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  通巻第九号
  改称第三号
1990年7月1日発行

 今年の夏はいやー暑いですねェ。こう暑いと私などは「暑いのは自分だけじゃなんだァー」と妙に連帯意識を刺激されたりするのですが、まあそれはさておき、編集者のタイマンが感じられる遅れめの”えんとこ通信”をお送りします。(今頃7月号?)まずは、遠藤氏からメッセージが届いているのでそれを御紹介します。

具体的な”いのち”を生きる
 去年のちょうど今頃、こんなことがあった。
 羽根木公園に近い急な坂を、ぼくは電動車いすで下ろうとしていた。梅雨時で、路面はぬれている。
 たまたま、ほくは独り。急いで職場である光明養護学校に戻ろうとしていた。
 急がば回れで、その坂だけは避ければよかったのだが、なにせ、それほど急いでいたのた。
 わずか25メートルほどの、ちょっとした坂である。前に一度、ひとりで上りきったことがあるので、たぶん大丈夫だろうと思い、恐る恐る下りはじめた。
 ところが、タイヤの溝が泥でふさがっていたせいもあったのだろうか。とたんに車いすはスリッブを始め、コントロールがきかないままに、ずるずると坂の中途の路面の端まで滑っていって、そのまま脇のブロック塀に衝突してしまったのである。
 たいした衝撃ではなかったが、ぼくは前につんのめり、頭をその塀につき当てたまま、どうにも動けなくなってしまった。
 助けを求めようにも、人が通らない。だいいち、声が出ない。頭には、ブロックの表面のざらざらが食いこんでくる。
 一刻も早くだれかが見つけてくれるこ
とをひたすら願っていると、前方、坂の下のほうで、どこかの家の塀を修理しているオジサンがいるのが、わかった。
 案の定、かれはやがて気がついてくれたらしかった。ところが、すぐにでもかけつけてくれるかと思いきや、かれはたまたま向い側から出てきたどこかの奥さんと、何やらぼくのほうを指さしたりしながら、かなり長い間あれこれ話しあっていたのである。
 やがて奥さんが石段を上って家に入り、救急車を呼んだらしかった。
 やっと近くまで様子を見に来てくれたのは、それからまたしばらくたってからだった。ぼくはやっとなんとか体を起こしてもらえたのだ。
 「ケガはなかったか」とかれが聞いた。たしかに頭と手の指とに軽い傷は負っていたが、それはみんな、そうやって待たされている間に作った傷だった。ぼくはそれを話した。
 急いでいたので、ぼくはお礼を言ってそのまま立ち去ろうとした。だがやがて出て来たさっきの奥さんも加わって、しきりとぼくをひきとめるのだ。
 次の授業へと、ぼくはついにそれを振りきって急ぎ始めたが、学校に向って半分ほど来た頃、救急車のサイレンがうしろから聞こえてきた‥・。

いのちのいとなみの中で あなたと出会いたい
 みなさん、このことをどう思いますか?
 ぼくはあの時、とにかく何をおいてもまっさきに誰かに来てほしかった。
 今、ぼくの介助者にサンシャインの人たちが増えて、介助のしかたが、しきりと気になるらしい。でも、ぼくの体の状態は日によってとても違う。いつも同じしかたで介助をすればそれでいい、というものでもないのである。
 福祉の「救急隊員」を養成する学校で学んでいるのだから、介助のしかたが気になるのは当然である。が、やはり介助されているその人自身とまず出会えない限り、そもそもそれ自体が成り立たないのではないか。
 福祉の専門家よりも、もっと直接にお互いを生かしあい、助けあえる人とぼくは出会いたい。

(遠藤 滋)


 6/29の介助者会議で、会計が井出さんから山田君にかわりました。よろしくね。

  <酔いどれ少年夢日記>
6月3日(日)
 病院で実習中の豊田氏が、2ヶ月ぶりに登場。クーちゃんと3人で、ひさしぶりに近所を散歩。
6月8日(金)
 旧友平田、訪れる。「HANDS 世田谷」の企画についての話。
6月12日(火)?
 かつて介助者だった富田氏、来訪。信や慧のことなど話す。
6月16〜17日(土〜日)
 伊豆行きをふたたぴ延期。
6月18日(月)
 なぜかめまいが激しくするようになる。
6月23〜24日(土〜日)
 伊豆行きをまたもや延期。
6月29日(金)
 「介助者会議」なる雑談。
6月30日(土)
 杉並区和田の救世軍ブース記念病院に入院中の平沢真希さんのお見舞いに行く。電動車いすで、片道1時間の道のり。元気でした。ひさしぶりに会えて、よかった!

[編集後記]
 先日、故手塚治虫氏のことを“ヒューマニズムのかたまり”と評したコピーライターに対し、手塚治虫氏は徹底したアンチ・ヒューマニズムの思想の持ち主であった、このコビーライターは何もわかっていないという新聞記事を読みました。ヒューマニズムというのは人間を中心に置いたごうまんな思想だと手塚治虫氏は思っていたらしいのです。(うまくいえないけど)それを読んだとき、”愛”とか”正義”とかも、時として凶器になる事もあるんじゃないかなーと思う私は、あーそうかーと遠藤氏のやろうとしていることが何となくわかるような気がしてきました。私なりの解釈でゆっくり、でも着実にわかっていけばいいんだと思います。
 まだまだ暑さは続くでしょうが、お元気で、またお会いしましょう。


