積み上げてきた人生が、現在のあなたを生かす術(すべ)や能力を備えていないではあまりにもお粗末、お笑い種(ぐさ)である。あなたは、砂上の楼閣に自分の人生を築いたことを知る。
 だけど、あなたはここでさらに失望しない方がいい。運がよければ、あなたは、いのちの何たるかを知る絶好のチャンスに出会えたのだから・・・。
 「五体満足」を絶対視(この絶対視も思想の絶対化と同じで、自己分裂を引き起こす運命にある)して、「五体満足」という存在の自分を信じてきたあなたは、それ以外の自分は考えられないとまで言う。多くの人がいのちを過信して生きている。しかし、実際は、自分がずっとそのままで生きられることはありえないし、いのちである限りその鼓動を止める時がいつかはくる(ということだけは知っている)。人(いのち)に約束されているのは、今日だけは無事に生き抜けるかも知れないという「可能性の存在」だけである。
 実際には誰も、どんな人も明日を約束されてはいない。確実なのは、いのちのありようがどんな姿でいても、いまそのいのちに基づいて自分が生きているという事実だけだ。その事実(ありのままのいのち)を生かせるかどうかは、正にあなたの腕の見せどころ。ありのままのいのち(自己)を否定している暇(いとま)はないはずである。
 自分の責任で自分のいのちをまるごと生かさないで、誰が生かしてくれるというのか。時はあなたに約束し保証しているわけではない。明日も、明後日も、あなたが生きられることを。今日、自分から自分のいのちをまるごと生かして、始めて明日も自分をまるごと生かせることにつながるだけである。この一日一日の積み重ねがあなたの豊かな人生の形成を保証してくれる。これであなたは、これまでの人生も砂上の楼閣にしないですむ。


■被害者であることとありのままに生きるということ
 日本では薬害によって肉体的破壊を伴う健康被害を被り、果ては死亡させられることも少なくない。古くはサリドマイド(生まれた子供が奇形)、スモン(失明)、クロロキン(失明)などがあり、最近は、血液製剤によるエイズが大きな被害を生んだ。子供の時から、怪我などで出血したら血が止まらなくなる血液の凝固因子が不足している血友病を抱えて生きてきた人たちにその被害は広がった。
 エイズは発症すると、死に至るという病で、血友病を始めとした患者をエイズに感染させた行為は殺人行為そのもので、被害者としては、その責任を追求する手を緩めるべきではない。この原因を作った加害者(国や加害企業)の賠償責任を追求することは当然のことで、医師・阿部某をはじめ、ミドリ十字などの加害企業の責任者や厚生省の担当官僚とその元上司らを殺人罪に問うべきである。
 しかし、その一方で、被害者といえども、一人の人間である。一人の人間として人生を全うしてほしいと私は願っている。加害者の責任追求の前面に出て、活躍してきた川田龍平くんが、国や製薬企業との和解調停の日、彼が語った言葉「患者としての・・・?・・・人間として生きていく姿を見てほしい」旨(正確に覚えていないが)を聞いてホッとしているが、心痛むのは、エイズに対する差別が心配だということで、顔を出さずにきた被害者の中に、血友病であることやエイズをわずらった自分を否定して生きていく人がいるのではないか? という心配があることである。
 だからといって、私は、血友病の仲間たちに名前を公表せよとか、顔を出せといっているのではない。そうした形式的なことは問題ではなく、そうしたからといって問題の解決にならないことを私は知っている。
 私は、あなたたちが、血友病である事実やエイズにかかっている事実を、後ろめたく感じて、被害者として被害者意識に陥って生きてほしくないと願っている。一言でいえば、常にありのままに、自分のいのちを自分の責任で生かして、毎日を生きていこうじゃないかと、私はあなたたちにエールを送りたい。人間(いのち)に与えられた条件は、健康体であろうと、病気や障害を持つ体であろうと、同じなのだから、少なくとも私はどんな状況になっても、いのちを生かす仲間として、今日一日を無事生き抜けることに感謝し、自分のやりたいことをやり続けて、たんたんと、一歩―歩生きていく。


