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えんとこに、

こたつ登場!!
「一人寂しくふるえる夜は、
     いつでも遊びにきんしゃい。」

by こたつ

1996.12.4.第45号


 前回のかうちさんの一大演説ほどうでしたか? 目に見えない人に自分の考えを伝えるのって、とっても難しいことだと思うんです。誤解されてしまったとしても訂正できないし、気持ちが伝わったのかどうか、確認もとれない。けれどもかうちさんの文章を読んで、これがえんとこ通信のあり方なんだって、改めて思いました。そりゃもちろん、ー対一で話し合えれば、より正確に気持ちが伝わるんだろうけれど、たとえ一方的でも、ある意味でこれも「出会い」であって、人と人との「つながり」でもあるわけで、だからせっかくのこの関係、もっと大切にしなきゃっておもったんです。実をいうと、今までは、えんとこ通信を引き受けたはいいけれど、この一方的な関係に、私、少々不安を感じていました。何を隠そう私も、ちょっと前までは、かうちさんと同じくえんとこ通信を読めなかった人間の一人だったから・・・。でも、私もかうちさんも、今ではそのえんとこ通信を、発信する側の人間になっています。こうなるまでには、それぞれ、長い長い道のりがあったわけだけれども、それを乗り越え? 今があるのは、関係をもち続けていたからこそだと思うのです。だから今度は私たちが、小さいながらも、「つながり」の架け橋になれればと、今、この文章を書いています。言ってみればえんとこは、糸電話の糸のようなものです。

 糸電話を使うかどうするかは、これを読んでいる人々が自分で決めることであって、後は煮て食おうが焼いて食おうが勝手にしておくれって、言いたいとこなんだけれども、でも、そうもいかないのが介助者探しです。もちろん介助に入るかどうかだって、その人の勝手なのだから、他人にどうこう言われる筋合いはないのだけれど、でも、万年介助者不足の現状では、電話で無理矢理探すしか手はないようです。
 私はこの間、そのお手伝いをしたのだけれど、顔もわからない相手に、都合も考えず電話をして、忙しくて入れない人に「入れよー」ってプレッシャーをかけてしまったり、精神的理由で「行きたくないな・・」って思っている人には、その気持ちに追い打ちをかけてしまったり、でも介助者は見つからないからやめるわけには行かない・・・という状況を経験しました。これって、かける側もかけられる側も、ものすごい精神的ストレスだと思うのよね。
 そこで、今回かける側の代表として、池本まりちゃんに文章を依頼しました。感想は人それぞれだと思いますが、でも、(ちょっときつく感じるかもしれないけど)これが、介助者探しを続けてきたまりちゃんの本音だと思うのです。逆に、かけられる側で意見のある人は、ぜひぜひ、なかままでご連絡ください。
 それではまりちゃんどうぞ・・・。

介助者探しを通して
     池本 真理
 現在えんとこでは「介助者探し」を3人で行っている。私もそのうちの1人なのだがなにやらこの3人を「キャンディーズ」と呼んでいる人まででてきているようで、これを聞いたときには苦笑いしてしまった。
 実際、介助者探しをやってみて、えんとこの状況がいままで以上によくわかってきた。明らかに介助者不足だ。特に泊まりの介助なんて、ほとんど決まったメンバーが一週間ごとにローテーションしなくてはならない。電話で介助に入ってもらうようお願いすると、「他の人だっているんでしょ。なにも気の乗らない私がいかなくても。」といわんばかりに断られることが多々ある。また、この11月上旬の連休頃、ちょうど私が介助者探しの番だったのだが、私は連休に用事があり、東京にいないため、連休が始まる前までに、2週間分ぐらいの介助者を捜しておく必要があった。これだけ探すとなると大仕事で、介助者名簿全員に電話したほどだった。しかしながらこの状況を知らない介助者がえんとこへきて介助者のボードを見るなり、「なーんだうまってるじゃない。」というのだ。
 「介助者全員にもう少し自主性があれば。」そう思わずにいられない。現在ほとんどの介助者が、電話で頼まれてから介助にはいっている。電話でいろいろな人に断られながら、みんな、忙しいし、バイトもしたいし、休みもほしいし、と思っているのは痛切に伝わってくる。私だって同じだ。ただえんとこの状況を知れば、少しでも考えが変わるのではないだろうか。
 私はえんとこの現状を単に介助者不足ととらえずに、介助者ひとり一人の意識化の問題だと考えている。自分が介助に入ったら、次にまた介助を入れて帰る。そこで会った介助者どうし、「ボードを少しでもうめようね。」の一言が交わせるようになれば。逆に考えると、この一声がでないということは、えんとこはまだまだその人にとって他人事であり、えんとこで過ごす時間は、何か特別いいことをした、ぐらいに考えているのではなかろうか。ボランティアというのは、特別なことでもなく、自分の余った時間やお金でするものでもなく、する側もされる側もお互い対等の立場でやっていくものだと私は考える。ならばえんとこでも、「してあげる」ではなく、「共に生きようじゃないか」ぐらいでやっていけば現状はもっともっと変わっていかないだろうか。

