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CONTENTS

・遠藤さんの最近の体調
・大柄の人
・食事調整に関する研究の報告
・札幌に行ってきました+裏街道
・映画「えんとこ」の最新情報
・月刊クーヨン 12.2000より
・えんとこ「いえ・まち調査隊」のいま
・Interesting episodes with endo-san
  +遠藤さんとのおもしろい話
・忘年会→20世紀の最後だ!
・編集担当のおしゃべり
・CONTACT


最近の体調
遠藤 滋

 今年、2000年は、ぼくにとってかなりきつい状態のなかで明けました。昨年の暮れごろから、体中の緊張がとても強くなっていたからです。
 それが、2月に入ったころから徐々にゆるみはじめ、6月ごろにはウソのように楽になっていました。あとから考えれば、昨年一年のあいだに、気づかずにため込んでしまった、いろんな精神的なストレスが原因だったと思います。
 ところが、3月はじめのMRIの検査で、頸椎にはほとんど変化がない、という結果が出たからでしょうか? 今回はすこし油断があったと思います。
 例の千歳温水プールに行くのに、何度も普通のタクシ―の助手席を倒し、そこに乗って行ったり、あるいはその延長で、わが「いえ・まち調査隊」の活動をするのに、慣れない介助者に同じ方法で介助してもらったりしてしまいました。
 そんなことも影響したのでしょうか、7月のなかばごろから、頸椎にかかるちょっとした物理的なストレスに、足の裏の感覚が、敏感に反応するよう になっていました。
 8月の下旬ごろ、ちょっとしたことから、あいだに一週間ほどおいて二回ほど、頭にかなり無理な力をかけるようなことをしてしまい、そのころからまた、症状か不安定になり始めたのです。
 足首から先に顕著だった痺れが、ほとんど脚全体に広がってしまった。もう少し正確に言えば、膝の10センチほど上から、先の部分です。足の裏全体に何千本もの針を刺きれているような感覚に悩まされる日もあれば、下半身の緊張がやたらと強い日もあり、それが全身におよぶ日もある。
 横浜のある病院に、脳性マヒによる頸椎症の手術については、最先端の方法と技術を持った外科医がいます。これまで、ばくほこの人が最後の頼みの網だと思っていた。その医者の手術を受けることも覚悟して診察を受けに行ったら、あっさり「この状態になったら、もう手遅れだ」と言われてしまった・・・。
 ぼくはいったい、どうすればいいのでしよう?
 もちろん、同じ頸椎の手術といっても、達った方法をとっている医者もいて、そこにも近いうちに行ってみるつもりではいます。
 その他に、頸の周りにある筋肉の一部を何ヶ所か切断して、脳性マヒによる筋肉の緊張を和らげ、これ以上頸椎にかかる無理な力を軽減することによって、進行をできるだけ防ぐという方法も、あるにはある。
 でも、ぼくはもうそんなに病院に頼らない方がいいのではないか、と思うようになりました。もちろん、気をつけるべきところには細心の注意を払いながら、生活を楽しむことの方にこころを向けた方が、心身ともにリラックスできるのではないかな、と。
 最近、中枢神経を復元する働きを持った物質が、つぎつぎと発見され、脳や神経のメカニズムが解明されてきているようです。それが、いつかは頸椎症の治療に応用されるようにならないとも限らない。でも、先のことは、どうなるか分かりません。
 鍼でも気功でも、とにかく緊張をゆるめられる方法は、いくらでも活かして、とにかくいまは、おもいきり楽しくやってゆきましょうか。南無阿弥陀仏!
2000.11.22


大柄の人

 皆さん、『諄い』を御存じか?
 調べると、 「しつこくて、うるさい・あっさりしていない」となっている。 まさに俺、ヘルパー小島のアイデンティティーにほかならない。特に喋りに関しては、しつこくて、しかもうるさい。
 大した長所じゃないかも知れない。しかしそれしかない人間は、それを育み慈しみ、どこに出しても恥ずかしくないものにすることが、この世に生を受けた理由。短所とすれば、死ぬしかない。
 諄さだけは、日々の生活の中で、磨きをかけてきた。しかし出会ってしまった。俺と同等のくどさ、あるいはそれ以上を意識せずやってのける男。
 諄い顔、諄いまなざし、諄い眼球。諄いくらいに血走った白目に、職人魂が宿る。諄いくらい太い腕からは、想像しえない早業で、数知れぬ技を繰り出す。
 口腔内職人・荒井先生が居る荒井歯科室。先日遠藤氏の口腔内諸問題を相談に行ったところ、週一でえんとこに遠藤さんの容体を見にいらして下さるとのこと。
 てめえら、俺の存在価値を揺るがす素敵な先生に、よ〜く教せ〜てもらって、粗相のないようにしてくれよ!! 大柄の諄い人がいらしたら、まず挨拶。次に素早くもてなす。スマイルも忘れるな!
 もし失礼があろうものなら、男だろうが女だろうが俺の諄さが欲しいくらいの小さいチンチン突き立ててやる。でも今年来た子は大丈夫そうだな。よろしくね〜。