■ありのままに生きる
 プラス思考でもマイナス思考でもなく、ありのままの自分を否定も肯定もせずに、ではどう生きていけというのか?という声が聞こえてくるようです。
 マイナスだと思うこと。否定することを止めるばかりでなく、これはプラスだ、これは肯定できるという発想すらやめてしまうのが一番いいと、今では私は思います。こんなことをいうと、どんな人にもいいところはある、そのいいところを見出して生きようという最近の傾向に水をさしているようですが、水をさすことが私の意図ではありません。
 幸い、日本にも良い言葉があります。「経験を生かす」というのがそれです。過ちを犯してしまったり、失敗した時、そうした自分を否定するのではなく、二度と同じ過ちや失敗を繰り返さないと自分の脳裏、記憶装置に刻み込んで生きることだと思います。
 「人生とは重き荷を背負って遠い道をゆくがごとし」という言葉が、ある寺院の門前に掲示されていました。この寺の僧侶は、「だから苦労でも我慢して生きろ」とでもいうのだろうか。確かに私も、12年前までは、物心つく頃からのこれに近い感覚を引きずって生きていた。しかし、今では私は、まったく別の感覚をもっています。
 私は、人生に「重き荷」など何もないと考えています。自分が背負いたいと思うものがあれば、それが荷物であれ何であれ、人はそれを背負って生きていけばよい。何も自分で背負いたいと思わないものは、始めから自分の責任で背負わなければよいだけだ。そのかわり、自分から何かしたいと思わず、何も背負わずに生きていくことになっても自分をなげかないことだ。自分の責任で自分がそうしているだけなのだから、それを人のせいにしない方がよい。
 『わたしたちは、幸運にも、障害者のほんとうの「声」をさぐりあてた。そして、「ひとびとの間で、みずからのありのままのいのちを、そのまま祝福して生きると決めて、そのとおりにする」という結論を得た。そもそもだれかの「助け」を借りなければ、そのありのままのいのちのいとなみすら維持できない存在である。それならばいっそのこと、自分がぞうしたいのちであることを自覚して、そこに立ちきって生きてしまったら・・・』 今から11年前の1985年に、私と遠藤滋氏とで、『だから人間なんだ』という本を作った時に遠藤滋氏が書いた言葉である。この本の中で、これから私たちが、ありのままに生きていく宣言として、また、こうすればどんな人でもありのままに生きれるのではないかという気持ちを込めて、次の5項目をあげた。
  1、自分からにげない。
  2、自己規制をしない。
  3、自分で決める。
  4、今やりたいことをやる。
  5、すべてを生かす。
 ところが、よくこんな反応が返ってきました。「そうか判った。自分からにげてはいけない。自己規制をしてはいけない。自分で決めなければならない。今やりたいことをやらねばならない。すべてを生かさねばならないのだ」と。英語で言えば「マスト」、「ねばならない」の世界である。私たちは、自分が自分のいのちを自分から生かしたいと考えたから、そうするだけで、強いて言うなら、もう「ねばならない」の世界から脱却しようじゃないか、というメッセージをここに込めたのです。それなのに、少しもこれが伝わっていない。だから、「いのちは大切にしなければならない」と返ってくる。
 かつての私も同じだったが、「いのちは大切にしなければならない」・「親は大事にしなければならない」などと、人はよく「何々しなければならない」とか「ねばならない」とか言って行動してきた。ところが、これでは、これまで「いのちや親」をないがしろにしてきたと言っているようなものです。
 現実には、まったくその通りなのでしょう。いのちを大切にするにしろ何にしろ、これまであなたは「何々をしなければならない」と、一つひとつ枠づけして、「これ」を「しなければならない」と行動してきた。だから、「これ」の範ちゅうにないことは、いままですべて除外してきた。そこで、自分の足りないところを次に発見するたびに、気づいた「これ」については「(大切に)しなければならない」と考えるが、「これ」以外のことは依然あなたは除外したままである。しかもあなたは、自分の行動に「(大切に)しなければならない」と制限条項を設けるだけなので、このことは、あなたが本当に「そうしたい」と思って「そうする」ことを実現するとは限らない。あなたが本当に「そうしたい」と望むなら、「何々をしよう」と自分で決めて、そうするだけでよいのだ。
 私は、あなたが「そうしたい」と望まないことを、あなたに押しつけようとは思いません。でも、ありのままのいのちを生かそうとすること、しかも、すべてを生かそうとすることは、あなたを「ねばならない」の世界から脱却させ、あなたに、すべてのことに自由に対応できる自分を培ってくれる可能性を、もたらすはずだ。
 ものごとが、正しいか正しくないか判断する時、あなたは、それが「いのちを生かす」ことにつながっているかどうかを考えればよい。例えば、政治(政策)や経済の在り方にしても、人間関係の在り方にしても、文化や芸術の在り方にしても、それらが「いのちを生かす」ことを土台に成り立っているかどうかを検討すれば、あなたにも、それらの問題点は自然に見えてくるはずだ。しかも、「いのちを生かす」ことを枠づけしないで、「すべてのいのち」を生かしているかどうかを、あなたが判断するようになれば、あなたの考えの中から、ここまでは大切にするけれども、ここから先は大切にしていないなどという「枠づけ」された「ねばならない」の世界、あなたを取り巻いていた垣根は、たちまち取り払われていくことだろう。
 「いのちを生かさねばならない(大切にしなければならない)世界」と「いのちを生かす世界」は、私にはまったく違って見え、「いのちを生かす世界」の方がとてつもなく素晴らしい世界に見えるのですが、果してあなたにはどう映ってしまうのでしょうか?


