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  通巻第十号
  改称第四号
1990年8月1日発行

 新宿から超デラックス特急で約二時間四十分。下田からさらにバスで峠(婆娑羅峠)をこえ、五十分あまり行った伊豆の西海岸に、松崎という町があります。そこから、今回は白砂さんに車で二往復してもらいましたが、連絡がよければ、八木山(やきやま)という所までなら、さらにバスを乗り継げます。その八木山の集落から二キロちかく山に入った所に、その甘夏のみかん畑はあるのです。ここが交流農場の建設地・・・。

 今回伊豆に行ったのは、遠藤のほかに小山、南、大倉、大野、斉藤、寺尾、菅家、それにあとから米山。白砂さんには車で先に行っていてもらいました。
 七月二十日、朝。九時三十六分新宿発の特急『スーパービュー踊り子』に乗って出発。ホームまで、出勤前の角さんが見送りに来てくれました。
 おしゃれな車内で、小山さんが用意してくれたおにぎりを遠慮なくほおばったり、ひろくて大きな窓から外の景色を楽しみ、おしゃべりに花を咲かせたりしているうちに、下田着。駅前からバスに乗って松崎のバス。ターミナルに着いたのは、午後の二時ちかくでした。
 白砂さんの車で先にみかん畑に着いたのが小山、南、大倉、菅家。ここでギアの故障で車がバックできなくなるというアクシデントが発生し、そこにとり残される四人は心細くもあったのですが、それでも白砂さんは第二陣を迎えに、片道八キロのみちのりを松崎へとひき返していってしまったのでした。
 それでも、四人は早速、ふたてに分かれてみかん畑に人って、いろんなものと遭遇していました。蚊の群れ、あぶ、はちなど。美しい黒あげは。せみもうるさく鳴いていたし、うぐいすの声も聞こえました。それに、「なにコレ。野糞?」「みかんの腐ったのじゃ、ない?」
 一方、松崎のバスターミナルに残っていた大野、斉藤(剛)、寺尾、遠藤は、白砂さんの車を待つ間に、そこから近い海辺を散歩しました。車いすの車輪を、砂にとられたりしながら・‥。
 全員がやっとみかん畑に勢揃いしたのは、もう、三時半近く。ひぐらしの声があたりにこだまし始めていました。
伊浜で
 伊浜は、伊豆半島の西南端、波勝崎のすぐ東側の入江の奥にあり、さらに東側の落居(おちい)との間を海につき出した断崖で仕切られた、それ自体が急斜面になっている集落です。みかん畑からは山ひとつを隔てた反対側なのに、車で行くと三十分以上はかかります。
 ここで忠右衛門という民宿をやっている斉藤さんの所が、その日の宿でした。斉藤さんは、みかん畑の土地を、紹介してくれた人です。
 そこまでをまた白砂さんがピストン輸送。さらに後から来る米山さんを下田まで迎えに行っている間に、八人は夕方の海へと散歩に出ました。
 ちいさな港になっている所から右の方へ数百メートル歩いて行き、防波堤から浜というか、磯に降りました。砂浜ではなく、大きな石ばかりなのです。
 はじめは足だけをつけるつもりだったのが、だれかがだれかに水をかけ始めたのをきっかけに、ついにおおかたは服のまま、海につかってはしゃいでしまいました。石の間には小さな蟹もいます。
 ひとしきりはしゃぎ回った後で、港の方へと戻ってきたのですが、こんどはその港の中に浮いていたビーチボールを取りに行くとかいうことから始まって、みんなが暗くなった港に次々ととびこみ始めた・・・。
 その晩は、新鮮な海のさちを、いろいろと味わいました。
そして二日目・・・
 翌二十一日には、海組と山組とに分かれました。小山、南、大倉、斉藤(剛)は海組。浜に残りました。
 残りの六名はみかん畑に戻り、オニのように甘夏を取りまくりました。前日の時点でまだ四割がたは残っていたのですが、やはり、取りきれませんでした。
 菅家くんが白砂さんと現場に残り、取ったみかんを整理したり新しくまた収穫したりしている間に、山組の他の四人は八木山からバスで帰途に就き、松崎のバスターミナルでやはり伊浜からバスで来た海組と落ちあって、下田にむかい、帰りはスーパービューならぬスーパー「ぐー」?
 つぎに来た時には、このみかん畑の土地で、なにをしようか。なにをして楽しもうか。
 そんなことをあれこれ考えながら、新宿まで帰ってきたわたしでした。
 只今ショべルカー、チェーンソー、そして井戸掘りの機械を探しています。