 私は介助者探しを通して、いまも日本人がボランティアをどのように受け止めているのかを、多少なりとも知ることができたような気がする。

 

”生かしあう”関係の上に

遠藤 滋

 ボランティアで介助などしているというと、しばしば「えらいわねえ」「よくやっているねぇ」という言葉が返ってきますね。
 いまだに、そういうことをするのはよほど奇特な人だ、という観念が人々にあるからなのでしょう。中には、偽善だ、と決めつける人さえいます。その前提には、必ず介助など他人事(ひとごと)だという感覚が潜んでいます。
 いざ自分にふりかかってこないと、その問題になかなか実感がもてない、ということがあるのは確かです。ぼくもまたそうでした。
 いま、ぼくのところに介助に来てくれている人達は、そういう意味でもぼくにとって貴重な人達なのです。これらの人達を、ぼくはひとりひとり本当に大切にしたい。たとえ、ひとりひとりの思いがどんなところにあるにしても。
 ところで、ぼくはよく「いのちを生かしあって生きる」ということを言います。ぼくが発起人のひとりとなっている「ケア生活くらぶ」の出発点がそれなのですが、しかしこれは決してスローガンのようなものとして考えたわけではありません。いま、ここに、ひとつひとつの関係として、みずから現実のものとしてゆく・・。そういう、いわば生きる構えを表した言葉なのです。
 それをスローガンやめざすべき理想として向こうがわに掲げてしまっては、この言葉はなんの意味もないものになってしまう。スローガンゃ理想は、所詮、どこまでいってもスローガンや理想でしかないからです。
 だから、ぼくはポランティアとは何かとか、あるべき介助者像とはどういうものかとか、そういった議論もしません。そんな議論は、ぼくには無用です。それは、これまでの観念の延長上で、物事をせせこましく枠づけることにしかならないからです。
 そんなことをやっているヒマがあったら、ぼくは自分が具体的にしたいこと、してほしいことを、相手にどう正確に伝えられるかを考えます。相手がどういう人であるかを探ってそれを理解してゆかないと、その人の心に届くような的確な言葉も見つからない。だって、この世の中にひとりとして同じ人はいないのですから。
 一見すると、ぼくが一方的に介助される側で、相手は介助する側にあるように見えます。でも、それでは実は介助は成り立たない。ぼくの方でも、その人ならではの持ち味を見つけだし、それを積極的に生かすようにしてゆかないと、豊かな介助は期待できない。そこにはすでに、生かしあう関係がほんとうは成立しているのです。たとえその人が、それをどう意識していようと。
 しかも、ぼくはいま、あらゆる世間的な固定観念から自由なところで、自分のありのままのいのちを思う存分に生かそうと決めて、ここに生き続けています。そういうぼくと、せっかく関わったのだから、この生かしあう関係についても、ぜひ気づいてほしい。だって、事実としてぼくを支えてくれる人がいなかったら、そもそもぼくはここに生きていられないのだから。ここに介助に来てくれている人達は、すでにぼくのいのちを立派に生かしてくれているのです。
 もし、ぼく自身がいま、自分のいのちを輝かすことができているとすれば、それはぼくが理屈や固定観念の鎧(よろい)を身にまとったり、自分のいのちをほかのもので飾ろうとしたりしていないからです。

