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もくじ

理解しておいてほしいこと・・・・・・・・・・・・P 3
遠藤さんの食事介助について・・・・・・・・・・・P 5
叫ぶ専従ヘルパー小島進から水の勧め・・・・・・・P 7
歯科衛生士 武ちゃん・・・・・・・・・・・・・・P 9
調査活動とケア生活館・・・・・・・・・・・・・・P10
ご苦労様会のお知らせ・・・・・・・・・・・・・・P11
介助ローテーションの決め方・・・・・・・・・・・P12
電話当番募集・・・・・・・・・・・・・・・・・・P13
遠藤滋一言集・・・・・・・・・・・・・・・・・・P14
映画えんとこスケジュール・・・・・・・・・・・・P15
編集担当松下健太郎から一言・・・・・・・・・・・P16
引き続いて編集後記・・・・・・・・・・・・・・・P17
伊豆へのお誘い・・・・・・・・・・・・・・・・・P18
CONTACT・・・・・・・・・・・・・・・・・P19


遠藤アフリカ族


理解しておいてほしいこと
最近の体調について

 最近、とはいっても実は昨年の12月の初句からなのですが、ぼくの体の緊張が、全身的にかなり強くなっています。

 4日に赤堤の東京新教会で行われた『えんとこ』の上映会で、監督の伊勢とのトークのために会場まで出かけていったとき、すでにその兆候はありました。なにやらえらくしゃべりにくかったのです。
 それが日に日に強くなっていって、10日頃には我慢ができないほどになり、ついにかかりつけの整形外科のドク夕ーに往診を頼み、中枢性の筋弛緩剤(セルシン)をそれまでの3倍、末梢性の弛緩剤(ミオナール)を2倍に増やしてもらって、それで様子を見ることになりました。

 そのまま2000年の年を越して、1月の10日過ぎまでは少しずつ緊張がほぐれていっているような感じがあったのですが、それから急に緊張の状態が不安定になり、ついにそれまで月に3回ほど来ていただいていた管理栄養士の松月さんに、まっさきに”SOS”のメールを出したのです。
 それは、いちばん影響が出るのが夕食時、それもとくに後半だったからです。

 緊張が強くなれば首の筋肉にも力が入り、顔の向きも定まらなくなります。食事中にものを喉に詰まらせたり、そこまでいかなくてもなにかを気管支や肺の中に吸い込んで、はげしくせき込んだり、それがもとで肺炎になって高熱をだしたりすることに、以前から最心の注意を払っていたぼくでした。そのままあの世行き、ということにもなりかねないからです。
 それが、自分ではコントロールしきれなくなってしまったのだから、自分でもどうしていいか分からない。ほとんどパニック状態に陥っていました。

 必要な食事の摂取量は、できるかぎり摂っておきたい。夕食は、約600Kcal。朝食とあわせて、せめて1日の基礎代謝量(1,200Kcal)をうわまわっている必要があります。たえず食べ物を喉に詰まらせないようにしながら、うまかろうがまずかろうが、途中で疲れようが、とにかく自分の健康の維持のために食べきっておく必要がある、というジレンマ。
 これが、その時ばくをとらえていた、強迫観念でした。

 自分のいのちを、ここで終わらせたくない、という気持ちのあらわれでもあったと思いますが、とにかく、夕食は、ぼくにとって全く苦行でしかない、というところに再び落ち込んでいたわけでした。
 松月さんに来ていただいて、これまでのようにきざみで対応するだけでなく、とくに噛みにくいものはバーミックスという調理器具を使ってペーストに近い状態にするなど、工夫のしかたが広がったのと、途中で疲れた場合、あとはエンシュアリキッドという液体状の栄養食に切り替えて足りない栄養を補うなど、いくつかの対応策が考えられるようになったので、ずいぶん気が楽になりました。
 とはいっても、まだまだ模索中。みなさん、積極的に協力してくださいね。
 さらにご理解を!