■これから何を作って生きていくのか?
 話を先に進めますが、戦後50年たったこの日本の社会に生きていて、私たちが今一番にやりたいこと、それをまずは作っていく、実現していこうと考えています。
 一つは、国や行政や政治に任せておいても、何も肝心なことが進まない現実があるところから、彼らに頼らず、私たち自身で、私たち自身の相互扶助組織を作ること。
 いまでも、保険会社や共済制度として確かにいろんな保険制度があります。しかし、阪神大震災の時、これらの保険制度は、市民の困窮した事態を改善するために、少しでも積極的に自らの血を自分から流して何かやっただろうか。ノー! である。何の役にも立たないこんな保険制度は、あてにならない。また、いろんな形で、震災の被災者に対する義援金が拠出され、集められた義援金が分配されても、家を失った被災者の生活を立ち上がらせる根本的解決には至らなかった。
 日本のみならず、人間が地球で生活していく宿命として、安全な場所ばかりでないことは、いまさら言うまでもないことである。地震・火事・火山の噴火・津波などによって、どこかで、誰かが災害に巻き込まれ、被害を被ってしまう事態を、私たち人間は避けて通ることはできない。そうした災害や事故に巻き込まれた人に対して運が悪かったというだけで、私たちの関係は、ともすると無関係、個人ではどうすることもできないとして、せいぜいが、義援金の呼びかけに応えるのが関の山だ。そして、いざ自分が、思いもよらぬ被害者になってみて、あわてて右往左往するのが私たち日本人の生態だ。
 私は、この私たちの社会的関係を変えたいと願っている。普段から、どんな困難にぶつかった時でも、被った困窮に対してそれなりに扶助し合う関係を実現できるところから実現しようと考えている。私は、被害者になって困った時に「どうにかしてくれ」と一方的に言うのではなく、普段から、被害者になってもならなくても、私たちの社会的関係を相互に扶助し合う関係として作り替えていきたい。
 もう一つは、これまで個人個人別個に作ってきた私たちの生活環境(住まい)を、他人の手(ケア)を必要として生活している人を軸に、ケアし合うことを前提に生活する共同住宅を(各地域に)作ることで、私たちの人間関係を、具体的な共通の責任と共同の扶助で生活する関係にしていくこと。
 でも、こんな共同住宅を作りたいと思ってもらえる人が日本にどれだけいるのかが問題です。また、こんな共同住宅を作るにあたって、いざ住みたいと思ってもらえる人がどれだけいるのかも問題です。あなたがこれまで通りのやり方でこれまで通りの生活に固執するのであれば、あなたは自由にそうすればよいだけです。けれど、こんな日本を、これからどう生きていくのか、あなたにも考えてもらえるのであれば、一つ私たちの提案を考慮してほしい。