<酔いどれ少年夢日記>
7月18日(水)
 明大和泉校舎の門前でビラ配り。
7月20〜21日(金〜土)
 伊豆へ。
7月26日(木)
 佐野朋子さん来訪。巨岳(なおたか)くんはもう1歳。部屋を歩きまわり、いたずら盛り。

 ケア生活くらぶ『いのちの杜』農場建設地の甘夏はいかがですか?で始まった、五月からの伊豆のみかん狩り「そうどう」も、七月二十日・二一日の遠藤滋と九人の仲間たちの旅行でようやく一区切りつけました。収穫したみかんは、だいたい五トン強というところでしょうか。それでも、まだ手つかずの甘夏が、これまで収穫した分くらいぶらさがっていて、朽ちて落ちるに任されている。
 四月に、いきなりみかん山の地主になった時、地元の人の話に十トンくらいとれるだろうという見立てを聞いていたとはいえ、収穫を控えていたみかんも「どうぞ」ということになり、どれくらい採れるやら、どれくらいなっているものやら、皆目見当もつかず、無理のないところでやれるだけやろうという意志で、始まったみかん狩りでした。そうは言っても、そこは肉体労働をともなうもの。みかん狩りに参加した、私や私の家族、友人たちは、始めの内は、体がついていかず、とにかく疲労だけがたまったものでした。
 これからの予定としては、いよいよ土地の造成に着手するために、@ショベルカーを探す(中古を買う線で)。A第一期の工事として、進入道路の高さに、下層部のみかん畑の一部を、宿泊用プレハブ設置場所と畑用に造成。Bトラックとワゴン車の購入・宿泊用プレハブの購入。C井戸掘り。D敷地の上層部の造成。E他の果樹などの苗の植付け畑づくりの開始へと作業はひとつひとつステップを踏んでつづけていくことにしています。
 当初の腹づもりでは、七月いっぱいまでに宿泊用プレハブの設置にこぎつけたかったのですが、なにせ、目の前のみかんに目を奪われて、みかん狩りにエネルギーを吸い取られてしまった、というのが実情。
 さてさて、これからの進展やいかに? 時間をさいて手伝ってくれる人は連絡を。

一九九〇・七・三一  白砂巌

 

 俺がみかん畑に行くのは下見の時以来2回目だ。白砂さんとお父さんが作った秘密基地のようなものもできていて、なかなか楽しい雰囲気になっている。はやいとこ温泉出してもらって、山の上から太平洋を眺めながらゆっくり入りたいもんだ。
 みかん畑は結構急な斜面だから、遠藤さん歩きまわれなかった。斜面をくずして、平らな土地にするには何年くらいかかるだろう。みかんの木ももう切ってしまうので、もう取れるだけ取って、白砂さんの車のトランクと後ろ座席は、夏みかんでうまった。そのうちの半分くらいを俺んちに置いていったもんだから、俺んちの玄関とろうかと台所は夏みかんで足の踏み場もなくなった。砂糖漬けにしたりして結構食べたのだが、まだ残っている。

今回の伊豆旅行に参加した管家君の文章です。

 前略。
 唐突に神奈川県民と相成りましたが、いやはや、相変わらず家賃3万円でお風呂なしの生活でありますし、テキトーないい加減さで暮らしております。まぁ「社会人って、なんてツライのかしらん」なんてとても言えないのヨ。
 学生時代よりをかけて刺激的な生活おくってます。
 海も近いし、遊びに来て下さい。

 今年の春、社大を卒業した米山 裕紀子さんからこのようなはがきが届きました!!
 米山さんは今回の伊豆旅行にも参加してくれましたが、元気そうでなによりです。(あいかわらず、パワフルに頑張ってんだろうなぁ)

 

<編集後記>
 8/17〜8/19、私もはじめて、伊豆のみかん畑に足を運んだのですが、百聞は一見にしかず・・・ですねェ。
 遠藤氏とだいぶご無沙汰している方もぜひぜひ一度遊びがてら出かけてみてはいかがでしょうか。(まだまだこれから先、介助者及び関係者一同、関係のない人でもいいけど、率いる伊豆旅行はあるでしょう)