 それから、なぜこういうことになったのか、その理由が、なんとなく分かってきました。もう数ヶ月も前から、腕が痛い、肩が痛い、などとしきりに訴えていたことを思い出します。そのころから、じつはからだの緊張はすこしずつ強くなっていたのです。とくに食事の時、顔の向きをコントロールするために、右腕や肩に無意識にかなりの力を入れていたことはまちがいありません。
 いまでも、じつは右肘を脇腹の右に置き、手首を顔の横に置くという、例のポーズがいちばん 上半身をコントロールしやすいことに変わりはないのです。でも、それが痛みを呼んでしまう。これもまさにジレンマです。

 最近、食事中にはなるべく腕を下にさげ、痛いところを絶えず揉んでもらっているのは、困ったあげくの、いわば窮余の一策なのです。たとえ腕を下に向けていたとしても、やはり肩にはかなり力を入れないと首を安定させることができない。
 痛みは緊張を呼び、緊張はさらに痛みを増幅させてしまうので、その悪循環を絶つためには、あのマッサージはとっても意味があるのです。介助するひとは、自分の指だけでなく、手のひらや、手首を使い分けて、自分自身の手をいためないように工夫しながら、なんとか続けてほしい。今のところ、これは食事介助の一部、と考えておいてください。

 3月1日に、小平の専門病院でMRIの断層写真を撮ります。ぼくの場合は眠っていない限り動いてしまって鮮明な画像が撮れないので、全身麻酔をかけます。だからけっこうおおごとになります。その日の夜までに帰ってこようとは思っていますが、もしかしたら一晩病院で過ごすことになるかもしれません。

 あとはその結果しだいです。その病院のドクターは、頚椎そのものには触れずに、首の回りにある筋肉の一部を何ヶ所か切断して、頚椎にかかる物理的な負担を軽減し、頚椎症の進行を防ぐ、という手術の方法を研究したひとで、これなら5日か6日入院するだけですむそうです。

 頸椎そのものにメスを入れる方法も、大きく分けて三つほどあるようです。でも、その場合は入院期間だけでも半年。手術そのものも高等な技術が必要だし、術後の管理もむずかしいので、いままでぼくは、しないと決めてきました。
 しかしそれらの可能性をもふくめて、今年一年はいくつかの病院をまわって、実際に自分が受診し、ほんとうに納得できる治療方法をもう一度探してみようと思っています。

 ミレニアムの年がぼくにはこういうかたちで始まることになったのだから、あわてずにそれらを考えて、ゆっくり、そして慎重に決める機会にするのもいいのではないでしょうか?
 ぼくにはやりたいことがある。それをしぼりにしぼって、できるだけ実現可能なかたちに集約してゆきたい。
 具体的にやりたいことは一見ちがうように見えても、おたがいにそのいのちをいかしあおう、という志をともにできるひとを、ぼくは切にもとめています。
 実現させてゆきましよう!

2000年2月13日 (遠藤 滋)


遠藤さんの食事介助について

 介護者のみなさんこんにちは。何人かの方とはお会いしているかもしれません。私が遠藤さんの食事に関ってから今にいたる問題と、これからの課題についてまとめてみました。みなさんの意見を頂きながら、遠線さんの意志を大事にして、食事介助を考えていきたいと思います。

1.今迄の経過

(日)1998年8月〜1999年11月

 私が遠藤さんを初めて訪問したのは1998年8月でした。当時食事時間は6時間近くかかっていて、それを短縮する目的で訪問が始まりました。最初に遠藤さんに言われたことは「食事時間を短縮することが僕のQOLの向上だ」ということでした。当初遠藤さんは「刻み食」に関しても難色を示され、「食事自体の味わいが失われるのでは?」と言われたこともありました。そこで、目標としたことは、
・料理や食材によって食べやすい刻み方を考え、そのままの形状をいかせる食事はそ のまま残す・・・刻み方にもランクをつける
・どの介助者が介助しても、同じ時間に終わるような介助方法を考える