 

 いのちそのものは、本来、それ自体が輝いているものです。たとえそれがどんないのちであろうと。ぼくのいのちの輝きは、どれだけ曇りなく他の人のいのちを輝かしているでしょうか? ぼくの介助に関わってくれているあなたも、自分の中に、みずからのいのちの輝きを感ずることができるはずです。それを本当に自分で輝かすかどうかは、あなたの決めかた次第…!
 なお、ぽくの介助に関わってくれる人に改めてお願いしておきたいことがあります。特に新しい人に。
 ぼくを特別に「護ろう」とする必要はありません。そうではなく、一緒に考えてほしいのです。さしあたっては介助される側と、介助する側の両方の立場で。そして一番よいやり方を模索してゆきたいのです。
 例えば、プールでの介助。水中でのリハビリの内容ややり方、そして安全などについては、ぽくなりに考えて試行錯誤をしています。それについて頼れる専門家のような人は、残念ながらまだいません。だからそれについての全責任は、とりあえずぼく自身にあります。それでもあえてやろうというのは、ぼくにとっていまそれが必要だからです。 もちろん、安全についてなど、必要なことに注意を払ってもらったり、意見を言ってもらったりはしてほしい。それは、一般的にいう仰々しい「責任」ではなく、ぽくとの信頼関係の中での個人的な責任と考えてください。
 役人が負うべき責任だとか、政治家が考えるべき問題だとか、そういってしまうのは簡単です。でも、そういってみても目の前の問題は何も解決しない。彼らを動かそうとするのは、いまのところ絶望的なほど困難だということは、実は誰もが感じていることでしょう。
 いざ自分に何かがふりかかってきたときだけ、役人のせいにしてみたり、政治家のせいにしてみても、その時にはもうどうしようもないのです。
 みずからの責任でおたがいにやってゆけることは沢山あります。その気になれば、たいていのことはできると言っていい。
 ありのままのいのちを生かしあいながら生きる関係を、ひとつひとつ現実のものとしてゆく・・・。これがぼくの決めた生き方であり、介助に関わってくれる人達との間でやってゆきたいことでもあり、そしてケア生活くらぶも、そのために準備してきた組織なのです。
 あなたも、すすんでこうした関係を共有しませんか。そしてその関係の上に、もっと豊かな世界をみずから開いてゆきませんか?
 ちなみに、ケア生活くらぶでは、とりあえず西伊豆松崎での交流農場づくりと、都内でのモデル集合共同住宅(ケア生活センター)づくりを今、新しい生活ネットワークの拠点としようと、目下の課題としています。でも、生かしあう関係を現実的に支えるための方法となるなら、どんな人のどんな意見でも、生かすことにやぶさかではありません。
 なぜって、ぼくはケア生活くらぶを、世の中によくあるような大小のピラミッド型の組織にはしたくないから。あくまで、ひとりひとりの横のネットワークとして形成してゆきたいから。やってみたい一つ一つの具体的なことについて、言い出しっべが責任を持つ、いわば「この指とまれ」ネット。
 もちろん、介助者グループも、この方式でやってゆきたいと思っています。

1996.11.3

 


 ずっとやせ細ってゆく一方だった遠藤ですが、この半年の間に3キロ以上も体重を戻しました。いろんな工夫の成果でもありますが、それを支えてくれたみんなのおかげです。 気分的にもずいぶん違います。体力や機能を回復させていく力を、自分の中に感じます。黙々とただ食事をしているだけの時間帯に介助にはいってくれる人に、特にこのことを知らせたい。なにしろこの十年間に48キロから、37キロ台にまで落ちていたのですから。


 映画『奈緒ちゃん』の上映会にむけて、「奈緒ちゃん新聞」第8号(とりあえずの最終号)を同封します。4ぺージに、私たちの上映会の呼びかけ文が載っています。「『奈緒ちゃん』いかします!」とでもいう見出しをちゃんと指定して書いておけばよかった。目立たなすぎますものね。