遠藤さんの食事に関する研究のご報告
東京家政学院大・給食管理研究室  松尾めぐみ/水木麻衣子

 みなさん、こんにちは。
 いつも私達の研究にご理解頂き、ありがとうございます。松月先生の指導の下、遠藤さんと介助者のみなさんに多大なるこ協力を頂く事で、研究を進めてくることができました。今回はその研究に関して、まだまだ途中経過ですがご報告させて頂きたいと思います。
 『平成11年9月から12年10月 までの喫食時間の月間平均値の推移』
 介助者の皆さんにご記入・返送して頂いている食事シートを元にグラフを作成しています。夏以降少しずつ食事にかかる時間が延びてきていますが、シートを始めた頃の目標時間である昨年11月の平均時間を下回った状態を維持しています。
 例として、11月20日の結果のグラフです。グラフから分かるように、特にご飯を入れる量を多くして、しっかりまとめたVMAの方が飲み込み時間は短くなりましいた。この食事の日は、遠藤さんはプールに行かれた日で、体調は良いとの事でした。調整の効果は、遠藤さんの体調などによって多少左右されると思いますので、一概には言えないと思います。
 今後もご迷惑をおかけする事があるとは思いますが、どうぞよろしくお願い致します。

『アンケートについて』
 介助者の皆さん、アンケートにはお答え頂けたでしようか? 食事シートの下にはさんであるアンケートです。もう記入してくださった方、お手数おかけしました。ありがとうございます。まだ見てない方、大変お手数でありますが、どうぞご協力お願いいたします。
 私達は食事シートの良さと食べやすい食事調整について研究しています。遠藤さんも介助者の皆さんも何か気付かれたことがありましたら、ぜひ教えて下さい。これからもよろしくお願いいたします。

《VM1食について》
 9月4日から始めさせて頂いた夕食の調理も、11月27日をもって無事に終了させて頂く事が出来ました。月曜日に入っていた介助者の方々には、ご迷惑をおかけしてしまったと思います。ご協力、ありがとうございました。今回私達の方でVM食や刻みなど、食事調整をさせて頂きましたが、その時の遠藤さんの1口飲み込み時間についてみました。その時の時間をグラフで表したものが次のグラフです。
《VM食の調整方法について》
VM:いつもお願いしてるあのVMです。
・1日量を23gと決めて
・ご飯の量を多くした物をVMA
・ご飯の量を少なくした物をVM@
として食べて頂きました。


札幌に行ってきました!!

 札幌に行ってきました。9月30日に羽田をたって、10月3日まで。

 「伊勢真ー−映画祭」というもよおしがあって、その初日の10月1日に『見えない学校』とともに、『えんとこ』が上映され、トークに呼ばれたのです。
 上映のあいまの、全体で1時間ほどのトークショウの中で、しかもわりあてられた20分の時間では、遠藤はほとんど何も話せないだろう、ということに気づいた伊勢自身が提案したのか、あるいは札幌の主催者団体のだれかが希望してくれたのか、それは分かりませんが、あくる2日の晩に、交流会を呼びかけてくれたのです。これは楽しかった。来てよかった・・・、とほんとうに思いました。
主催者側のひとたちを別にかぞえれば、30人以上のひとが集まっていたでしょうか?  映画の感想をきいたり、逆に集まったひとたちの質問に、わざと裏話をまじえてこたえたり、すばらしい出会いのひとときを過ごすことができました。