でした。食事ノートにコメントを書くなどして、昨年11月には誰が介助しても、どのような食べずらい献立であっても、食事時間は2時間半〜3時間まで短縮できたのです。
 勿論この背景には歯科治療や、武さんの口腔ケアに対する取り組みがありました。

(月)1999年12月

 12月以降事態は大きく変化しました。緊張が強くなることが多くなり、12月下旬には初めてミキサー食を2日連続試みました。もう刻み食では限界を感じていたこと、また今後遠藤さんの障害や機能低下が生じたときの対応を考えることが必要であったからです。
 この頃からかかりつけ医の江藤先生には経腸栄養剤(エンシュアリキッド)の併用が必要であると報告していました。基本的には11月までの栄養摂取であっても、お酒を飲んでいるため摂取エネルギー量はかろうじて充足しますが、たんぱく質やビタミン・ミネラルは不足しています。

(火)2000年1月〜

 14日に遠藤さんからSOSのメールがあり慌てて電話をすると、遠藤さんの声は実に弱々しいものでした。その日のうちに訪問しましたが、緊張が強いため開口状態も悪く、慣れた介助者であっても食事を口に入れるのが大変そうでした。そのため、栄養の改善に関しては以下の方法を試みることにしました。
・きざみ食の他にバーミックス食(VM食)を導入する
・食事のきざみなどの調整指示は、今迄の食事ノートではなく、3日に1枚の食事介助チェックリストを作成し、介助者と松月の間で連絡を密にする

<バーミックス食>
 バーミックスとは、細かい刻み食を作るための機械です。今迄の刻み食よりは細かい刻みにすることができますが、遠藤さんの場合以下の注志が必要です。
・量が少ない場合裁断が難しくなる。均質に刻めない
・ある程度ザク切りにしてからでなければ、かかりにくい
・小骨のあるようなものは、事前に除くことが必要である

 また、バーミックスをかけた後に御飯を大さじ1杯入れてさらにかけると、御飯が粉砕され食材と混ざり食塊を作りやすくなります(この状態をVM(月)と略します)。これは今迄刻み食を口にいれた後に御飯を追加して食塊を作った状態を機械的に作ったことになります。この方法で今迄は飲み込みに時間がかかっていた肉や魚料理も食べやすくなりました。さらに、次の課題としてVM(月)では、御飯を後から追加する必要のない料理もあるようで、今後はその分頼も必要になると思います。介助の際に気付いたことがあれば、シートに是非メモして残してください。

<食事介助チェックリスト>
 刻み状態やVMなど食事調整指示を書いてありますが、介助者のみなさんのコメントがとても重要です。また、食事の飲み込み時間を調べていただくようにリストができています。1回の飲み込みまでの目標時間は7分以内です。10分以上かかると負担も大きいため、7分以内に飲み込める食事調整方法や適量をみつけていきたいと思います。

2.食事介助の今後の課題
 昨年11月の頃の状態を目標にしています
・食事時間は2時間半〜3時間半を目標とする。一人の介助者で済む時間
・誰がやっても均一の介助方法を確立する。介助マニュアルや介助ビデオの作成

 これらは、まだまだ模索段階です。また、状況が変化すると見直しが必要となるでしょう。遠藤さんに食事に対する思いを大切にしながら、みんなで一緒により良い方法を考えていきましよう。気付いたことは是非教えてください。まずは昨年11月までの状況をまとめてみなさんに報告したいと思います。また、バーミックスの使用などについても説明会を行う予定です(当面は3月のご苦労さん会での説明を予定しています)。さらに今年1年は私の研究室の卒論生2名が遠藤さんの食事介助を卒論テーマにしています(通称「エントコ班」)。研究室をあげてお手伝いをしていきたいと考えています。これからもよろしくお願いいたします。


(管理栄養士 松月弘恵・東京家政学院大学給食管理研究室)


叫ぶ専従ヘルパー小島進から
水の勧め

 みんな、元気ですか? 俺は波があります。でもそれはみんなも同じだよね。さあ、今回のえんとこ通信もぶっ飛ばしていくぞ〜。俺の腹帯にしっかり捕まってろよ〜!! じゃあ、は・じ・け・る・ぞ〜!

