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  第14号

1990年12月1日発行

社大祭でほんのお店

 11月25日(日)は社大祭の三日目。 わたしたちは日本社会事業大学UYAの企画として中庭で本のお店を出しました。
 本といっても遠藤さんのケア生活くらぶで扱っている『だから人間なんだ』等の本です。
 介助者集めのためのビラ配りがおもな目的で、本などどうせ売れるものか、と思っていたのですが、なんと延べで15冊も売れたのです。内訳は、『だから人間なんだ』が9冊、『暗雲の街』と『鏡よ鏡』がそれぞれ1冊ずつ、それに『苦海をいかでか渡るべき』が上下二組ずつです。
 当日10時半ごろ、社大のキャンパスにミニキャブで遠藤さんと福島くん、小山さんが到着。中庭にしつらえたお店用の机の前で加藤(聡子)さんと宮地くんが迎えました。
 やがて鷲頭さんも加わり、途中で出はいりもあったものの、みんなでビラを配ったり、呼びこみをしたり、売り子になったりして楽しく過ごしました。店番をしていたというより、絶えず食べていた? 菊池くんも顔を見せました。
 お客にもいろんな人が来て、なかなか楽しかった。学生の他に社大の先生(米山さんを知っていた!)、近くの清瀬療護園の入所者、他の施設も含めた職員らしい人、近所の人など。鷲頭さんが中国で知りあったという中米生れの外人や、えらく明るくてひょうきんな聾のおじさんなどにも出会いました。
 傑作だったのは、菅家くんはもうかなり夕方になってから来たのですが、昼頃電話をかけた時に「今、これから出る。」 ところが、いくら浦和からでもとっくに着いていい2時になっても着かないのです。別の催しがあって彼と交代したい官地くんが、もう一度電話をしました。
 すると、彼はまだ家にいて、「これから出るよ。」
 その報告をきいた加藤さんの一言。「まったく、そば屋の出前じゃあるまいし!」
 小山洋子さんの大活躍については、あとで本人に語ってもらいます。
 なお、社大UYAとは、「ウフーン、ヤダー、アハーン」とかいう怪しげな解説も伝わっているようですが、「ユナイテッド・ヤング・アテンダンツ」というれっきとした名前の頭文字。もとは介助者のイべント・サークルだったのが、いつのまにか遠藤さんの介助者グルーブの名前のようになったのです。でも、これも「ウソー、ヤダ、アハハ」の略が本当だとか。
 何だかよくわかりませんね。  をはり
                A
                OP

 

<酔いどれ少年夢日記>
11月2日(金)
 サンシャイン社会福祉専門学校での特別講義。『すてきな出会いをありがとう』と題して、児童福祉学科の1年生に安倍美知子さんのことを、社会福祉学料の1年生におもに森田康志君のことを話す。
11月4日(日)
 藤巻篤君、来訪。
11月6日(火)
 サンシャイン社会福祉専門学校での特別講義。児童福祉学科の2,3年生に『すてきな出会いをありがとう』と題して中村敦君との「時間の哲学」を、社会福祉学科の2年生に『大地とのかかわりを求めて』と題して伊豆での土地探しなどについて語る。
11月7日(水)
 都立身障センターの指導員、福祉事務所のケースワーカー、区立総合福祉センターの職員が生活用具の相談の件で訪れる。
11月9日(金)
 よねchan顔をみせる。
11月10日(土)
 山形の横山陽子さん来訪。ほぼ1年と8ヶ月ぶりの再会である。
11月11日(日)
 角さんきたる。
11月13日(火)
 数ヶ月来胃腸(?)の具合が悪いので、ついに医科歯科大病院へ。肝臓の検査もする。
11月18日(日)
 よねchanの芝居にとうとう行けず。詩を書く。
11月21日(水)
 飯田橋の東京都社会福祉総合センターで展示中の「コミュニケ―ション福祉機器」を見に行ってみる。
11月22日(木)
 佐野寿伸君、来訪。
11月25日(日)
 日本社会事業大学の学祭で、UYAとしてケア生活くらぶ扱いの本を売る店を出す。
11月27日(火)
 再び医科歯科大病院へ
11月28日(水)
 小山洋子ちゃんの遠藤宅での実習依頼に、サンシャインの小笠原先生訪れる。