 その前日の夜には、北海道ならではのおいしいものも、食べさせてもらいました。新鮮なイクラに、ナマの卵黄をかけたもの、それにホッキ貝! ・・・ウニはもちろんのこと、カニ、ナマエビなどの鮨も、東京では決して味わえないものでした。それに石狩鍋など。
 札幌味噌ラーメンも、車いすに座ったままで、かろうじて味わうことができました。
 それよりも何よりも、もっと驚いたことがあります。
 介助者を含めて、ぼくが泊めてもらったところが、小山内美智子さんをそのリーダーとする、「札幌いちご会」が、わずか半年前に実現させたばかりの、念願の施設だったことです。名前を「アンビシャス」といいます。障害者の自立生活を実体験をとおして促すための、いわば総合施設です。デイケア施設の性格や、保養施設の性格もあわせもっています。とっても居心地がよかった・・・。

 いわゆる障害者運動にいくつかの流れがある。本州では、やはり「青い芝の会」系が運動の流れとしては強いのかな? それに新旧左翼系の流れ? それ以外の運動のリーダーにも、ぼくはできるだけ会うようにしてきました。たとえば山口県からはじまって、いまは沖縄にも本拠をおいている、「土の会」の木村浩子さんにも。
 それでも遠すぎて、なかなか会えないできたのが、小山内さんたったのです。『えんとこ』が伊勢の映画祭のメインとして札幌で上映されなければ、ありえなかった事実でした。玄関口で、立ち話ができただけでも、ぼくにとっては幸運でした。だって、労さずして彼女との人間関係の窓口がひらけたのだから・・・!

 札幌には、じつはそれ以外にも、きわめて個人的な想い出がありました。甘苦しい・・・。
 おなじ大学で、しかもおなじ学部・学科だった札幌出身の女性と、結果的に遠距離恋愛(?)とでもいう関係になったことがあるのです。かぞえてみれば、もう、30年も前。2月のいちばん寒いころ、彼女のさそいで札幌に3週間ほど滞在したことがあった。そのとき、すすき野のおいしいラーメン屋とか、のみ屋にもつれていってもらいました。
 結果的には、ぼくのひがみ根性が原因で、彼女に縁談がもちあがったとき、冷静な対応ができず、そのために彼女を傷つけるような行動をしてしまったことがあった。それで、自分で自分が許せなくなってしまったのです。豊平川の河川敷にいってみたのも、そういう過去からひきずった気持ちを清算したいという思いがはたらいていたのは事実です。でも、HBCには、そこまで踏みこんできてほしくなかった。

2000年10月10日

裏街道
 札幌まで付いていって、うまいものくって帰ってくる。旭川出身の小野塚君をパートナーに、羽田を発った。
 交流会は交流会で小野塚君に任せ、おれは夜食。明日の朝食のたりないものを買出しに近くのSEIYUへ行っていた。店内のコーヒー屋の姉ちゃんと、こんな会話を皮切りに10分ほど交流会を楽しんだ。
おれ「金はいくらでもあるから、インスタントでいちばんうめえコーヒーはどれかね〜?」
ねえ「これなんかいかがでしよう。いくらでもってどちらにお住まいなんですか?」
おれ「東京から来たムービースターさ。」
ねえ「 え〜! でも何となくそんなかんじしたのよね〜。」
おれ「なかなかいい眼してるね。じゃあ、これ三っつ。」
 おかげさまで東京の家族を忘れ、素晴らしい出会いの一時を過ごすことができました。

 確かに美味いものは食うには食ったが、、、東京に帰って家族で食った寿司の方が美味かった。というのは、その座の中の一人から、一つ食べるごとに
「このいくらは北海道の中でもどこどこで取れたもので、一杯ビールを飲んで口の中をさっぱりさしてから食べたほうが甘味を感じて美味しく食べられる。」
なんて言われてたもので、味わえなかったわけだ。
 エンちゃんが、俺と小野塚をうるさすぎる最悪のコンビとか言い続けたことは、俺の繊細なハートにかなり響いたけれど、この旅で一番きつかったのは、なんといってもこのひとだった。
 なぜか俺一人だけ、彼のその他のお詰もいろいろ聞かされるはめになり、こっちは上映してもらっていることや、アンビシャスに泊めてもらった立場上、何も言えず、なすがままだった。
 まあ、たまにはこういうのも味わっとかないと社会の厳しさ忘れちゃうかな。先輩面して踏んぞりかえってるヘルパーに、神が与えた試練だったのかも知れない。きっとそうだ。