 みんな一緒に〜1・2・3、「し〜げ〜る〜!!」『ほ〜』

 てな訳で始まりましたえんとこ通信です。こんにちは。叫ぶヘルパー、小島です。
 気付いてみれば早いもので、遠藤さんに拾ってもらってから、なな月も経つてました。始めた当初は本当にてめえにやれるのか?
「お、お、俺ですよ、遠藤さん。大丈夫ですか俺なんかで。」
ってな思いを常に持ちつつやっていました。言っちまえば勢いでここまで来た感は否めない。これからが正念場ってとこですかね。

 などとてめえに言い聞かせてはみたものの、考えてみたら勢いでやって来たのは今に始まったわけでもなく、我が人生そのものではないか、とも思う。そう思えば気が楽だ。
 えんとこの一週間の中で、良きに付け悪しきに付け、その「勢い」ってやつを付けてくれるのが、プール介助だろう。

 最近、今まで使用していた総合福祉センターの温水プールでは何かと不都合が多いため、2月より全面改築オープンした千歳温水プールというところを使い始めている。ここがとにかく最高なのだ。
 そのプールは環八のすぐ近く。当然歩いていくのは無謀。よってタクシーをとっつかまえることから始まる。やつらの中には、車イスを見ると未だに乗車拒否する雲助がたくさんいるので、俺と遠藤さんは少し離れたところで待っていて、もう一人が捕まえてから我々が乗り込むだまし討ちの形になる。人をだますのって楽しいね。一応車イスを持ってれば誰でも聖人君子に見えるらしいが、車内では、どういう訳か赤裸々談議ばかりに花が咲いてしまうので、運ちゃんはいつも困惑気味だ。まあこんなんじゃ次から乗せたくないってやつがいても分かる気がするね。

 現地に着けばそこはパラダイス。総合福祉センターと違い、寝たきりの人にもちゃんと着替えができるように設計されている更衣室が待っている。プールは25メートル。脇にスロープがついていて、車イスに乗ったまま入水できるタイプだ。奥にはウォータースライダーがあり、滑り降りると流れるプールになっている。天井はかなり高く開放感があり、その上ガラス張りで、いつもお日さまが事故がないようにと見守ってくださる。

 充分運動した後は、打たせ湯の滝、筋力アップマシン、ジャグジー風呂などが、我々を送りだしてくれる。
 目的の遠藤さんの体力向上がみられるだけでなく、付き添う二人もハイテンション。体調もよくなっているように感じるのは俺だけじゃないはずだ。
 遠藤さんをベットに寝かせ、全てをやり終えたころには、プールへ行った三人の間にいつもと違う一体感が生まれている。確実に出発前より仲よしになっているのだ。

 水って不思議だ。誰もがオープンになっている。陸上で滑り台をやっている大人はいない。クロールなんかでも陸上にたとえれば、腕を回しながら走っているって感じ。バッタは左右の腕と足を同じ動きにしてるやつ。ブレストは空へ昇っていくやつ。バックに至ってはただ浮いてるやつ。そんなことしてるやつに普段の生活で遭遇することは、なかなかない。だいたい、老いも若きも、禿げも剛毛も、デブも痩せも、男も女もみんなみんな素っ裸だ。みんな馬鹿だ。馬鹿を楽しんでる。すげえ世界がそこにはある。
 読者のみんなも落ちてるときはプールにおいで。円滑な人間関係を求めているならプールでつくりな。G8、せっかく沖縄でやるならみんなで泳いだその後でやってみると、きっと上手くいくだろう。

 これからプールは水、木、金曜日のうちのどれか1日、2時から5時までを予定しています。
 ぜひ、みなさんも一緒にプールに行きませんか?