■どんなイメージの共同住宅を作るのか?
 共同住宅に関して、私は、とりあえずこんなイメージを描いています。

「共同住宅に関するコンセプト試案」
〇一人住まいの使用面積    36平米(22畳分) or 40平米(24畳分)
〇家族世帯は4人家族を標準に 81平米(49畳分) or 80平米(48畳分)
〇2人世帯          54平米(33畳分) or 60平米(36畳分)
〇共用部 エレべーター/階段
     厨房を併設した多目的デイケア室・介助者控室・図書資料室など
〇階段の傾斜は、車イスの重心(他にも計測する)16度以下とする。
     15度では55mで15cm上がる。16度では50cmで15cm上がる。
     なお、通常の車イスの一例〔全長104cm 横巾55cm 車高85cm 前後輪軸間50cm〕
     ストレッチャー変更タイプ〔全長108cm 横巾53cm 車高124cm 前後輪軸間64cm〕
     ストレッチャー変更夕イプ〔全長100cm 横巾56cm 車高124cm 前後輪軸間59cm〕
〇風呂 全世帯風呂つきで、介助を必要とする人用に共同風呂を設ける案。
〇尺度 メートル寸法にする。1間を2mに。
〇土地 350〜400坪で一棟の建坪200坪程度にする。
〇柱は鉄骨コンクリー 60年以上100年はもたせられる建物であること。
〇床から床までの高さ3m 床の厚み30cm
    ただし壁の厚みは、部屋の広さに含めない。部屋と部屋の間の壁20cm?
〇1単位あたりの住宅個数を家族世帯100・―人世帯50・二人世帯50とする
  必要な広さA案100×81=8100(4900畳) or B案100×80=8000(4800畳)
          50×36=1800(1100畳)      50×40=2000(1200畳)
          50×54=2700(1650畳)      50×60=3000(1800畳)
               12600(7650畳)           13000(7800畳)
〇建物を4棟分にすると、(1棟分はA案で1913畳)
 □ 地上6階×1階フロアー200坪400畳の場合=240O畳
   一棟の世帯構成
     家族24世帯49畳で1176畳・一人12世帯22畳で264畳・二人12世帯33畳で396畳
     住居部分の必要広さ1836畳、残り564畳分が共用部分となる。
〇建物の共用部分564畳分の内訳
     エレべーター1基                 3畳×6=18畳分
     約2メートル幅でエレベーター1基を取り巻く階段 12畳×6=72畳分
     廊下はできるだけなくし共用部分の部屋から各部屋に行けるようにする。
     (廊下分の余りは予備住居にあてる)       30畳×6=180畳分
     予備室(1階を除く)               8畳×5  40畳分
〇2階以上に配する部屋(男女別にフロアーを別にする)
   共同風呂の広さ(男女別)       24畳×2
   共同トイレ               3畳×2
   洗濯場                 6畳×2
   介助者控室               8畳×2
〇1階に配する部屋
   ビル管理・事務室               8畳分
   厨房を併設した多目的デイケア室   厨房  16畳分
                  デイケア室  80畳分
   図書・資料室                12畳分
   共同トイレ            6畳×2=12畳分
   残り                    44畳分
〇2階以上の南側を取り巻いてべランダをとりつける。
〇地下1階に「駐車場・倉庫・機械室」など。
〇求める建築費用は地上6階・地下1階建て・屋上付きの1棟分の経費。
〇最近よく話題になるビル耐震装置を付けた時の追加単価?
〇朝日新聞で報道された記事の太陽熱温水装置・風力発電を設置した時の追加単価?

 という訳で、こんな共同住宅を作ろうとした時、土地代を別にして、建設費は坪50万円の単価にして6億円かかってしまう。もちろん、お金をかければ豪勢な住宅は可能です。でも、豪勢な住宅が、快適な生活を保証・担保してくれる訳ではありません。


■共同住宅の建設資金づくりは?
 これが一番の難題です。
 資金作りとしては、当面、三つの案を考えています。
 一つは、共同住宅を作って、いっしょに生活していこうという同行の士が集まって、その仲間の責任で資金を調達してくる。例えば、仲間の一人ひとりが自分の責任で、自己資金を持ち寄ったり銀行などから借りたりして資金を作る方法。
 二つ目は、今、私たちは、「ケアを前提に生活しあう共同住宅をつくろう」ということで『ケア生活くらぶ』というものを提案して、動きはじめていますが、あなたにも、この会の会員になっていただき、基金を拠出しあう方法。
 三つ目は、話は前に戻りますが、私たち自身で、私たち自身の相互扶助組織を作って、そこに寄せられた共済基金を積み立てて、この基金を「共同住宅」の建設資金にあて、この「共同住宅」に住むことになる住民の家賃収入を、必要な相互扶助の保証金にあてるという方法。
 どちらにしても、一筋縄でいかないことは確か。一人・二人の個人的な力だけではどうにもなりません。そこで、あなたにも、この提案について考えてもらい、できればあなたが「同行の士」となってくれることを、私は願っています。でも、あなたが今後、これまで通りの生き方をしても、私は何とも思いません。たぶん私は、私たちが実現したいと思っていることを実現する方法を模索しながら、この先も生きていくと思います。


