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1993年9月29日発行

 街路樹も色づき始め、吹く風に秋を感じる季節となりました。おしゃれでもしてでかけると、どこかに新しい出会いがありそう...
 さて、今回の「えんとこ通信」の内容ですが、9月4日(土)の介助者ミ―ティングが台風13号にたたられ、ほとんどお茶飲み話に終始してしまったので、その報告は割愛して、この紙面は私の好きなように使わせていただきます。あらかじめ、皆さんの貴重な時間を読むために割いて下さることに御礼とお詫ぴを申し上げます(さあ、読むのを止めるなら今ダョ!)。
 とは言え、これはじっくり読んでネ。

 エンドウさんからの伝言
その1− 介助者グループに世田谷区より支払われている介護料の内訳(1ケ月分)
a)全身性障害者(重度脳性マヒ者等)介護人料派遺制度(ポランティァ委託)
b)緊急介護制度
 a)は月額213,120円(8時簡x37回分)、b)は20,000円(4時間x5回分)、この中から1時間当たり300円の介護料と往復の交通費が支払われています。また、遠藤さんの所にある材料や、頼まれて外から買ってきた材料で食事を用意して一緒に食べた場合は1回400円の食費が遠藤さんのところへ戻ってくるようになっています。「だから人間なんだ」の本代(1冊1,000円)もここから支払われています。どうしても介護人が見つからない場合に依頼しているHANDSの代金(1時間x830円)も出来る限りこの中から支払うようになっています。
 これらの使い途について、もっと別の案があるようでしたら、介護者ミーティング時に話し合いして変更することも可能ですから、意見・質問等ある方はドシドシ発言して下さい、お待ちしています。
 ちなみに、介護料の増額については、現在、東京部あるいは世田谷区に対し、色々な障害をもった人達のグループが交渉をしているところです。

その2− 介護科を銀行振込するるために、各人の取引銀行・ロ座番号・名義人名が必要です。まだ連絡していない人は、次回、速藤さんの家へいって介譲料を記入する際、一番上の名前を書く欄の右側にでも自分の銀行口座を書いておいて下さい。会計の平沢さんにどうぞご協力を。

その3− ポランティア保険加入の件。世田谷内でボランティアに従事している人は,無料で保険に入る事ができます。他の団体ですでに加入している人は不必要ですが、そうでない人は,万が一に備えて申し込んだ方がべターと思われます。遠藤さんちに申し込み用紙がありますので、必要事項を記入しておいて下さい。人数がまとまった時点で申し込みをしておきます。
 素朴な疑問だけど、遠藤さんと日本酒を飲んでて急性アルコール中毒とかでプッ倒れたら、保険おりるのかなあ。徹夜で話し込んでて風邪ひいた場合はたぶんOKだと思うけど...

その4− 日本史(一向一揆関係)を専攻、もしくは浄土宗・浄土真宗に詳しい方を捜しています。なにせ、親鸞関係の文献に出てくる難しい漢字・用語をフリガナ無しで読める人が必要なのです。我はと思われん方、知り合いに心当たりがある方、おられましたらお知らせくださいませ。

