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自分自身に固有な生活

 ご無沙汰しました。数ヶ月ぶりの登場です。

 というのも、昨年の12月から、今年の1月までのほとんど2ヶ月の間、身体の緊張が極めて強く、その後も体調が不安定だったからです。そのうえ、確かにうれしい悲鳴でもあったのですが、映画の『えんとこ』を観たという、いろんなひとたちから届いたメールに返事を書く、ということにもかなりの力をさいていました。
 知らないひとからのメールでも、ぼくは必ず一度は返信を送ることにしています。どんな機会にも、それをいかして、新しい出会いを求めてゆこうと決めているからです。

 ぼくの障害は、脳性マヒ。そこからきた、頚椎の変形による神経管の狭窄のために起こる、諸症状をもあわせ持っています。知らずにいつの間にかためてしまった精神的な緊張が、そのまま肉体的な緊張として現れることもしばしばです。
 だから、ぼくにとって、あらゆる意味での緊張は禁物。いくらケンカをふっかけられても、それには乗らないようにしています。それが命取りにもなりかねないので、できるだけポーッとして、受け流します。
 難しい話には、できるだけ乗らない…。

 でも、たまにメールで、わざわざカチンとくるような言葉を送ってくる人もいる。不思議なことに、ぼくと同じような障害を持っている人に、それが多いのです。

 思うに、ぼくのどうということもない日常生活が、ドキュメンタリー映画として全国各地で上映されていること、それにテレビやラジオ、新聞などにそれが紹介されてしまったことに対する、やっかみの心が働いているとしか思えません。そんなところで、ぼくは自分を誇ろうとはこれっぽっちも思っていないし、第一、それどころではないのにもかかわらず…、です。

 ぼくは、これまでの自分の模索のつみかさねのうえに、やっと今のような、自分ならではの固有の生活の形をみつけ、それでどうにか生きているだけで、これが誰か他のひとの生活のモデルになるとは、まったく思っていません。「自立」という言葉すら、久しく使ったことがないのです。なぜって、関わってくれるみんなの力に支えられて、はじめてぼくの生活がなりたっているのだから…。

 伊勢にしても、障害を持つ者の、最も新しい生き方の形として、この映画を撮ったわけではないと思う。あきらめないで、ここまで生きてきて、なお明日を開こうとしながら生きようとしている、そういうぼくの、ありのままのいのちの姿を、ありのままにただ淡々と撮ろうとしただけのことだったと思います。

 いま、各地にできていっている、「障害者自立生活センター」。ぼく自身は、そこで行われている、「自立生活プログラム(ILP)」や、「個人的自立生活プログラム(PILP)」などに、それなりの意義はみとめつつも、それがかえって、本当に自分らしい「自立」生活の仕方を、枠づけてしまうのではないか、ということに危惧の念を抱かざるを得ません。

 ぼくは、自分が幸運にも障害を持っていたおかげでたまたま気づくことができた、もっと普遍的な視点から、ひとびとの生き様を絶えず見とおして生きてゆくことを、せいぜい楽しませてもらおうと思っています。もちろん、その視点は、可能な限り、多くのひとと共有し、それを積極的にいかしたいのですが…。
2000年04月15日