 後は何をとってもおもしろさの極みだった。パートナーの小野塚君、我々の運転手兼案内をしてくれたツッチー、伊勢・助コンビ、HBC連、アンビ連、上映連、などなど、もちろんエンちゃんも含め皆が皆楽しませてくれた。また行きたいなあ。そう思わせる中身の濃い旅でした。いろんな意味で勉強になりましたとさ、チャンチャン。


第130回大学公開講座

映画と講演会
講演「人」と向き合うということ
講師 映画監督 伊勢真一氏

日 時・・・12月15日(金)
会 場・・・立教大学タッガホール 池袋駅西口下車 徒歩7分
聴講費・・・映画・講演とも無料
定 員・・・700名
申込み・・・豊島区教育委員会 生涯学習課社会教育係 TEL:3981-1189

午後4時〜 映画 「えんとこ」伊勢真一監督作品
 障害者と介助する若者達の三年間のヒューマン・ドキュメンタリー(100分)
 午後6時〜8時 講演 「人」と向き合うということ。・・・平熱のぬくもりで・・・

主催 豊島区教育委員会・立教大学


映画 「えんとこ」上映日程表



ひとりで生きることが、「自立」ではないでしょう?
介助の若者たちと「支えられて支えている」関係

 遠藤 滋(えんどう・しげる)さん 1947年生まれ。1歳の頃、脳性マヒと診断される。大学卒業後、養護学校教員として、職場の差別とたたかいながら地域の障害者運動に関わる。91年から寝たきりの生活に。自身の介助ネットワークを組織し、「えんとこ」でひとり暮らし。

 ボランティアの関係性が深まるほど、それは「してあげる」という一方的なものではありえなくなります。

 脳性マヒで寝たきりの生活を続ける遠藤滋さんと、その介助ボランティアのひとたちの関係は、まさにそれ。「ぼくは『えんとこ』に介助されに来ています」なんていう、ボランティアさんの声もあるくらいなのです。「遠藤さんがいるところ」であり「縁があるところ」だから「えんとこ」。東京都世田谷区のマンションの一室には、若いひとたちが、入れ替わり立ち替わりやってきます。介助の専門家ではなく、学生だったり、次の一歩を踏み出す前のひとだったり・・・。そんなひとたちが、24時間、遠藤さんのいのちを支えながら、遠藤さんに「支えられている」といいます。「どうして、ぼくのところにこうやって岩いひとたちが集まるのかと聞かれて、『話を聞いてくれる大人が少ないいま、ちょうどいいところにいるのかな』と答えていたんだけど、よく考えると、年甲斐もなく同じ立場でふざけ合っているだけのことかもしれない」遠藤さんはそう言って笑います。遠藤さんのおしゃべりは、ゆっくり。ひとことずつ、選ばれたことばを送られるコミュニケーションが、生き迷ったときの道標になるのかもしれません。ちょうど介助に来ていたボランティアのひとり、小島進さんは言います。「話をよく聞いてくれるんですよ。そして適切なアドバイスをピシッとくれる。たまには痛いくらいね(笑)」

ありのままをさらけ出すことから

 そんな遠藤さんも、最初から「えんとこ」をつくれたわけではありません。
 「若い頃は、なんでも自分でやるのが自立だと思っていたんです。ひとりでできないと、一人前と認められなかった時代でもあったんですよね」しかし、脳性マヒからくる頚椎の変形がすすみ、養護学校の教師だった遠藤さんはやむなく休職。そして・・・、「歩けなくなったんです。そのとき37歳。気づいたら、70歳まで生きるとしても、人生の半分が過ぎていました」何かしなくては・・・そう感じた遠藤さんは、同じく「障害」をもつ友人と一冊の本を自主出版することに。 「『だから人間なんだ』というタイトルで、これまで出会った障害者たちから本音の文章を集めました。それによって、ぼくのなかにあったよけいな観念を取り払うことができた・・・。社会が変わらないと、自分はラクにならないと思っていたんですが、自分が変わらずに、社会を変えようとしても無理だと気づいたんです。まず、自分が変わろう、『ラクに生きたい』ではなく、『ラクに生きちゃえばいいんだ』と。自分のありのままをさらけ出して、それを出発点にすれば、何かすばらしいことがはじまるんじゃないかと思ったんです。結局ひとは、ひととの関係の間でしか生きられないでしょう?」そうして育ってきた支え合いの場。遠藤さんには、さらに夢があります。「介助を、ひととひととが、そのいのちを積極的に生かし合って生きる関係としてとらえなおしたい。そして、その具体的なかたちとして、東京のどこかにエコロジカルなモデル共生住宅を建てたいと計画しているんですよ」いわば、もっと大きな「えんとこ」をつくろうというわけですね。

