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性的な初体験

 障害をもっていた、ということもあって、ぼくの初体験はかなり遅いものでした。それだけでなく、いつのがそれといえるのか分からないほど、まごまごしていた。せっかくそういう機会があっても、いざとなると肝心なものが立たなかったりして。
 ただ、そのなかでひとつ、今でも忘れられないことがある。お互いに抱き合えば、それだけで相手の体温が伝わってきます。でも、相手の中に入ったとき、そこがあんなにも暖かいものだとは想像していませんでした。熱いといってもいいぐらい…。
 そのときぼくは、ぼく以外のひとのいのちを感じていたのだと思います。
 もうひとつ。実はぼくは「ばついち」です。息子が二人います。その二人が赤ん坊だった頃、抱きたくてもぼくの手では抱けなかったのですが、畳の上にあおむけに転がっているぼくの腹の上に、はいはいを始めた息子がよく乗ってきて、そのまま眠ってしまうことがあった。二人ともそうだったのです。こんなにやせていて、骨ばかりのぼくの上に…。柔らかくて、重たくて、温かかった。眠ってしまうぐらいだから、このぼくに全幅の信頼をおいているのです。この時にも、いのち、というものを実感しました。
 そのいのちを自分がそのまま受け止め、生かせばいい、ともっと早く気づいていたら、初体験をめぐってあんなにあせったり、羞恥心の混じった自己嫌悪にまみれたりすることもなかったでしょう。また、初めから無理をしていないのだから、結婚生活もうまくゆき、泥仕合のあげく離婚、なんてことにもならなかったかもしれません。
 男女関係も人間関係のひとつ。いや、極みとすらいえます。これからぼく自身にもう一度そういう機会があるかどうかは分かりませんが、今度こそ“生かしあう”関係のうえに成り立たせたい。そうでないと、愛し合う二人の関係も、それぞれの勝手な思い入れの中で、ただ利用しあうだけの関係に陥っていってしまうからです。

1998年01月29日