 以上、叫ぶヘルパーから水の勧めでした。


 ニーハオ!(こんにちわ)
 『上海蟹が食べられる!』のキャッチコピーに誘われて、上海へ行って来ました。
 出てきた上海蟹は時期が違うせいなのか、とってもとっても小さくて味がよく分からなかった・・・。トホホです。今度は、味が分かるぐらい大きな上海蟹が食べたぁ〜い!!
 まだまだ旅行話を書きたいけれど・・・本題にいかないとネェ。
 さて、今回のテーマは”フッ素”
 フッ素が歯に良い!と聞いたことがあると思いますが、なぜ いいの?
  一つは、歯の質を強化する働きがある!
  ニつ目に、口の中の細菌を制御する働きをしてくれます!

これはイコール、虫歯になりにくくなるという事になります。フッ素の効果はスゴイ!!
 では、家庭で手軽に取り入れられないだろうか・・・・・・?
 毎日、緑茶を飲もう!
 一日一品、海草を食べよう!
 歯磨き粉をフッ素入りに換えよう!

 今日からためしてみてはいかが???
 ではでは・・・・・・


〜調査〜
 調査活動を初めて、2年と8ヶ月が経ちました。
 遠藤さんの自宅をスタートに、梅ヶ丘周辺の道路・小田急線の駅・総合福祉センター・光明養護学校・羽根木公園などなど、振り返ると案外いろんな所へ行ったなあ、と思います。私たちが調査しているのは、身近な生活空間ばかりです。
 遠藤さんと車椅子で出かけて行くことによって、ふだんは気にとめない段差が気になったり、階段や坂道を通るのにとても苦労したり、入れないお店があったりと、発見が多くあります。 こうして気づいた点を記録し、計測器を使ってデータを集めたりすることで、将来「ケア生活館」なる共生住宅を建設する準備を行っているのです。 ,,

〜ケア生活館〜
 「ケア生活館」とは、ケアを必要とする人とケアをする人がお互いに支えあいながら暮す住居です。
 「へえ〜、そんな住宅があるんだ。」と思う人もあるでしょう。イメージとしては、遠藤さんとえんとこに介助にやってくるみなさんが一緒の建物に住んでいるようなもの、でしようか。お互いに支え合って生活できる住居。これは遠藤さんが長年考えてきた、理想の住居ともいえるでしよう。

 今まで公共の施設を中心に調査を進めてきましたが、今年からは今までの経験を生かしつつ、もっと住宅に焦点をあててゆこうと考えています。それにはいろいろな思考錯誤が必要です。私たちは住居の専門家でもなければ、調査の専門家でもありません。でも、いろんなアイデアや人と人のつながりを頼りに、個人の住宅や、既に存在する共生住宅を訪ねてゆく予定です。
 メンバーはえんとこのHPを担当している藤原さんや、涌井さん、在原さん、武藤くんをはじめ、信州からメールにていろいろアドバイスをくださる江川さん、看護学校生の遊座さん、先日初めていらした鶴田さんなど、毎回4〜5人で行っています。(涌井さんと在原さんはこれが縁となって、今年3月にめでたくご結婚なさいます!)たまたま調査日に介助に入っている人にも、毎回一緒に参加していただいています。

 メンバーの予定を合わせて、月に一度日曜日に遠藤宅でミーティング、または調査に出かけています。今後の予定は、3月もしくは4月始め頃に世田谷区深沢にある、環境共生住宅を見学に行きます。まだ日程は決まっていませんので、興味のある方は、遠藤さんかもしくは開内までご連絡ください。また、調査の予定はえんとこのHPも載せていますので、イン夕ーネットにアクセスできる方は、ケア生活くらぶの中の調査活動のページでも確認できます。
 みなさんのご協力をお待ちしています。