月刊クーヨン12,2000より


えんとこ「いえ・まち調査隊」のいま

 これまでも何度か紹介しましたが、いま、ここ(えんとこ)では、遠藤を中心とした数人の有志が、家や街の現状を調査し続けています。
 東京のまちのどこかに、ケア生活館、すなわち新しい形の共同生活のモデルとなるような 「共生住宅」を建てる、その資料とするためです。でも、まずはすでに整地が進んできている伊豆松崎の交流農場の敷地内に、宿泊棟を建てましょうか?
 遠藤もその発起人のひとりとなっている”ケア生活くらぶ”の活動の一環なのですが、世田谷のこの地域で調査活動を再開してから、約三年半になりました。
 でも、この活動も、そろそろ転換点にきているようです。
 うれしいお知らせがあります。初代の専従ヘルパーだった中尾くんが、おくさんや、かつて同じ職場で働いていた数人の仲間たちと、埼玉で同じ活動をはじめるそうです。
 ところで、わが「いえ・まち調査隊」は、これまで遠藤宅とそのマンション、そして主にそのまわりにある公共建造物を対象に、調査を進めてきました。そして、そのかぎりでは、かなり必要なデータもあつまったし、それなりに、新しい検討課題もはっきりと示せるほどになっていると思います。
 ここ数年の間に、駅などの公共建造物に、地方自治体の条例や、国の法律で、「バリアフリー」化を進める条項が加えられるなどして、急速に変化のきざしが見えてきている・・・。主要先進国の体面を保つ必要も、その動機にはなっているのでしょうが、それについては、われわれの機先を制するほどの変化です。もちろん、これまでのいろんな運動の、積み重ねの結果でもあるのでしょうが・・・。
 残るは、住宅。これについても、各住宅建築業者には、それなりにデータが蓄積されているのでしょうが、テレビコマーシャルで宣伝されるような家を買えるようなひとは、そうそう多くはないでしょう。そういう住宅を商品として売り出せる市場はそんなに広くはないはずだから、いまだに商品として実を結ばない多くのデータがお蔵にたくさん眠っていることは、容易に想像できます。
 それでもいい! これからわたし達は、ありのままのひとのいのちを、自然なかたちでいかそうとして、独自に調査を積み重ねているのだから。眠っているデータを開示してくれるなら、そういう企業は、スポンサーとして最大限に、いかします。企業宣伝にも、それなりに協力しますよ。
 でも、これはそこに住むひと一人一人のからだの状態によって必ず違います。ひとつひとつの需要に応じていたら、採算がとれないかも知れない。それでもいいというくらいの心があるなら・・・。
 「えんとこ(遠藤滋&介助者グループ)」に今かかわっているひと、また、かつて関わっていたひと・・・! もし実際の活動で協力してくれそうなひとがいたら、ぜひ知らせてください。
 必要なのは、金や情報だけではない。もっと必要なのは、ひととして持っている心と、みずからがそのしごとの中で身につけてきた、ワザに対する誇り、いわゆる「職人気質(かたぎ)」です。そういうひとも、紹介してほしい。
 これからは、調査対象を、公共建造物から、「ひとの住居」に移してゆきたいと思います。
 残された課題を無駄にせずに、しっかりそれに答えを出してゆくこと。それに、その結果を具体的な形で、蓄績してゆくこと・・・。それもぼくらにとっては、大切なことです。
 でも、これからはなんといっても”すまい”がますます問題。これをいかしながら、いったいどんな形の住宅を造っていったらいいのでしようか?
 みなさんの知恵と力とを、貸してください。まだぼくらは、ほとんどなにも持ち合わせてはいません。それでもよければ、これからもよろしく!


Interesting episodes with Endo-san.