■『ケア生活くらぶ』と伊豆の農場の現状
〇遠藤滋氏と私で歩いてきた、『ケア生活くらぶ』のこれまでの経過
 1985年 『だから人間なんだ』(障害者文庫2)を発刊。ともに編集に関わった遠藤・白砂が、『ケア生活くらぶ』の共同発起人となる。
 1988年 『詩集 鏡よ鏡』(障害者文庫あらため文庫いのちの森3)を発刊。
 1990年 西伊豆松崎町に2880坪の山林(甘夏のみかん山)を確保。甘夏の産直販売を開始。「いのちの森」交流農場の建設に着手。
 1991年 約120坪の平坦地を開き、そこにプレハブ棟などを建てる。パンフレット「提案します・もう―つの暮らしへのパスポート」を作り、『ケア生活くらぶ』の会員募集を始める。
 1992年 都内に「ケア生活館」を建設を前提に、調査票『点検 日本の建造物』を準備・作成する。
 1994年 「いのちの森通信」第1号を発行。
 1995年 東京連絡所を世田谷の遠藤宅におく。

〇伊豆の農場の現状。
 山を削り、石垣を積み上げながら谷地を埋め立てる作業は継続中。ただ、甘夏の収穫期(4〜6月)や、機械の調整が必要になって、よく中断している。
 甘夏の産直販売とともに、野菜作りやみかん以外の果樹の苗木を買って植えたり、ハーブや果樹の種を植えたり、挿し木をして苗木を増やしている。去年挿したメタセコイヤやみかんの挿し枝から今年は新芽が出てきた。でも、みかんの挿し木に成功したかどうかはまだ言えない。また、去年に続いて今年もみかんの接ぎ木に挑戦したが失敗。
 私は、最近、伊豆で植物の育成、特に挿し木に凝っている。

1996.6   白砂 巌(ケア生活くらぶ発起人)


いのちの杜 季節暦
春になると
 3. 1(’94)この頃から豊後梅咲き始める。
 3. 1(’96)赤がえる鳴く。翌日朝、赤がえるの産卵を確認。
 3. 1(’96)うぐいす「ホーホケキョ」と鳴く。
 3. 5(’91)八木山〜農場へ向かう中間点(梶宅入口付近)でうさぎに逢う。
 3. 5(’96)豊後梅咲き出す。
 3. 6(’94)桃のつぼみ膨らむ。(ピンク色に変わる)
 3. 8(’94)PM6:35 田んぼにしている水たまり付近で「てん」か「いたち」を見る。
 3. 8(’94)8〜9日にかけて、赤がえる田んぼで産卵。
 3.24(’93)排水処理用水たまりに赤がえる10匹。(昼すぎから雨)
 4. 8(’93)海の色が夏の色に変わる。(風と波があった)桜満開。
 4 上旬(’93)毎晩、いたちの訪問を受ける。訪間先は台所の流し。
 4.11(’91)松崎から石部への道(マーガレットライン)でりす? に逢う。
 4.17(’91)いたち・へび・とんぼ初見。
 4.25(’93)川とんぼ初見。八木山地区へ下る川すじの路で。
 4.27(’91)南伊豆町伊浜からの帰り道、うさぎ・たぬきに逢う。
 4.30(’93)蛍の幼虫が光っているのを確認。
 5. 4(’91)八木山地区へ下る途中いたちに逢う。
 5.10(’94)この頃、いちご初摘み。
 5.10(’95)夜、ほたる(幼虫)光る。
 5.16(’95)尾根すじで「ぎんらん?」見つける。その後所在不明。