 

雑記ノートより

時 を 跳 び 越 え て

遠藤 滋

 今日、レイリーと話していて、みんなとゆっくり話したいことがいくつも出てきてしまった。
 たとえば、時間の話。
 哲学めいた話になっちゃうけど、みなさん、時間って、すべてのひとに、同じように流れてゆくものだと思いますか?
 たしかに、科学的には、一応、そういうことになっています。そして、日常的にも、ぼくらは自分が何年生きてきたか、とか、この年になって、こんなことをやっていいのか、とか、わりと気にしながら生きています。
 でも、ぼくにはいま、すべてのひとに同じように時間が流れてゆくものだとは思えない。逆に、ひとりひとりのひとが、それぞれに違った時を刻んでいると考えたほうが、ずっと自然に思えるのです。
 それを、そうではないかのようにこの社会の仕組ができあがり、人々も、そう思いこんで生活しているから、いろんなところに無理がでる。
 ぼくも、そしてあなたも、おたがいに違った時を生きているのです。
 出会いとは、その、おたがいに違った時をとびこえること。しかも、それができるのは、じつは、『今』しかないのです。
 過去に誰だれと出会ったよ、といっても、それは過去のこと。いま、そのひとと出会いを新たにし続けているかどうかはわかりません。また、いつかは誰だれと出会えるだろう、と未来に期待をかけても、それだけでは、期待を未来に死ぬまで先送りしてゆくことになるだけです。
 いま、出会ったひとと、ありのままのその命を、ほんとうに生かしあえるかどうか。そこまで、自分のいのちを、はだかにできるかどうか・・・。
 いつかちょっとだけ出会ったような気がしたけれど、結局すれ違ってしまった、という「出会い」も、多すぎるほど多い。ひととひとがすれ違ったまま終ってしまうなんて、これほど悲しいことはありません。
 ぼくは出会いを求めて生きています。そうしないと、実際にすこしの時もぼくは生きていられないから。
 こうしたことについて、もっとゆっくり、話したいですね。

(今年6月9日のノートより)

11月6日、サンシャインの児童福社学科2,3年生のほうで話したことはこれがタネになっています。文中、レイリーとは五十嵐礼子さんのこと。

 

北海道  紋 別

鷲頭もなみ

夏になると
ミツバチ族がやってくる
自転車野郎がやってくる
ちょっと風変わりな
徒歩旅行者もトコトコと・・・。
山だ、海だ、牛だ、馬だ
何を求めてやってきたのだろう?
何を求めてやってきたのだろう?
ここには有名な観光地も
レジャー施設も なんにもなくて
あるのはただ 私たちの毎日の暮し。
山だ、海だ、牛だ、馬だ

都会の若者が
何かを求めてやってきて
広大さに、自然に、田舎くささに、・・・
感動し、失望する

そんなところで
私たちは
春、夏、秋、冬
暮している

紋別はこれから‐30℃の冬をむかえます。

(社大2年)


サンタクロースに靴下あげた

いさみ けんすけ

先生が白い画用紙を僕に渡したよ
何でも好きなの描いていいって 先生は言ったよ
でも何にも好きなのないからさ
白いまま渡したよ

七夕の日にたんざくに願い事を書いて
ささの葉に結んだら 願い事がかなうって
でも何にも願い事がないから
白いまま結んだよ

クリスマス。イブの夜に靴下を下げたら
サンタクロースがやってきて おもちゃをくれるって
でも何にも欲しいのないからさ
サンタに手紙を書いたよ

サンタさん サンタさん 僕の靴下はいてください
サンタさん サンタさん僕の靴下をあげるよ

 

<編集後記> 当通信の編集長である中川菜穂子さんが卒論の追い込みで多忙のため、この号は代って編集しました。
 本通信のバックナンバーご入用の方は遠藤宅まで。
 それでは、よいお年を。

(E)