介助ローテーションの決め方

 えんとこでの介助ローテーションは、これまで遠藤の部屋のホワイトボードに直接名前を記入すれば、それがそのまま決定、ということになっていました。介助者が少なかったということもあって、なかばは冗談で「早い者勝ちだよ」などとも言っていたのです。
 実際には、ほとんど「電話当番」のひとが、名簿の中から電話で都合がつくひとをさがし、それに応じて来てくれるひとによって、介助がひきつがれ、なんとかかろうじてぼくのいのちが維持されてきたのです。

 ところが最近、時としてその様相が変わってきているのです。
 世間的に「仕事」が少ない時代になっているところへ、いまのところぼくは介助料を時間あたり700円払えているので、ボランティアとはいっても、ちょっとしたアルバイト感覚で来るひとが増えたのかもしれません。例の映画の影響もあるでしょう。

 とにかくこれまでのやり方では、ぼくの介助は望むようにはできなくなってきています。たとえばひとりのひとが一定の金額を収入として得ようとして、それこそ早い者勝ちでどんどん埋めていってしまうと、他のひとがなかなか入れません。そうすれば、それらのひととの関係が、それだけ薄くなっていってしまいます。

 まったく、こんな悩み方をすることになるなんて、これまで考えたこともなかった。
 何人かの決まったひとにずっと任せていられれば、たしかに慣れたひとなのだから、その限りでそのときは楽かも知れません。でも、それでいい気になっていたら、そのひとの都合で来てもらえなくなったとき、因ってしまいます。

 すくなくとも、ぼくに絶えずなんらかの具体的な形で関係を保っていてくれるひとがいさえすれば、たとえ政治や社会が自分たちにとって望まない方向に進んだとしても、かえってそれを逆手にとって、ほんとうに自分たちのちからで、お互いにそれぞれのいのちをいかしあいながら生きる、そんな関係を本気で割り出す好機にも転ずることができるかも知れない。

 たとえば今年4月から実施される介護保険という制度。3年からおそらく5年後には、65歳以下の障害者にも適用されることになるようです。しかし、これがいまの認定基準で計画どおり機械的に導入されたとして、ぼくの場合、単純に金額で計算しても、介護料は今の半分にもなりません

 しかも今の世田谷のような、ヘルパーの個人的なかたちでの「推薦登録」を含めて、これまで25年もかけてやっと勝ち得てきた諸制度との併用が認められるかどうかもわからないのです。おそらく、併用というよりは、移行に近い形を”おとしどころ”とすることを区はねらってくるのではないでしょうか? 明らかに、今のぼくの生活は成り立たなくなる。

 そういう危険性をも、抜け目なく自分たちみずからの可能性として生かすことをねらいながら、それらのひとたちとの間で、ぼくは残りの人生を、柔軟に、そしてなおしたたかに生きてゆきたいと思っています。
 この心意気に感じて、お互いに助けあえるひとがいれば、今後ともよろしく!

2000年2月8日 (遠藤)



遠藤滋一言集

 映画『えんとこ』が、12月1日の朝日新聞のコラム「天声人語」に紹介されました。この映画の完成上映会が始まってから半年。上映運動にとってはさらなる追い風です。

 おそらく、時代にとってなんらかの必要性に応えるところがあるのでしょう。どこまでゆくのか、そら恐ろしい気もします。
 でも、そう思うと、ばくとしてはやはり気になることが出てきてしまう。この映画を観てくれたひとたちの感想のなかに、「”あるがままの自分でいいんだ”と感じることができて、肩の力がぬけ、とても楽になった」というようなものが多いことです。

 たしかに、こうした感想を持ってくれるひとがいるのは、とてもうれしい。しかし、それは”お互いのいのちを生かしあっていきる”世界の、入り口に立つただけなのです。その入り口の扉を開けて、その中へみずから一歩を踏み出すかどうかは、あなた次第・・・!