I have known Endosan for almost half year. There were many interesting episodes happened. Because I am a Chinese and my foreign language is English,the main misunderstanding happened in the method of communication. Although Japanese studying occupied much time of mine,my Japanese is still very limited yet. But Edosan is a very good hearted man and has an easy character,I never feel uncomfortable with him. We are beoming friends slowly.
I think Endosan's English is better than my Japanese,but both of us are not good enough to communicate freely and fully. The common method for our communication is that Endo san speak Japanese and I try to understand,if I can't understand clearly,I would ask him in English,then Endosan will open his "foreign language file" in his head and try to find right words to express his meaning,but sometimes this method is not effective. Remember one time just before sleeping. Endosan let me do something which I can't understand, that word is "kakemono",because Endosan forgot the English relevant words,so I have to look up the dictionary where I hope can find some "kanzi" which should make me understand. But that day we were unlucky because the meaning of the word"kakemono" was vague in the dictionary which I can not guess the meaning clearly. So I have to say sorry. Endosan is too tired and too sleepy that day to insist on that thing. He said OK and then deep into sleep.

Two days later,I discussed with Endosan again about the meaning of the word "kakemono",Endosan thought it fbr about 10-minutes and then he said he was cold,so I covered him with the wool quit. At this time he said this was the "kakemmo". Suddenly I knew the meaning of the word. I was very glad. So that night Endosan must have a "cold sleep" for my misunderstanding. From this exprience,Endosan also realized how to communicate with me. By a new method,he just mentioned a very easy word in Japanese or English such as "cold;right or left",etc which can make me understand at once and then I can judge what he wanted me to do. This method is very effectively,we can resolve most things by this method.
But sometimes this is exception. One time,as Endosan was eating, he told me his head "kayui",this is absolutely a new word to me,I observed Endosan's fact had a very specially expression. I can't do nothing except to look up the dictionary. One drawback of Endosan's Japanese-Ehglish dictionary is too thick,it needed about 10-minutes to look up the word which mean itching. So at once I knew why he had such a strange expression. I grasp his scalp at once and then Endosan relieved a very confortabie voice "oh!". Have the feeling of itching for more tham 10-minutes must be unbearabie!


遠藤さんとのおもしろい話

 私は遠藤さんと知り合ってからもう少しで半年ぐらい経ちます。その中でたくさんの面白いエピソードが起こりました! なぜかというど私は英語で話す中国人だから、コミュケーションのやり方で度々誤解が起きてしまいました。日本語を勉強するのにたくさんの時間を費やしたのですが、私が話せる日本語はまだわずかしかありません。でも遠藤さんは優しい性格・とても良い心を持った男性で、私は決して彼と一緒にいて不愉快になったことはありません。私達はゆっくりと友情を育んでいます。
 私は自分の日本語より遠藤さんの英語は上手だと思いますが、我々の両方とも十分自由に伝えることは出来ません。私達の普段の会話方法は遠藤さんが日本詰で話して私はそれを理解してみる、もし良く理解できなかったら、私は彼に英語で聞く、その時遠藤さんは、頭の中にある外国語ファイルを開き、聞かれた内容の意味を絞り出して正しい言葉を見つけだしていることでしょう。しかし時々この方法では出来ない時があります。例えば、寝る直前の1分間を思い出します。
 遠藤さんが私に何かするように頼んだ。「かけもの」と言う言葉が理解できません。なぜなら遠藤さんが適切な英語の言葉を忘れてしまったから、私が理解出来る漢字を捜すことが出来るよう辞書で調べなければならないのだが、その日「かけもの」の言葉の意味が辞書ではあいまいで私は明確に言い当てることが出来ず、私達は不幸でした。だから私は謝ることしか出来なかったのです。その日の遠藤さんは疲れていて眠そうだったので、彼は「OK(もういいよ)」と言い深い眠りの中へ入っていってしまいました。
 2日後、私は「かけもの」の意味について又遠藤さんと話し合いました。遠藤さんは10分ぐらい考えてその時に「寒い」と言ったので私はウールの掛け布団を彼に掛けました。その後に彼がこの事を「かけもの」と言い、突然私はその言葉の意味が分かりました。私ほとても嬉しかったです。そしてあの夜の遠藤さんは私の間違いのために寒い思いで寝なければならなかったのです。この経験から、遠藤さんもまた私とどのように話するのか悟りました。その新しい方法によって、彼は日本詰か英語でとても簡単な言葉で「寒い、右か左」とこのように適切に言います。私は彼が頼みたい事を判断する事ができ、又私をすぐに理解し、何かしら頼む方法としてとても有効的であり、私達は前よりたくさんの事を理解出来るようになりました。
 しかし時々これには例外があります。遠藤さんの食事中のこと、彼は私に「頭がかゆい」と言い、これはわたしにとって全く新しい言葉でした! 私は遠藤さんのとてもスペシャルな表情の顔を見ました!! 私は辞書で調べる以外にはどうする事も出来なかったです。遠藤さんの和英辞書の一つの欠点は、あまりに厚くその言葉を探すのに10分ぐらいかかってしまい、実にむずがゆいことです! それですぐになぜ彼がそのような表情なのかが分かりました。私はすぐに手で彼の頭皮を 『ぎゅっ』とつかむとその時遠藤さんはとても気持ちの良い声で『お一っ』と解放されていました。むずがゆい10分以上を耐えたとき、期せずして分かりあえました!!!