 鷲頭幹夫さんから、こんな手紙をいただきました。その全文を紹介します。
 なお、幹夫さんはわが介助者グループの鷲頭もなみさん(社事大)の、おとうさんです。北海道紋別市在住。『おれは糞を汲む』(径書房)の著者でもあります。

 前略。白砂・遠藤様へ
 甘夏、どっさりまた届きました。いつもごちそうさまです。野生的でみずみずしくてあまいみかんですね。みんなにごちそうして宣伝しようと思っています。
 こんな大きなみかんがたくさんなっているところなんて、いいですね。ぼくは一度も見たことがないので、想像もつきません。1ha近い土地のうち、甘夏の木はどのくらいを占めているのですか。
 チラシの中の「農場」のイメジを勝手にふくらませてしまいました。北海道のオホーツク沿岸とはまるで別世界でしょうから、トンチンカンな絵空事にすぎないのでしょうね。
 畑と果樹と動物と人間が土や食べ物や糞やらを通じてつながり、巡りめぐり、命の交流をくりかえすところ・・・・・・。
 海は近いのですか。ぼくたちの経験からぜひ試したらよいと思うのは海のものを山や畑の土に返してやることです。陸上のあらゆる養分の最終貯蔵庫ですから海からあがるもので漁師が不要とするものをもらって他の材料といっしょに積んで発酵させると栄養満点堆肥ができるようです。海草のクズでもヒトデみたいな生き物でもタイヒにして土に返してやると、とびきりうまい作物に姿をかえて巡っていくんですよ。夕イヒにはいろんな物が入るほど、いいみたいです。人間の関係もそういえるかもしれませんね。
 それぞれの流儀で生きる人間が交流しながら、ゆかいな関係が多様に実っていく「場」になると楽しいですね。
 ぼくには、どんな協力ができるか、ちよっとわかりませんか、東京近辺にいる友人をとりあえず紹介してみます。ひょっとしたら楽しい関係が広がるかもしれませんから、チラシや呼びかけ文など送ってみてください。

井上 朱美さん(婦人民主新聞の記者もしていて顔が広そうです)
渡辺 容子さん(「暗川」という個人通信を出している学童保育の姉さん)
吉日 美代子さん(ハリ灸治療自営、娘さんが北海道の施設で生活している)

 年齢もそれぞれですが、一人でいろんなところとかかかわりを持ちながら、いろいろ元気にやっている人たちです。伊豆の「交流農場」の話には興味を持つ可能性十分だと勝手に考えていますが、どんな反応になるかはわかりません。
 ぼくは「友達一人は百万人」だと思っています。それぞれぼくの知らない所で百万分位の世界とつながっているだろうと思っています。
 チラシの中の「自分たちの人生を自分たちの責任で豊かにしたい」というところが一番好きです。作る物もほしい物も自分たちの必要と責任で手に入れる、そのための学習なら、難しくてもおもしろい。そうやって自分のものにした知恵はいつでもどこでもだれにでも伝えられる文化になる筈ですよね。
 やはり「交流農場」設立趣意書にあったように、商品過剰流通経済からの自立、というのが、多様な人のかかわりの中から可能になってくるとすれば、最高に愉快な文化大革命でしょうね。そのへんの心意気に勝手に惚れちゃっているわけです。かかわる人達のうける楽しみの量に反比例して、GNPがどんどん下がる、そんな計画だったらいいなと思っているんです。ヨーロッパの百姓が強いのは各家庭の自給度が高く、GNPに換算されない地下経済活動をしっかりやり続けているからだ、という話を聞いたことがあります。
 自分たちの食ベるものは自分たちで作る−−これが今、東商アジア各国の貧しい農村の自立へのあいことばのようになっているとききました。国際貿易品目だけを大量に作らせられる単純農業労働者としてじゃない百姓ぐらしをしたい、というただそれだけの控え目な願いすら、かなえられない所が多いのだそうです。日本の百姓もその意味ではかなり危機的状態かもしれません。
 教育の世界でも、子供達が自分の人生を自分で考えて創り出す、という“基本”が危うくなってきているような気がします。十人いたら十種類の人生があってあたりまえじゃないか、という考え方がすでに極少数派、異端派と見られかねない息苦しさを感じます。
 みんな、どこかでふっと息を抜いたらいいのに。いろんな物差しに気づいたら、一つの尺度だリで勝った負けたと騒ぐのがあほらしくなるはずなのに。
 中学生たちとつきあいながら、学校の問題を考えていて、このごろよく思うのは、世の中全体の病気だな、ということです。教師も生徒も自分が他の誰でもない自分という人間であることに自信と誇りを持ちにくい。だから、互いに「人間」をもとめる営みをやらなくなる。ハスにかまえてあらさがしばかりするから、いいとこちっとも見えてこない、という不幸なさびしい関係になってしまう。
 動物たちと暮らしていて、いつもいいなと思うのは、あいつら、誰に遠慮もせんで、自分を生きていること。メシ食って糞して眠って・・・のくりかえし。「自信」なんてコトバなんかいらない。「自信」が問題になるのは人間界の不信砂漠だけでのことらしい。
 自分の食うものを自分で作る、という基本から離れれば離れるほど、人間より金を信じなければ生きられなくなってしまうんでしょうね。
 「交流農場」のプランがそのへんの人間のチッポケさを笑いとばしながらボチボチ進むことを遠いところから祈っています。
 北海道の空気が吸いたくなったら、いつでもいらしてください。本当にお待ちしています。
 お二人の心意気に乾杯!

1990.6.28