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  第13号
  改題第7号
1990年11月1日発行

雑居まつり特集

 ことし、斬新な企画で売った「フライドフルーツ」。みなさん、どんな風にあじわっていただけたでしょうか。
 実行委員会に毎回出席し、ぼくらのお店の準備をもとりしきった寺尾くん。当日お店をきりもりした十人をこえるひとたち。ご苦労さま!
 まつりに参加した人たちに、ぼくらの遊び心は通じたかな?
 誰がいったいあんなアイデアを出したかって? ほんとうはぼくの発明ではないのです。あの日調理の中心になっていた加藤聡子さん。彼女の発案なのです。
 ぼくはただ、それに乗っただけ。悪のりだなんて、いわないでしょうね。

当日のメニユ― : フライドフルーツと甘夏ジュース
揚げた果物 リンゴ・・・シナモンをかける。最も好評。
バナナ・・・塩コショーをする。これも野評。
ナシ・・・歯ざわりが意外によく合う。
バイナップル・・・評価の分かれるところ。でもまあまあ。
メロン・・・汁が多すぎて、たよりない感じ。
キーウィ・・・いちばんのクセモノ.おおかたには不評。
(生クリームをつける)
ジュース       ・・・伊豆いのちの森農場建設地の甘夏をしぼって一度煮立て、砂糖で甘みを加え、少量の塩と重曹で劇激的な酸味を和らげた。大好評。

聞こえてきた批評(お客からの忠告)
 1) 油がもっと十分にきれるように、容器など考えたほうがよい。
 2) 衣が湿ってよけいに油くさかった。その場でバン粉をつけたほうがカラッと場がってよかったのでは?

 

文庫 いのちの森 1暗黒の街新井 健司 著700円
文庫 いのちの森 2だから人間なんだ遠藤・白砂 編1,000円
文庫 いのちの森 3鏡よ鏡白砂 巌 著500円(障害者文庫 改称)
  発売・ケア生活くらぶ出版部

 

フライドフルーツ考     
          〜今なぜフライドフルーツか〜
 本年度の雑居祭りに参加するに当たり、遠藤氏より夏みかんを使った何かを売りたいがどう思うか、と相談されたのは9月のことであった。私は夏みかんと言えばフライでしょうと答えた。それは小学校の頃弁当やタ食に出ていたアレを思い出したからである。私の母という人は、新しい物好きのゲテモノ好きで妙なモノを食べさせる人である。私の記憶の中で夏みかんのフライは、クラスの皆に「さとこちゃんのお弁当ってすごーい!!」と言わしめた名誉ある地位を占めていた。そこへ今回の話である。私が夏みかんのフライを提案しないはずがない。しかし、実際に作ってみたそれは幼い頃の思い出を否定するようなスゴイ味がしてしまった。その後私は、大赤字の恐怖を予感しながら祭りの日を迎えたのであった。
 祭り時には夏みかんは取り止めメロン、バナナ、リンゴetcをフライドして販売した。売り上げについてはご想像のままに…。まさに飽食の時代が生み出したとも言えるフラィドフルーツ。フルーツ本来のおいしさを思い知らせてくれるものだった。手を加えすぎて素材の本当のおいしさを殺してしまうフライドフルーツのおろかさを思うと、それを作り出してしまった私は何者かと考えてしまう。卒業を控え自分を振り返ってみる時、いつの間にか味のつけすぎ手の加えすぎでどうも食えない人あいだになっているのではないかと反省してみたりする。フライドフルーツは大変良い勉強(?)になったし、雑居祭りは面白かった。次回も参加できると良いと思うが来年私がどこで何をしているかは「神のみぞしる」である。

(加藤 聡子)

「わすれられない味」

豊田 利郎

 今年の雑居まつりでは、貴重な体験をした。威勢のよいかけ声にさそわれて、遠藤滋介助者グループのフルーツの天プラを食べてしまった。その時のことを思い出すだけでも、あの不思議な味の感覚がよみがえってくる。もういちど、食べたい!
 最初の体験は、ころもを破るとジュッと暖かい果汁がでてきて、口の中で果肉があっというまに消えてしまった。何を食べたのか確かめる余裕はなかった。私は食べたあと「これはいったいなんだ!」と思わず叫んでしまった。つぎはいったいなんだ。形を見ただけでは、どれがなにだかさっぱりわからない。あせった。食べているものが分からない。
 私はいつも何かわかった上で食べるということに慣れすぎてしまっているようだ。つまり、頭の仲でこれだったらきっとこういう味がするに違いないと思い浮かべてから、舌で確かめているのだろう。
 しかし、このときは食べたあとも何かわからなかった。言葉によってものごとを確かめることができなかった。
 あとで聞くと、バナナ、キウイ、西洋なし、夏みかんがあったそうだ。
 「わすれられない味」というのは、確かに味そのものが新鮮で変わっていたこともあるが、わからないものを食べたってことが、新鮮な体験だったのではないか。
 私はこのときもう一皿おかわりしたのも、今になってみればわかるような気がする。