 突然ですが、ここで、「北海道四方山話」と題して、8月12日−15日、元紋別の鷲頭(わしず)家にお世話になった遠藤さんと伊藤さん、セツさん、私(宮内です)の血沸き肉踊る夏休み旅行のさわりをご紹介します。
 お盆の帰省ラッシュの真最中に無理やりとった羽田発ー女満別(めまんべつ)行JAS便。遠藤さんにとっては、座席のリクライニングの背があまり動かないし、もちろん満席で横にもなれず、かなり苦しい旅でした。何とか北海道へたどりつき、レンタカーで一路元紋別へ。あたりは見渡す限りの地平線、まるで別世界。途中で寄ったレマン湖では水平線と空が溶け合って、どこまでもブル―!(さすがに昆虫にとっても天国のようで,湖畔ではいっぱい虫に刺されてしまいましたが...)。
 あたりも暮れた頃、やっと鷲頭さんちへ到着。小弓ちゃんのお姉さん(?)と思いきや、若いママの知子さんが元気に出迎えてくれました。妹の環ちゃんは、演劇に励んでいる女優の卵。やがて仕事から帰ってきたお父さんの幹夫さんはガッシリとしたナイス・ガイ。いきなり歓迎の祝宴となり、帆立の刺身に舌鼓。いやぁ、皆、お酒の強いこと、強いこと。幹夫パパの見事なのどを披露してもらったり、近所の家に遊びにきていたご夫婦に太極拳を習ったり、可愛い環ちゃんの演技も見せてもらいEndlessにボルテージは上がる一方。ヤギの乳て割った焼酎って初めて飲んだけれど、これもほのかに旨くっておいしかったナ。
 東京組が翌朝目覚めたのは10時項、鷲頭家はとっくに鶏や山羊や畑の世話にひと仕事もふた仕事も済ませたあと。この後、幹夫パパは、近くの湾之舞に建設が計画されている自衛隊の戦車の射撃練習場−射場(しゃじょう)−への反対集会へお出かけ。かつての金山跡地を削って射場にしてしまおうという計画で、金山あとの有害物質の処理を止めたがっている会社の方は大乗り気だけれど、そうなると、あたり一帯が汚染物質タレ流しになるわ、砲弾が誤って飛んで来かねないわという恐ろしい話です。あの美しい自然を壊さないで欲しい、というのが率直な思いでした。
 ところで、鷲頭家はとても来客が多いお宅で,近所の人がしぼりたての牛乳を持ってきてくれたり、ちょっとお茶を飲みにきたり、入れ代わり立ち代わり色んな人が登場します。知子ママの話がまた面白くって、ついつい時間を忘れておしゃベりしてしまいます。この日のタ食にはセツさんが自慢のプロの腕をふるって餃子を作ってくれ、皆でまたまた舌鼓。数日前に屠殺した豚の肉のプロックを包丁でたたいてミンチにしたのですが,手の平がまっ赤。おいしい筈です。
 夜は,遠藤さんと幹夫パパ、セツさんの話が盛り上がり、翌朝5時に伊藤さんが起きたら、まだ3人して話していたそうで...ビックリ。
 14日は川へ鮭が産卵にのぼってくる時期だというので見に行ってみると、今年はまだでした。でも川の水が澄みきってきれいだったこと! それから、家の周囲にある畑や鶏小屋を案内してもらい、玉葱と人参を交互に植えると虫がつかないと聞き、ひとしきり感心していると、人なつっこい猫のテツが、事もあろうか遠藤さんのおなかの上に乗っかりすっかり寛いだ様子なのに、一同大笑いしてしまいました。
 家に戻って。なんと、近くの川でとれたエビの踊り食いに挑戦。甘くっておいしかったけど、とにかく手で捕まえるのが大変だし、ピチピチしているエビを口に入れる時には、ありったけの勇気をふり絞ってしまいました。フライパンて空煎りしてもらったら、エビが真赤に恥ずかしがって大人しくなり、やっと安心Lて食べられ、これもまた美味。
 午後から近くの海へ出かけて広い広い水平線を呆然と眺めることしきり、この海が見たかったんだなあ、これが。伊藤さんとセツさんは、砂浜で駆けっこして、青春してましたっけ。夜は隣町の夏祭り。幹夫パパの自慢の和太鼓に聞き惚れるやら、遠藤さんも参加して盆踊りの輪に入ったり、地元の人との楽しい語らいを楽しみました。とても暖かい人ばかりで、熱烈歓迎してくれ感激。家へ戻ると、幹夫パパの塾の教え子がやってきて、飲めや歌えのお祭りの延長となり,今夜もEndlessカナ...? 自家製のにごり酒も出てきたりして。
 さて、早いもので15日は帰京の日、あいにくの雨の中、なごりは尽きないながら、私達は帰路についたのでした。けさ採ったばかりのミニトマトをつまみながら、楽しい思い出に浸っていたまではよかったのですが、思いがけない渋滞に巻き込まれ、しっかり予定のフライトに乗り損ねてしまいました。旭川の空港で、まっ青になりながら、―応JASでキャンセル待ちに載っけてもらい、わびしくお弁当を食ペながら待つことしばし。紙の助けかJASの粋なはからいか、何とか最終便に乗ることができたのでした。
 めでたし、めでたし...
 ほんの4日間ながら、とても密渡の濃い時間をもてた今回の旅でのキーワードは、やっぱり「出会い」。
 違った土地で色んな人生観を抱いて生活している人達と会って、気持ちを触れ合わせて、お互いのハートとハートが共感した時、生きている喜びを感じました。都会での忙しいリズムに追われて、ふと置き去りにしがちな感情の波が一気に開放されたような、素晴らしさSummer Vacationだったと思います。鷲頭家の皆様、元紋別の皆様に、この場をお借りして心より感謝を申し上げます。