夏には
 6.11(’94)この頃、ほたるの光、初見。
 6.11(’95)オニヤンマ初見。
 6.15(’95)リスを見る。八木山〜農場へ向かう途中の道を横切り木に登り枝づたいに山の奥へ。車で走りながら見る。
 7.23(’93)農場でほたる飛翔。
 8.10(’94)PM4:00過ぎ、夕立の中、虹を見る。(山の中、東の空に)
 8.11(’94)稲の生育1mを越える。すいか(ソフトボール大)鳥に食べられる。
 8.27(’95)稲の穂初見。

秋になると
 9.13(’95)栗の実3個ひろう。くりごはんにする。
 9.17(’95)農場の栗の実4個収穫。
10.14(’94)八木山地区へ下る途中、子たぬきに逢う。
10.30(’94)昼、いたちがプレハブの前を通って行く。
11. 8(’92)さつまいも・里いも掘り。
11.14(’93)子たぬき・いたちに逢う。

冬には
12. 6(’95)この冬の初氷、初霜確認。(朝7時半)
12. 6(’95)農場内で子たぬきの死体発見。
12.15(’95)小梅一輪咲く。
12.19(’93)農場に氷はる。
12 下旬(’94)暮れからふきのとう出ている。
 1. 7(’96)水仙・きぬさやの花咲き出す。遅く植えたそらまめ芽を出す。
 1. 9(’95)現在、ビワ、さざんか、水仙2種、ふきの花咲いている。
 1.11(’95)氷はり、霜おりる。
 1.17(’94)夜10時過ぎ、台所に赤がえる出てくる。(雨が降っているが南風)
 2.10(’94)外のトイレで流れ星見る。
 2.12(’94)朝と夕、雪が舞う。
 2.13(’94)AM0:00頃から雪。積雪最大1m。車の上など。
 2.15(’93)うぐいす鳴いていた。
 2.19(’94)この頃、うぐいすの初鳴を聞く。
 2.22(’96)18〜19に東京大雪の時に伊豆16年ぶりの大雪の報で農場の山にも残雪。
 2.22(’96)朝から雪が舞う。小梅の花、満開。
 2.27(’94)未明に雨からぼたん雪。日の出とともに消える。


ケア生活くらぶ収支決算
収入の部 1993まで 1994 1995 合計
本の売上 311,279 69,240 31,000 411,519
甘夏売上 1,512,480 272,000 693,800 2,478,280
預金 117,223 4,156 121,379
宿泊費 72,000 14,000 10,000 96,000
カンパ 125,398 10,000 1,500 136,898
その他 23,400 13,000 9,848 46,248
立替え 3,546,000 − 3,546,000
合計 5,590,557 495,463 750,304 6,836,324

支出の部 1993まで 1994 1995 合計
ミカン関係 528,800 105,000 297,298  931,098
交通・通信費 1,024,260 115,388 29,133 1,168,781
機械・工具類 2,386,332 29,024  8,057 2,423,413
土木建築資材 1,269,890 14,636 27,919 1,312,445
種・苗・肥料 102,339 25,750  9,113 137,202
印刷費 513,000 75,000 0 588,000
電気ガス 47,019 32,112 44,557 123,688
車両維持・他 213,477 63,762 187,882 465,121
返済 46,000 0 0 46,000
合計 6,131,362 460,672 603,959 7,195,748
残高 △540,805 △506,014 △359,669 △359,669

会費 1993まで 1994 1995 合計
収入 163,000 23,763 − 186,763
支出 46,000 106,763 − 106,763
返済 46,000 印刷発送費 −  
残高 163,000 80,000 80,000 80,000

基金 1993まで 1994 1995 合計
収入 760,000 130,000 100,000 990,000
立替え支出 500,000 0 0 500,000
返済 − − − −
残高 260,000 390,000 490,000 490,000

借入金および未払い金
年月日 摘要 項目 借入・支払い先 金額
96.1.1現在 だから人間なんだ印刷代金 借入 遠藤滋 250,000
 伊豆開拓資金 借入  1,500,000
96.1.1現在 だから人間なんだ印刷代金 借入 白砂巌 250,000
 だから人間なんだ写植代金 未払い ″ 500,000
 伊豆開拓資金 借入  1、500,000
合計残高   4,000,000