「悪法はゆく」へのメッセージ



 メールありがとうございました。
 お身体の具合はいかがですか。
 その身を、やわらかな春風が撫でずにがりがり、ばりばりと非情な砂嵐に皮を剥がれておられることを思い、「音なき民」をしている私はとても悔しく、情けなく、繰り返し、遠藤さんの歌を読みました。

 今、わたしはある県の私立保育園連盟というところで事務仕事をしています。
 保育園という場所でも「耳障りのよいことば」で「本性」から「目をそむけさせること」や「保身」や「お金で換算」することでどんどん、どんどん「本質」からかけ離れていってしまうことなどが沢山あって、唖然とします。
 おいおい、ちょっと待ってよ。目の前で子どもが泣いてるのに・・・

 私は、相変わらず自分の生活にくるくるしてるだけでのほほんとしてます。
 本当に「音なき民」そのものです。
 でも・・・今、本当は何が起こっているのか、きれいな言葉や笑顔の仮面で何を隠そうとしているのかそれは、ちゃんと見抜いていたい。
 それに、自分だって「ごまかしたい」と思って逃げていることがあることもわかっていたい。

 「ありのまま」でいることがどんどん難しくされてしまう社会なんていやだよ、本当に。

 なんか、いろいろ思いがあふれてしまいまとまらなくなりました。
 申し訳ありません。一方的で・・・
 また、メールします。
 とにかく、今夜がお身体に優しい夜でありますように。
2006年4月30日Yさん/保育関係事務職員
大津留 直 様
 大変ご無沙汰いたしております。
 昨日、遠藤滋氏のお歌についてのメール拝見いたしました。実は、このところ公私ともに多忙にて、10日ばかりパソコンをONにしていませんでしたので、メールを拝見するのが、昨日になりました次第。遅くなりましたことご寛容下さい。
 遠藤氏の障害者自立支援法の施行を憤慨されているお歌と貴兄のご批判を拝読し、たいへん感銘しました。正直言いまして、日常の生活の多忙にかまけて、こうした法の施行について、あまりにも関心のなかった自分を恥じました。これからは、こうした問題も自分の生活の一部として関心を持っていきたいと考えます。
 5月になろうとしていますが、なにか寒いような日もあり、気温も安定しません。お身ご自愛下さい。
2006年4月23日:Hさん/短歌結社「あけび」選者

「従順に日々の仕事をくりかへすこの上にありかのホロコーストも」
「顔もなき鉛の兵隊行き行きて何方に向くやその銃口は」

 僕自身は、この二つの歌に惹き付けられました。
 「顔もなき鉛の兵隊」、それは、おのれの「顔」を失い、おのれをエゴイスティックな自己保存のみに関心を向ける僕たち一人一人を指しています。今日本では、「勝ち組ー負け組」という安易な枠組みで、勝者と敗者とを区別することが流行っています。その安易な思考を「安易なもの」として受け止める感受性すら失われているこの社会が、どこに向かっていくのか、僕はとても心配です。そのような社会が持つ「銃口」は、現実的に対外的には例えばイラクへ向けられ、また国内では社会的弱者へ向けられています。銃口を向けられた人びとの感情や生活、あるいは文化は現実的に破壊されているにもかかわらず、銃口を向ける側は、おのれの「野蛮さ」に気づいていない、というところに現代が抱える問題の根深さがあるように僕は思います。滋様や大津留先生が仰られているように、この銃口を自分達一人一人の「いのち」へと向けかえ、その場に立ち止まること、そのような「強さ」を持つ社会をこそ、僕たちは創っていかなければならないと思います。
 アウシュヴィッツから生還したイタリアの詩人・プリーモ・レーヴィの詩は、この日本に生きる人すべてにも向けられていると思います。無理なことかもしれませんが、できれば、以下の詩も、滋様のホームページに載せて頂けませんか。よろしくお願い致します。

暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。

これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平和を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
これが女か、考えてほしい
髪は駆られ、名はなく
すべてを忘れ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷えきっているものが。

考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。

さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。

2006年4月19日:Nさん/関西学院大

今日の施行許さん集いで、壁に掲示させていただきます。とても身に突き刺さる痛々しい生々しさが伝わってきます。(15首を掲示)
2006年4月6日:Tさん/怒りネット