忘年会
日時:1996年12月21日(土)   4時より準備 6時開始
場所:えんとこ(遠藤宅)
差し入れ、持ち寄り大歓迎


えんとこ通信のナンバーについて
 このところ、「えんとこ」のバックナンバーの付け方が混乱しています。「だんだんうごきはじめる号」となっていて、「自立」をテーマにしているのが41号、「えんどうの夏」というのが42号、「健康読本」が43号、「奈緒ちゃん上映会決定」がトッフになっているのが44号で、これはナンバーはあっているのですが、発行日が前の号と同じになっています。途中での訂正が、また間違っていたりして、よけいに混乱してしまいました。申し訳ない。


 

創業3ヶ月 えんとこ間借りの奈緒ちゃん新聞

 さーてさてさて、クリスマスです。それがすぎれば正月です。「奈緒ちゃん」上映会ヘむけて本格的に活動開始です。この号では、同封したチケットの扱い方を説明します。なお、急いでおよそのことだけつかみたい、という人、真ん中あたりの◎◎◎のマークのところからどうぞ。
 さて、そんなに急いではいないという方、まず上映会のこと、おさらいします。同封したチラシを見てください。

 日時は来年3月15日の午前と午後、場所は下北沢にある北沢タウンホールです。300人入るホールで2回やるので、600人の人に見てもらおうという企画です。入場料は、前売りで800円、入場料は999円(ホールを借りるお金の関係でこんな金額になった)です。遠藤さんの旧友でもあるこの映画の監習の伊勢さんがホールをとってきてくれました(伊勢さん、どうもありがとう)。
 「奈緒ちゃん」は、全国各地で様々な人の手によって自主上映されています。現在までに約250ヶ所で上映され、5万5千人の人が見てきたそうです。えんとこの企画もそのうちのひとつというわけです。
 なにか意義深いことが語られている、という映画だからという以上に映画として面白かったですよ。くわしいことはほんものの「奈緒ちゃん新聞」を読んでみてください。
 遠藤さんほ、この企画を通して遠藤さんの地域のいろんな人に「奈緒ちゃん」を見てもらいそこに描かれたことを共有すること、さらに遠藤さんと介助者グループやケア生活くらぶの活動を知ってもらい広げていくこと、そしてこの上映会を実現させることを通してえんとこの横の交流を深めることの3つを実現させたいと考えてきたそうです。ただ上映会が成功した、というだけでなく、どんな過程を経てこの上映会ガ実現できたか、ということを大切にしたいということです。よろしいでしょうか?

 はい、おさらいはここまで。
 伊勢さんによると、600人の人に見てもらおうと思ったら、チケットは1000枚売るくらいがちようどいいのだそうです。そこでチケットは素直に1000枚用意しました。
 この企画の活動の70パーセントくらいは、このチケットの販売に占められます。ここをみなさんに請け負っていただきたい。私、そんなのやるっていった覚えないわよ、なんて冷たいことどうぞおっしゃらないで。一人でがんぱっても限界ありすぎ、の企画です。いちぱーん必要なのが、みなさんの少しずつの協力です。友達の友達はみな友達だ(遠藤さんが言った)の要領でよろしくお願いします。

 600席中400〜500席は、前売りで確保する必要があるとのことです。この400席から500席を確保する方法は今のところ主に次の4つあります。
1、チラシを見た人によるえんとこへの電話予約
2、えんとこのみんなの手売り
3、様々な団体への委託
4、びあ、世田谷だより等のマココミ、ミ二コミからの申し込み

1のチラシ→電話予約、が一番基本的な方法です。チラシは10000枚用意しました。えんとこのメンバーによる遠藤さんの地域ヘのポスティングと、小田急線沿線の公共施設や映画館、劇場、喫茶店等においてもらう方法があります。前売りの確保が難しくなった場合は、予算をオーバーしますが新聞への折り込みも考えています。みんなの周りにあるネットワーク、公共施設、映画館、またミニコミ等でいいものがあったらぜひ教えてください。
 そしてチラシをご自分で置いてきてください。チラシは郵送もしますし、介助現役の人は入った時にもっていってください。たーんとあります。
2チラシのつぎに期持されるのが、みんなの手売りです。各地で行われている奈緒ちゃん上映会も、やはり初めはスタッフの地道な手売りから始まるそうです。一見、あまりに地道すぎやしないか、と思う人もいるでしょうけど、スタッフの最初の一蒔きがなにより大郵なんだって。