雑居祭り
 雑居祭り、はっきり言って大成功でした。某洋子ちゃんは、かの大声で商品を宣伝して売りさばき、わりと人が集まったので左隣の”もち屋さん”のおじさんから「ねえちゃん、うちの宣伝も一声たのむよ、かけてくれや」と頼まれて、依頼のとおり一声おもちの宣伝!をすると、そのお礼として1皿おもちを頂いてしまったというただ者ではない奴です。
 そしてフライドフルーツ並びにジュースを売る時のあのバカでかい声、あれはやはり19年もの歳月を生きのびてきたからこそ出た声量でございますのココロ。かてて加えて何と言っても某洋子ちゃんはとにかくよく売り物である商品を食べまくり飲みまくりその後大声でバカなリアクションをつけてほめまくったんですね、これが。
 しかも右隣には同じく100%オレンジジュースを売る“生協”の団体があって、こちらに負けじと某洋子ちゃんは安さで勝負して声で勝負して「1ぱいたったの5O円」とさけびまくって当然ながら単位が”1びん”という右隣の生協とは比較にならないほどに売れまくったのでした。
 当日台風が接近していて心配されましたが、どうやら遠藤滋の介助者の中にもっともっと大型の女台風が存在していてはね飛ばしてくれたようでした。
 雑居祭りはとにかく大成功でした!  おはり

(小山 洋子)

雑居祭りを終えて
 今年もまたまた雑居祭りに参加した。これで2回目である。遠藤氏から事前に、今年はフライドフルーツなるものをやると言う事は聞いてはいたが、果たしてそれはいかなる味のする食べ物なのか、皆目見当もつかないままその日を迎えた。朝、なるべく早く行きますとは言ったもののとーぜん遅れて9時近くに、少々きまりわるく思いながら遠藤家のドアを開けた。すると朝早くからよくもまあ、今まで遠藤家にこんなにも沢山の女の子が一堂に会したことが果たしてあっただろうかと思うくらい多くの女の子がせっせこせっせこフライドフルーツづくりに励んでいたのであった。人手が足りなくてこまっているのではないだろうかという私の思惑などなんのその、私は皆のせっせこせっせこというペースに乗れず、まあ看板づくりでもやるかということで部屋の片隅でひとり寂しく看板づくりを始めたのであった。
 雑居祭り自体は去年とさして変わらず、売る場所も同じであった。となりは相変わらず商売繁昌のおもちやさんだし、前のお店では外国のアクセサリーを売っていた。結構社大の人に会ったのには驚いてしまった。この業界は狭いから結構知っている人によく会うよと卒業した先輩がいっていたのを思い出したりもした。
 フライドフルーツ自体の売れ行きはまあまあだったのではないだろうか。少々保守的な人々は「フルーツを揚げたものです」と言う言葉を聞くと、一瞬たじろいでしまう観はあったが、冒険好きな命知らずな人々には受けが良かったように思われる。私も食べてみて結構おいしかったように思う。
 どんどん若い人々が出てくるのねーとふと感慨に耽ったりもしてしまった。この日集まったのはほとんどがティーンエイジャーと呼ばれる人達。フライドフルーツという斬新なアイディアもででくるわけよね。まあ料理は芸術の一つだし、伝統を大切にするとともにいつまでもそこにとどまっていてはいけないわけで、次のまた新たな一歩を期待しつつしめくくらせていただくことにいたしましょー。

(中川 菜穂子)

親愛なる者へ
 あの日、偶然 僕と君は出会った。
 お互いにぎこちない挨拶を交わして、苦笑いしたっけ。それから僕らは、一緒に歩きはじめた。
 晴れた日も、雨の日も。
 時には励まし、時には慰め、時には笑いながらそうそう、言い争いをした時もあったね。それでも僕らは離れることはなかった。お互いの間にあるものを感じ取っていたから。照れ臭くて、口には出せないけれど、きっとあれが友情と呼ばれるものなんだ。
 ああ、もっとゆっくり歩けば良かった。もう、すぐそこに交差点が見える。まだまだ一緒に歩いていたいのに。もっともっと、君と話していたいのに。交差点に着いたら、離れ離れになってしまうんだね。でも、いつまでも引きとめておく訳にもいかないから、そろそろ心構えをしなきゃ。一人で歩くのは心細いけど、今度は君とは違った場所で仲間を探すよ。

 いつかまた、どこかの交差点で、僕の道と君の道がぷつかることがあるだろう。そうしたら、しばらくまた一緒に歩こう。そして昔話に花を咲かせよう。そんな日がきっと来るさ。その日を信じて、それぞれの道を歩いていこう。

<酔いどれ少年ゆめうつつ>

9月1日(土)
 腰の緊張。痛みの為、この頃から寝たままで食事をすることが多くなる。ワープロにもほとんど向かえない。
9月27日(木)
 かつての教え子であ り、いま雑居まつりの実行委員会等で活躍中の塩野美貴さんの悲報を聞く。
 あまりにショッキング。
10月2日(火)
 身体に合った椅子、寝たままで打てるワーブロ、リクライニング式のマット(座椅子)、本のべージをめくる道具等の、必要な生活用具の相談を、区総合福社センターに持ちこんでみる。
10月3日(水)
 再ぴ区総合福社センターへ。都身障センター(補装具研)への相談申込みを勧められ。そのために結局福祉事務所に連絡する。
10月5日(金)
 去年光明養護で受け持った井堂真秀くんの通夜。
10月7日(日)
 雑居まつり。
10月10日(水)
 よねチャン来り、小山洋子ちゃんも一緒に羽根木公園、東松原駅近辺を散歩。
10月11日(木)
 池袋のビッグカメラで大枚をはたき、ビデオデッキ、テレビ等を買う。寺尾君、大野君が同行。
10月15日(月)
 生活用具の件で、ケースワーカーの訪問をうける。椅子については、でく工房で作ってもらうことにする(ただし半年先になる)。