張 志新

編集担当のおしゃべり まちことはるな

 こんにちはーー!! 初めまして今回編集担当をする事になった内田府知子&諸星春那です♪ 二人とも同じ女子美術短大に通ってます。これからおしゃべりしたいと思いまーす。(内山府知子→マチ、諸星春那→ハル)
ハル:ね〜ね〜、最近寒くなってきましたなあー! ぶるっ。
マチ:本当に寒くなってきたよ!これからインフルエンザ・・・。なんかさ、今まで話した事書くってなかったからさ〜、なんて言ったらいいのやら〜あっ書いちや駄目よー、バシッ(手を叩く)
ハル:あっ!! もう書いちゃってるけど〜。ところでインフルエンザかかった事ある? つーか、えんとこから話離れちゃってるよ。まあ、気を取り直して・・・。私達が初めて遠藤さんの家に行ったの覚えてる?
マチ:うん、もちろん覚えてるよ。忘れないあの時は小島さんがパンツ一丁で、エプロン一枚だったよね〜。私びっくりしてクギ付け状態になっちゃったよ。
ハル:そうそう!! 私も「なんだl?この人は?!★☆」ってびびったよ。そういえば、えんとこの事を知ったのは短大内に貼ってあったポスターで、社会福祉に興味持ってたからマチコちゃんを誘って暑ーい夏の8月頃に行ったよね。
マチ:うん、ハルナちやんがえんとこのプリントを持ってきたのが初めて知った。いや〜最初の頃は緊張しっばなしだった!→**って感じ? もう4カ月ぐらい経づけと・・・、なんか自分の中で変わった事ある?
ハル:変わった事・・・いっばいあるよー。介護の事だけじゃなくて、とにかく色々な事を学びながら少しずつ成長してると思う。私も初めは人の命を扱ってる身の立場になったことが無いから、けっこう気を使ったりした。でもね、今は慣れてきて・・・仕事を楽しんでる!!
マチ:主に食事介護をやってるから→どんな物が食べにくい事とか、(リンゴはレンジで温めて、軟らかくする事など)色々学ぶ事が多くて、「あ〜そうなのか、なるほど一!!」連発×2
個人的には電話嫌いで、逃げてばかりいたけど・・・えんとこに来てからはそれが和らいだかな
ハル:ウムウム! お互いブラスになっているね。遠藤さんのお陰かな? ところでえんとこ通信まだ完成してないけど、無事に終われるかー?! なんか不安だけど頑張ろ一★★
マチ:ん〜〜〜皆さんが読んでいる頓には出来上がってるじゃん!! 今の心境:「走る〜走る〜《焦る〜焦る〜》俺達ー」
 編集がそろそろ終わりそうになってきた頃・・・・・・
ハル:ふう〜、なんとか終われそうだね! 色々分からない事があり過ぎて大変だったけど、そんなに嫌じゃなかったなあ。
マチ:そうだね、誤って消しちゃった時は「あ、あっ」ってショックだったけど、だんだん使い慣れてきたし。
ハル:うん!! もうだいぶ使いこなせるようになったねー。

 それじゃ、そろそろ終わりに近づいてきたのでここらへんで・・・。この通信をつくるにあたって、いろいろと協力してくださった方々、忙しい中本当にありがとうございました。季節の変わり目どき、風邪には気をつけてえんとこ21世紀の新たな年へ、はばたけ!!! シュワッ

CONTACT
遠藤 滋 TEL:03-3327-1523 E-mail:entoko.shigeru@nifty.ne.jp

協カ者:専従ヘルパー小島さん、食事管理研究の松尾さん・水木さん、張志新さん
編集担当:内田麻知子、諸星春那

発行日:2000.12.11