◎◎◎
 それでは、同封したチケット、チラシ、ハガキの扱い方を説明します。
◎◎チケットの扱い方
 同封したチケットは買い取りと預かり、返却の3つが選ペます

◎買い取り

 ハガキの買い取りの欄に送られてきたチケットのうち、何枚を買い取りとするのかを書いて返送して下さい。料金は下記の口座にお願いします。原則として売れ残ったものは返金されません。ちょっとリスクはありますが、買い取りは非常に助かります。追加については後述します。
◎預かり

 預かりは必ずしも売りきらなくてよいものです。売れ残ってもチケットの代金は必要ありませんので、売れるかどうかわからない人の数も頭において枚数を決めてください。たくさん残った場合は返送してもらえると助かります。
 郵送して相手に判断を委ねた場合、買ってもらえるかどうか確認をとり、代金のやりとりも二人の間ですませて下さい。(当日に前売り料金で本人に清算してもらう方法もあります:下記参照)売れたチケットの枚数をえんとこに報告し、下記の口座に振り込んで下さい。
◎返却、その他

 今回特に配る宛のない人でも、配る気のある場合は持ってて下さい。協力できない、だれがするかよっという場合は、返却のところに枚数を書いて返送して下さい。なお、遠藤さんと今接点がない人、この新聞の後半にある雑記のところを読んで下さるとうれしいです。
◎チケットの集計
 第1回集計は、12月31日、大晦日です。前売りの状況によって新聞の折り込みをするのか、広告媒体を増やすかどうかなど宣伝活動の内容が変わってきます。なるべくはやい返送をお待ちしてます。毎月末日を集計日とするので、目安として下さい。次回「えんとこ版奈緒ちゃん新聞」でもお知らせします。

 重要事項、必ず読んどくれ
 上映会当日、お金の支払われた前売り券とそうでない前売り券を区別する必要があります。そのため、チケットを次の3つのバターンに分けます。
 チケットの右端を見てください。
1前売りの◇マークを塗りつぷしたチケット(すでに支払われた前売り券)
     →そのまま会場に入ってもらえます。
2前売りの◇マークが塗りつぶされていないチケット(当日清算の前売り券)
     →前売り料金800円を当日精算してもらいます。
3当日料金の◇マークを塗りつぷしたチケット(当日券)
     →当日販売された999円のチケットです。

 そこで、みんなは次の作業を必ず行ってください。
 料金の支払われたチケットには、チケットの右端の欄の「◇前売り料金」の「◇」をペンで塗りつぷして下さい。塗りつぷされていないものは当日清算のものとします。
1買い取ったチケット→自分で「◇」を全部塗りつぶして下さい。
2預かったチケット
  A手売りで直接買ってもらった場合→チケットを渡すときに「◇」を塗りつぶしてください。
  B買ってもらえるかわからない相手に郵送した場合
    aチケットを買ってもらうことになった場合
       →買った人に「◇」を塗りつぶすように伝えて下さい。
        料金は各自でやりとりして下さい。
    b買うかどうか当日まで分からない場合
       →そのままにしておいてください。当日、前売り料金で清算します。

 みんなにたくさんの人にチケットを渡してもらえるようこのチケットの分類をしました。電話などで直接買ってもらえるか聞きにくい友人にも、当日清算の方法をとれば、気軽に送ることができるのではないでしょうか。とはいえ、前売りでどのくらい確保できたのか把握しにくくなるという大きなリスクがあります。買ってもらえるかどうか確認できる相手には、できる限りこの方法は採らないで下さい。当日の会計の混乱を避けるためにお金のやりとりは事前に各自ですませておく方法を原則として下さい。ちょっとややこしいですけど、この方法の目的を理解しておいてくださいね。

◎チケット販売作戦手売り編第一期:クリパ・忘年会・新年会シーズン
 まず、この年末年始の忘年会やクリスマスパーティ、新年会などの宴会の席で、みんなが集まってぱーっと盛り上がって財布の口がゆるんでいる時にどんと売りこんでもらえないでしょうか。ちょっと予定より遅れてしまったので、追加がある時はすみませんが急いで教えて下さい。料金は800円です。割り引いて亮る場合は割引分はみんなのカンパということでよろしくお願いします。

