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映画「えんとこ」

 映画『えんとこ』が、12月1日の朝日新聞のコラム「天声人語」に紹介されました。この映画の完成上映会が始まってから半年。上映運動にとってはさらなる追い風です。
 おそらく、時代にとってなんらかの必要性に応えるところがあるのでしょう。どこまでゆくのか、そら恐ろしい気もします。

 でも、そう思うと、ぼくとしてはやはり気になることが出てきてしまう。この映画を観てくれたひとたちの感想のなかに、「“あるがままの自分でいいんだ”と感じることができて、肩の力がぬけ、とても楽になった」というようなものが多いことです。

 たしかに、こうした感想を持ってくれるひとがいるのは、とてもうれしい。しかし、それは“お互いのいのちを生かしあっていきる”世界の、入り口に立っただけなのです。その入り口の扉を開けて、その中へみずから一歩を踏み出すかどうかは、あなた次第…!

 「ありのままの自分のいのちと、それが置かれている状況…。それを一旦まるごと自分でひきうけて、全ていかしてゆけばいい。おいしいところ取りは、禁物。一見難しそうにみえても、ひとの目を気にせず、すこし勇気をふるって自分のいのちの姿を裸にしさえすれば、それだけで、みずから決めて“今”のすばらしい生き方を展開することができる」
 これが、今までぼくがみんなに伝えようとしてきたメッセージでした。

 ぼくがいいたいのは、修行して悟りをひらけということでもなければ、だれか特別な能力に恵まれたひとに、教えを仰げばいい、ということでもありません。むしろ、そんなことは考える必要はないんだよ、いま生きている、このいのちを唯一のよりどころとして、それを大切に、まるごといかして生きればいいんだよ、という積極的な姿勢。
 そしてそれは必ず、自分のまわりにいる誰彼との関係の中でしか、できないことだし、考えられないことです。そうやって、ひとはそれぞれにいかしあって、生きてゆけばいい。

 映画という媒体は、たとえば文字だけで表現する、評伝とか、評論とか、はたまた随筆などというものとは、表現方法がかなり違っているはずです。その証拠に、本人であるぼく自身がほんとうに伝えたいことまでしっかり読み込んで、ぼくのホームページにつくってある「雑記帳」や、電子メール等で、ちゃんとかみあったメッセージを返してくれるひともいます。
 そこまで読みとってくれる人がいるのだから、伊勢の映画創りも、まんざらでもないのかも知れません。とりあえず伊勢に、感謝、感謝!

1999年12月05日