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ぼくの日本語

 いま、ぼくはこうしてホームページの上で、「一言集」を書き続けています。介助してくれるひとに、口で書きたい文章を伝え、キーを打ってもらいながら…。
 そのさい、ぼくが心がけているのは、できるだけセンテンスを最後まで打ってもらってから、変換するということです。ぼくの言葉づかいや文字づかいを、コンピュータが覚えてくれるからです。

 ぼくの書く日本語は、基本的に、また多分に美的な感覚においても、すこし古風なのかな、と自分でも思っています。でも、その中にさりげなくはやり言葉を入れたり、話し言葉のいいまわしを混ぜたりするいたずらは、好きだし、また結構得意だとも自負しています。

 なぜぼくがセンテンスごとに変換しようとするかというと、ひらがなを基調とした日本語の文章が、やわらかくて、読みやすいと感じているからでしょう。ワープロなどでなにかを書こうとすると、つい文節ごとに漢字変換したくなって、結果としてやたら漢字の多い文章になってしまう。まっくろな字づらを、いったい誰が読みたいと思うでしょうか?
 どんなに新しい時代になったとしても、耳できいてそのまま分かる言葉で書きたい。もうすこしいえば、"やまとことば"の可能性を、もうすこし追求してみたい。それが、ぼくの願いのひとつです。とくに、安易なカタカナことばが氾濫している、今のような時代にはなおさらのこと…。

 ぼくの介助者のなかに、「遠藤さんのかなづかいに、知的な文字表現のしかたを感じて、自分もそれを生かして文筆活動をしたい」というひとが現れたり、また、「遠藤さんの文章って、とても分かりやすいですね」というメッセージがメールを通じて届けられたりして、すこしは種をまくことができたかな、と喜んでいるところです。

 とはいっても、かつてぼくが自分で読んだ本、とくにいくつかの専門分野に関係する本になると、やたら難しい専門用語や言い回しが、あたりまえのようにでてくる。それでも、それを知りたいという自分の好奇心から、食らいつくようにして読んだものがいくつもあります。分かってみれば、「なんだ、こういうことだったのか」というような論文が多いのですが、たとえば哲学や宗教思想、はては歴史学や社会学や、はたまた経済学などにいたるまで、それで自分がものごとを理解し、合点がいったことは、ついその分野の専門用語で表現したくなってしまいます。
 これが、じつは落とし穴。えらくなったような気分にはなれたとしても、多くのひとたちにはほとんど通じません。おなじ書くなら、なるべく多くのひとに理解された方がいいではありませんか。
 抽象化された概念を、もういちど日常の具体的なところにもどして、それをいかしてゆくのは、確かにそうたやすいことではない。でも、それがどれだけできるかということは、学問でえた知識を、どれだけほんとうに自分自身が、みずからの活きた知恵としてこなしているか、ということの証しにもなります。

 そういったことを心がけて、ぼくはこの「一言集」も書くようにしています。字数が足りなくなると、なるべく短くしようとして、漢字を使うことがどうしても多くなってしまうのですが…。
2000年09月23日