さて、お楽しみの遠藤さんのエッセイ・コーナー
彼女ごのみの・・・

遠藤滋

 「あなたって、みんなにやさしいのね」と彼女は言った。
 それが、「わたし以外のひとにはあまりやさしくしないで…」という意味であることに気がつき、少々愕然としながらもぼくは彼女に従った。なぜってぼくはもともと彼女のために生まれてきたのだし、それに確かになにか可愛いらしくもあったから。そのくせ彼女はこうも言うのだ。「でも、わたしをしばらないでね」
 何度かデートを重ねて、いざホテルへ。でも、ぼくには絶対の自信があるはすだった。なにせぼくの頭脳には、あらゆるメディアからのトレンディーな恋愛情報がインプットされているのだから。それに性についての情報だって。
 ぼくは彼女をあらん限りのやさしさで包んであげたつもりだ。ぼくの身体のセンサーは敏感に彼女の身体的な好みを感じとってそれに反応し、そのデータは細かに蓄積されて、ぼくはどんどん彼女ごのみの男になっていった。少なくとも、はじめの何回かはそれで結構うまくいったのだ。ざまあみろ、ぼくがもしロポットでなくてなまみの男だったら、こんなことはやっていられないぞ。胸にいろいろたまってしまうぞ。そんなことでは彼女に気にいられ、彼女の愛を独占することだってできないではないか!
 ところが、ぼくの記憶装置がその容量の限界に達してしまったことがキッカケだっただろうか…。とたんに事態が逆の方向に回りはじめたのだ。
 彼女を愛そうとしても、彼女の身体がぼくの働きかけに突然、反応しなくなったのだ。後で冷静に考えれば、単にそのとき、たまたま彼女の体の調子が普段とすこし違っていただけなのかもしれない。だが、ぼくはあわてた。ロポットがあわてるなんていかにも妙だが、ぼくを操作しているのは実は彼女なのだ。しかも機械が慌てはじめた時ほど、始末に終えないものはない。
 ぼくが次々とくり出すのは、それまで彼女自身から受け取ったデータに基づく幾通りかのバターン化された行為と、そしてぼくの頭脳にあらかじめインプットされている怪しげな情報に対応した行為ばかりだった。ぼくは暴走をはじめたのだ。今ごろそんな情報を植え付けたぼくの造り主を呪ってみても、はじまらないことだった。
 「やめて!」と叫びながら、彼女はついに怒りだした。暴走するぼくに恐怖を感じたのか、悲鳴をあげて彼女はぼくを払いのけた。そして、…それが彼女とぼくの、いや、ぼく自身の、最後となった。あたりには、ぼくの部品が散らばって…。
 きみにぼくが言えること。セックスは、お互いのいのちへの限りない信頼に基づく最も親密なコミュニケーション。コミュニケーションは一方通行では成立しない。
 所詮、ロポットは人間にはかないっこないよ。ぼくにはきみが羨ましい。確かに、ひとに自分がしてほしいことをまっすぐ伝えるのは、ちょっとした勇気のいることだろう。でも、きみにはいのちがある。そのいのちを祝福することもできる。
 きみという、かけがえのない具体的な姿をもったいのち。それを自分で決めて肯定しさえすれば、相手ヘの、確かな“おもいやり”をも持つゆとりができるだろう。“おもいやり”とは、文字どおりそのひとに想いを遣ること、つまり相手に対して想像カ(イマジネーション)を持つことであるそうな。その人の身になってみることを抜きにしては、ひととひととの間のコミュニケーションも、どうやら成り立たないようだ。
 それにしても、そもそも最愛のひとをみつけあうのに、ひらかれた人間関係ぬきでできる? 開ざされた思いこみの中で、ニ人だけでバリアーなんか張っちゃって…。
注)この分と、先の「えんとこ通信」に載せたエッセイは、赤十字関係のポランテイア団体のために書いたものを転用しました。

 さて、次回の介助者ミーティングは、10月10日(日)体育の日の正午から開かれます。ちょうど梅ケ丘のお祭りにあたるので、是非ひやかしに行きましょう。かつてはリオのカ一ニバルののりで色っぽいお姉さん達がサンバを踊ってくれたりしたそうですが、さて、今年は何が出るやら。屋台の買い食いも楽しみダナァ...そして、遊んだ後はしっかりミーティングもしましょうね。See you!