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「映画が切り取った日常」の一生活者より

寝たきりを楽しきかなとうそぶきて君の眼は海のごと澄む

 わたしの幼ななじみであり、小、中とおなじ養護学校の同級生であった大津留直が「えんとこに寄す」という題で詠んでくれた何十首にも及ぶ歌のひとつです(『現代短歌』平成13年8月号に、うち十首が連作として掲載)。
 かれはそれ以後もわたしにとって、学生時代にいたるまで親友であると同時によきライバルでもありました。当時急速に“実践派”に傾いていたわたしとは違って、いわば“理論派”の道を選んだかれは、早稲田大学の文学部だけでなくその修士課程まですすみ、その後はドイツに約24年間滞在して、その間に通常なら5年もあれば書ける哲学論文を不自由な手で15年もかかって仕上げ、今は博士号を持ちながら、西日本のふたつの大学で講師をしています。福岡県の吉井町に在住。
 ちょうど伊勢によるドキュメンタリー映画『えんとこ』の上映運動が全国で展開されていた時期だったこともあり、それにちなんで贈ってくれたのです。
 上に紹介したのは、その中でかれ自身が一番気に入った作なのだそうです。

 介助する若者集ふ君が家は「えんとこ」とふ名の道場となる

 これも、その中の一首。
 それは、確かにそういえないこともないかもしれません。そもそも伊勢自身が、映画のナレーションの中で、そんなことを言っています。しかもこういう評価を親しい友人から受けるのは、とてもうれしい。でも、もう、今のこの生活のかたちは、ぼく自身にとって、すでに限界をはるかに超えています。自分の生活のあれこれを、自分で管理することすら、もはやままならなくなっている。これ以上、この生活を続けることはとてもできそうには思えません。
 たとえばだれかが映画を観て、ぼくの生活のかたちに感心するくらいなら、ここらあたりで、ひとりきりで頑張るのではなく、お互いにひとりひとりの生活を共有しませんか? そろそろ、これを“ひとごと”にするのではなく、積極的な共通課題にしませんか…?
 ぼくとしては今、そう、言いたい。
 もちろん、ひととひととの間には、適当な距離も必要だと思います。ボランティアとして、遠くから来るひとたちがあってもいい。でも、それらのひとたちにぼくがひとりで対応することなど、もう、客観的に考えても、とうてい無理です。できれば気心の知れた、安心できるひとたちが自分のそばに生活していて、いざとなればそのひとたちのだれかに、とりあえずすべてを任せられる環境がつくれないかぎり…。
 たとえ障害など持っていなくても、ひとり暮らしをしていて、病気になった時のことを考えてみてください。これなら若いひとたちにも、すこしは分かってもらえるでしょう。
『ケア生活館』の構想を、ぼくはより多くのひとと共有したい。もう一度、いや、何度でも、考えてみてください。本気になって…。
 やはり大津留の歌で、この一言を締めさせてもらいます。

 介助受くる自立生活を大いなる実験として君寂しまず
2002年03月01日