 「ありのままの自分のいのちと、それが置かれている状況・・・。それを一旦まるごと自分でひきうけて、全ていかしてゆけばいい。おいしいところ取りは、禁物。一見難しそうにみえても、ひとの目を気にせず、すこし勇気をふるって自分のいのちの姿を裸にしさえすれば、それだけで、みずから決めて”今”のすばらしい生き方を展開することができる」

 これが、今までぼくがみんなに伝えようとしてきたメッセージでした。
 ぼくがいいたいのは、修行して悟りをひらけということでもなければ、だれか特別な能力に恵まれたひとに、教えを仰げばいい、ということでもありません。むしろ、そんなことは考える必要はないんだよ、いま生きている、このいのちを唯一のよりどころとして、それを大切に、まるごといかして生きればいいんだよ、という積極的な姿勢。

 そしてそれは必ず、自分のまわりにいる誰彼との関係の中でしか、できないことだし、考えられないことです。そうやって、ひとはそれぞれにいかしあって、生きてゆけばいい。

 映画という媒体は、たとえば文字だけで表現する、評伝とか、評論とか、はたまた随筆などというものは、表現方法がかなり違っているはずです。その証拠に、本人であるぼく自身がほんとうに伝えたいことまでしっかり読み込んで、ぼくのホームページにつくってある「雑記帳」や、電子メール等で、ちゃんとかみあったメッセージを返してくれるひともいます。

 そこまで読みとってくれる人がいるのだから、伊勢の映画創りも、まんざらでもない(?)かも知れません。とりあえず伊勢に、感謝、感謝!

(1999.12.5)






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編集担当 松下健太郎から一言

 うあああああああ!!!!

 さっき、2時間ほどかけて書いた文章を誤って全部消してしまいました。我ながらうまく書けていたのに・・・これだからWINDOWSは!と、機械のせいにしたりして…もう全然、やる気がないです。

 でも、しょうがないので気を取り直して初めから書きます。

 皆さんこんにちは。「えんとこ通信NO.55」の編集を担当する松下健太郎といいます。
 俺は、えんとこの飲み会とかに参加した事がないので、皆さんの中で俺の事を知っている人はほとんどいないと思います。ですから、自己紹介をかねて、俺と遠藤さんとの出会い、その辺から今に至るまでを簡単に書きたいと思います。

 俺がえんとこに初めて来たのは、確か2,3年前のことだと思う。その頃、俺はそれまで勤めていた、は虫類専門店をクピになり、以前、ある友人から紹介された障害者の介助をしていた。そこで、現在のえんとこヘルパーの小島進氏と知り合いました。最初は彼の強力な容貌とキャラクターに圧倒されっばなしで、思いっきり引いたものでした。その後、小島氏と友人にえんとこを紹介されたのでした。
 ところが、その介助先で様々なトラブルがあり、そこを辞めることになった。同時期にそれまでやっていたバンドの消滅などで俺は自暴自棄になっていました。それ以前からダメ人間で名高かった俺は、さらにそのダメき加減に磨きがかかっていました。小島氏などからは「存在が投げやりだ」などと絶賛されたぐらいです。そんな俺は、まさに使えない男。本当にどうしようもない男。まともな介助などできるはずがありません。

 こんな事がありました。寒い冬の夜中、遠藤さんは風邪を引いていました。俺が泊まりの介助をしています。まだ遠藤さんの介助に慣れていない俺は、尿瓶をうまくあてられず、いつの間にか尿瓶がはずれてしまったのです。
 とりあえず、濡れてしまったパジャマと下着を脱がしましたが、その後どうしていいのか分かりません。俺は呆然として、下半身をムキ出しにして濡れたシーツの上に横たわっていいる遠藤さん(風邪を引いているl)を見下ろしていました。微動だにせず。何十分も。
 ずっと・・・