遠藤滋氏の歌と大津留先生の批評を読んで。
 大津留先生、御無沙汰しております。関西学院大学のNです。
 遠藤滋氏の歌と大津留先生の批評を、先生の暑中お見舞いの歌「加害者の忘るることの迅きこと弱者なればか身に沁みて知る」を思い出しながら、拝読させて頂きました。僕自身、現在における障害の否定的位置付けについて、改めて考えさせられました。
 先生が集中講義で仰られたように、アウシュヴィッツ等の絶滅収容所においてユダヤ人は「生きるに値しない命」として虐殺され、そして、それ以前は精神薄弱者等を初めとする多くの障害者が、社会的な利益を産み出さない「お荷物」として、安楽死という形で大量に抹殺されました。この優生思想的な考えは、「優生保護法」が無くなった現在でも決してなくなってないと思われます。選択的中絶を選ぶ両親は、きっと苦しんでいると思います。しかし、出生前診断がどんどん普及するこの傾向は、近い将来胎児の遺伝子操作の実現を目指しているように思われます。「青い芝の会」は、健常者、障害者の区別に関わりなく、すべての人にこの「内なる優生思想」があることを露わにしました。僕は、この「内なる優生思想」をあたかも無いかのように振る舞うことが、一番の問題だと思います。「優生思想的な考えは誰もが持っている」という事実を隠さず認めること、そしてそれを認めた上で、「健全な」社会とはどういうことなのか、ということをしっかりと考えていくことが大切だと思います。
 「従順に日々の仕事をくりかえすこの上にありかのホロコーストも」という遠藤滋氏の歌と、上の大津留先生の歌は、表現こそ違いますが、同じ事柄についてのものだと思います。「健常者ー障害者」という二項対立的な考えの枠組みを「すべて」無くすことはできません。でも、「障害(者)」と一括りにして、乱暴に議論を進めるのではなく、障害者(健常者)の人と触れあう、または障害を持った人(障害を持っていない人)が書いた本を読むという形で、自分の今の在り方に欠けていること、あるいは忘れてしまっていたことについて考えること、それはほとんどの人に可能なことのはずです。そのことがなおざりにされていること、そこに障害者差別に限らず多くの差別が残っていることの原因がー少なくともその一つとしてーあるのかもしれません。『ツァラトゥストラ』における「出来損ないは亡びるべし」という言葉には、自分の在り方をもはや軽蔑することすら出来ない「出来損ない」、おのれの自己保存(おのれの生活)のみに汲々としている「出来損ない」に対するニーチェの抵抗的・侮蔑的な叫びとして僕は捉えています。
 自分の属する社会、あるいは世界はどこか間違っていると思いつつ、しかしそのような社会や世界を構成しているのも僕たち一人一人であるということ、そのことをしっかりと考えていくことの中にのみ、優しい・温かい社会の構築も可能となると思います。
 遠藤・大津留両先生の歌と批評を拝読して、日々自分が考えていることを拙い言葉で表現してみました。
 失礼致します。
2006年4月7日:Nさん/関西学院大

 これから、日本、世界はいろいろな面で二極化していくといううたい文句におどかされてみんな効率のよいほうへ弱者を蹴落とすほうへと動いて行っている気がしてなりません。われわれ人間は更なる人類の幸福を求めて生きてきたはずなのに医療の世界をみてもはたして結果はそうなのかと疑いたくなることがたくさんありますね。ひとりひとりの人間の傲慢さ、神や自然にたいする冒涜の結果なのでしょうか。
2006年4月9日:Oさん

 新入生のゼミで、ノーマライゼーションをテーマとして25名の受講生と一緒に一学期勉強します。ところが、法はノーマライゼーションを逆行させるような方向に進んでいて、大学近くの施設にうかがっても、今はそれどころではないと対応に追われていらっしゃいました。
2006年4月9日:Kさん/関西大学助教授

 大津留 直様
 遠藤滋氏の障害者自立支援法施行の歌と貴殿のご批評を読ませていただきました。
歌はそれ自身、すばらしいものです。さらに深い洞察に裏打ちされた貴殿のご批評と遠藤氏ご自身の解説によれば、新法は社会保障費用節減を目的にしたものとのこと。法律の内容を知らなかったものですから、私は障害者自立の支援を強化するものと思っていました。
 本件は新聞やテレビでの特に目に付く説明や解説がなく、注意をしていないと問題点が多くの人に理解されないままに施行されてしまいます。
 弱者にやさしい国家にせねばならないと思いますし、そのための運動を広げていかねばと改めて思います。財政的制約から高齢化などで増える医療費など社会保障費を押さえ込むことが最優先になっており、その実態を理解することがスタートとなります。どうも有り難うございました。
2006年4月15日:Oさん/あけび会員



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