◎ハガキの書き方

●同封したハガキに、今手元にある枚数中、何枚を買い取りに、何枚を預かりに、また返却にするか、ぞの内訳を書き入れてください。
●追加の場合は、追加の箇所に枚数を書き入れて下さい。折り返し郵送します。
●チラシの追加は、通信欄に書き入れて下さい。
●その他、よく分からない点や相談のある人は通信欄に書いててください。ハガキの書き方が分からなかったら通信欄に書いちゃってもいいです。
●チケットの売れ行きを把握したいため、チケットの郵送後、ハガキの返送がない場合は確認の電話をさせていただきますのでよろしく、お願いします。
●これから3月の間までにチケットやチラシが必要になったら電話や郵送、FAXで、ぜひ注丈して下さい。随時受け付けています。

●チケットの郵送が遅れてしまいました。忘年会シーズンにもうさしかかっていますので、急ぎの場合は電話やFAXでの注文にご協力ください。
 2月は第2次チケット販売総力戦、 チラシ、ポスター、ミニコミ、マスコミによる宣伝を展開します。

スタッフ(12月6日現在)    
●横野●池本●橋ロ●大井川●和田●中尾
●高橋●大場     
●佐々木●加藤●武藤●賀内●中間●遠藤

 これを書いた賀内は、これからちょっと受験の準備のため、「奈緒ちゃん」の活動から離れます。
 高橋君と大揚君とにコアとなる作業はバトンタッチです。みんなくるしいもたのしいも肉まんみたいに半分こしてがんばってください。

ふたことみこと)雑記            賀内麻由子
 どたばたチラシをつくっているうちに、この企画がとても楽しみになってきました。たぷん多くの人はまだこの企画に実感がもてないと思います。でも、ちよっとまじめに取り組んでみるととてもたのしい人との出会いやいろんな経験が待っているイヴェントかもしれません。これまでにお会いしたのは、奈緒ちゃん新聞を発行している応援団の大場さん、印刷所の梶山さん、それに伊勢さん、これからは、羽根木のプレイパークで活動している人たちや経堂で上映会を開いた方とも会えそうです。せっかく楽しくなってきたのにここで離れるのはちょっとくやしいぜ。
 もうすでに、このチラシとチケットは、いろんな人の手によって郵送されたんだよね。もしこの活動にもっと積極的に関わりたいという人がいたら、いつでも言ってくれるといいねえ。今のところチケットの管理や郵送、チラシの配布やポスタ−貼り等を、上記のメンバーでやっていこうとしています。
 私はこの映画、補助金受け取ってないけど一観客としてほんとの気持ちで勧められます。押しつけないようにしようと思うけど、もう会わなくなった友達も含めて、いろんな人に配ろうと思っています(買い取りじゃないけどね)。もう会わなくなっても、なんていうか、元気かなぁ、あんたもいつか死ぬと思うし、それまで会わないと思うけど、遠くで楽しくやってこうね、って思います。まだ見ていない人でも友人を誘ってもきっと損はないですよ。もしよければ今からでも遠藤さんに言って見せてもらってはどうでしょう。誘うのはそれからでも遅くないでしょう。
 それから、えんとことはもう交流がない人。遠藤さんが伝えようとしていることは言葉ではとても伝わりにくいと私は思う。伝え方、すごく難しいと思う。それは伝わってしまうものだとすれば、「奈緒ちゃん」という映像にはそういうカがあるんじゃないかな。「あの人り言ってることってなんかわかんなかったな、なんであんなに伝えようとしてたのかな」って思ってる人がいたら、こっそりでも「奈緒ちゃん」見に来たらいいんじゃないかなって思うのだけどどうでしょう。
 みんなにもいろんな葛藤やお楽しみがあると思います。えんとこでのこともあるし、いろんな日々の出来事にもね。それは「奈緒ちゃん」のカメラが見つめていたことだと思う。ちょっとでも多くの人が、肩の力を抜き、楽になるといいのになとなんとなく思います。
 チラシとチケット、出来はともかく可愛がってつくったので、いろんなところに連れていってあげてください。よろしくお願いします。