 シンと冷えきった部屋の中には、蚊の鳴くような、

「寒い・・・寒いよ・・・」

という遠藤きんの声が、弱々しく響いています。俺はただ、固まって身動きもせず、ジッと遠藤さんを見つめています。何も言わず。
 鳴呼、なんて無惨な光景なのでしょう。身の毛がよだつ思いです。
 その時のことを遠藤さんは「イヤー、あの時は紹介した人を恨んだねえ」といっています。いかに遠藤さんがつらい思いをしたかが伺えるコメントです。

 他にも俺は遅刻もパリパリしまくっていて、先代ヘルパー、旧姓斎藤さんに怒られたりしていました。そんな俺にも人生のターニングポイントが訪れ、そして変わりました。何が俺を変えたかについては、あまりに陳腐で、自分でもばかばかしく思えるので、ここでは触れません。けれども、そんなどーしようもないダメ野郎の俺を、遠藤さんが見捨てることなく、暖かく受け入れてくれたからこそ今の俺があるのです。今では、えんとこの夜の介助の2大柱として、大塚氏とともに大活躍しています。遠藤さんに「あの時、我慢したかいがあったよお』とまで言って貰えるようになりました。スゴイ成長です。ようやく俺も人間に成れたのです!まさに遠藤滋によって、彼の信条である「ありのままのいのちを生かしあう」によって人間にしてもらったのです。誉め過ぎか?

 そうして、遠藤滋によって生まれかわらせてもらった俺が、元グラフィックデザイナーであるという経歴を買われ、「えんとこ通信」の編集を頼まれました。これで恩返しができる! とばかりに俺は、はりきって事に望んだのですが…
 今、これを書いている時点でもう〆切には間違いなく間に合いません。原稿やイラストを頼んだ方々は、忙しい中をちゃんと原稿を仕上げて下さったにもかかわらず、です。
 編集に協力して下さった皆さん、本当にごめんなさい!

 まだまだ、まともな人間に成るには、修行が足りないようです。



引き続いて編集後記

 最初の締め切りを10日ほど過ぎて、ようやく、この「えんとこ通信NO.55」も完成しました。

 思えば、長い長い道のりでした。途中で、メールでの画像データのやり取りができない、といったトラブルなどもあり、(結局、これは未解決のままなのですが…)思うようにはかどりませんでした。編集に使用したソフトが遠藤筐体にはインストールされておらず、作業は自分の家でやらざるを得ず、俺はただでさえ2,3日に1度は介助に入っているうえに、ドタキャンの穴埋めなどで家にいるより遠藤宅にいるほうが長い、というような生活になっていて時間を作るのも大変でした。「編集担当松下健太郎から一言」だけは、遠藤宅で書きましたが、いくら介助の時にさんざん使っているとはいえ、やはり慣れない WINDOWS、初歩的なミスでデータ全部消滅なんて事も起きました。

 イラストをお願いした、内田さんには無理をずいぶん言いました。それでも文句一つ言わず、(まあ、陰ではどうか知りませんが…)仕上げて下さってとても感謝しています。もちろん、忙しい中、すばらしい原稿を善いて下さった、武さん、開内さん、松月さん、小島君、そしてこんな俺を起用しちゃった遠藤さんにも、とても感謝しています。まだまだ、気に入らないところもあり、完璧とは言いがたい出来ですが、それなりのクオリティで出来たと、それなりに満足しています。


5月の山菜が美味しくて、山が一番綺麗なころ

伊豆、松崎の

すっげー山奥

に行きませんか?

 5月のゴールデンウイーク、2.3.4.5.6日あたりで、毎年恒例(去年は忙しくていけませんでしたが・・・)の伊豆の農場に行きたいと思っていますが、それには運転手と介助者3人ぐらいが必要です。
行きたい、行ってもいい、という人は、遠藤までご連絡ください。