悪法はゆく

 私の友人である大津留直から、以下のような批評文が送られてきました。先日の歌に対する、彼の激励と受け取っています。
 彼は自分が関係する障害学関係のメールマガジンにこれを掲載し、また個人的な友人・知人たちのところへこれを送るそうです。私は喜んで承諾しました。
 この悪法に反対する運動のなかにこんな自己表現活動(?)こそがあってもいいのではないかと思い、そのまま紹介することにしました。稚拙な歌ばかりですが、彼の批評は私の訴えたいことをかなり正確に受け取ってくれています。
 読ませたい人がいたら、ぜひ読んでもらってください。また、私の歌で使えるものがあったらどこでもぜひ使ってください。よろしくお願いします。

 大津留 直です。ご無沙汰しておりますが、皆様にはお変わりなくお過ごしのこととお慶び申し上げます。
 さて、私の親しい友人であり、脳性まひの仲間でもある遠藤滋氏が、障害者自立支援法の施行にたいして以下のような数々の短歌を送ってきましたので、皆様に是非読んでいただこうと思います。なお、いくつかの歌に対する私の拙い批評を加えました。ご笑覧いただければ幸いです。

障害者自立支援法施行 (2006/04/01)  遠藤 滋
穏やかな春の日なるに今日よりは身を剥ぎつくす法施行さる
納得のゆく説明も避けしまま問答無用と年度(とし)は明けたり
わが頸椎(くび)の手術の痕も癒えざるに問答無用と悪法はゆく
寝返りにひとの手足を借りるとも時間いくらと国の決めをり
記者たちも小粒になりぬ真相に敢へて踏み込む剛胆なきや
財界の益と国とはひとつなり焦り求めむその行く先を
税・保険かかわりなきが顔をしていかにせむとす音なき民は
算定の根拠を問はれ机上なる表の数字を按分する君
用意せる説明のみをくりかへし問ひに応へずやり過ごす君
小ざかしき保身のみにてはじき出すつましきが上(へ)のつましき数字
エリートの道のみを来し彼らなれ実生活を毫も想へず
従順に日々の仕事をくりかへすこの上にありかのホロコーストも
顔もなき鉛の兵隊行き行きて何方(いづち)に向くやその銃口(ほこさき)は
舵取りの誰(た)ぞやそれさへ分かぬまま波の間に間に沈みゆく日本(くに)

穏やかな春の日なるに今日よりは身を剥ぎつくす法施行さる
 「身を剥ぎつくす」の凄みが効いている。しかし、多くの人が、この表現を大げさな被害妄想と受け取る危険性はあるかもしれない。国民の多くが、まさにこの法律の施行によって、「身を剥ぎ尽くされる」思いをしている障害者がいようとは想像も出来ないのではないか。これは何なのだろう。想像力の欠如?情報の偏り?情報操作?それでいて、誰もがうすうすは、何かおかしいと感じてはいるらしい。結局は、決定的な対案に欠けることが人をこのように「その日暮し」的にしてしまっているのか。「えらそうなこと言ったってなるようにしかならない」という諦めが蔓延しているように思う。いや、これは諦めよりももっと性質が悪い。国だけではなく、国民の多くが、「ローン」に浸かった生活をしている。だから、小泉構造改革は彼らにとって唯一の希望であるかに見えるのではないか。
 「音なき民」は結局、自分の生活のことしか考えていない。僕自身結局そうだ、と告白しなければならないだろう。しかし、誰でも明日は寝たきりになり、一割負担の介護を受けることを強いられ、「身を剥ぎつくされる」可能性に付きまとわれていることも確かなことなのだ。だから、この歌には、もしかしたら、それこそある国民的運動のうねりを作るきっかけになる力が潜んでいるのかもしれない。君の歌にはいつもそのような力がある。それは君が身を晒して歌を詠んでいるからだ。

用意せる説明のみをくりかへし問ひに応へずやり過ごす君
 小泉さんのことだと読んだ。彼の答弁を聞いていると、何時も何かはぐらかされている感じがする。しかし、野党の人々は、小泉さんと比べるといつもお人よしで、その「はぐらかし」をそれとして完全に暴露するまで食い下がるのを未だ嘗て見たことがない。だから、彼の答弁を聞いていると、いつもイライラさせられる。そもそも、この「障害者自立支援法」という名前が「はぐらかし」の典型なのだ。この法律は実は「社会保障費削減法」であり、「障害者支援介護保険化法」と呼ぶべきなのだ。

従順に日々の仕事をくりかへすこの上にありかのホロコーストも
顔もなき鉛の兵隊行き行きて何方(いづち)に向くやその銃口(ほこさき)は
 われわれがわれわれの「いのち」の決断へと立ち還る必要性を訴えているように思われる。われわれがそうすることを拒み、例えば、世間の常識に従順に、効率性と機能性を絶対視し続けるならば、そこでは、その原則に沿えない「いのち」が排除されるホロコーストのような状態へと突き進んでいかざるを得ないのではないかということを詠っている。そこでは、われわれ自身が、あのミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる灰色の人間たちのような「顔のない鉛の兵隊」になるのであり、その銃口は実は、われわれ自身の「いのち」に向けられるのである。特に、「顔のない」という表現が、われわれ自身が自分自身を失ってしまう危険を指し示している。

以上、大津留の拙い批評です。

 なお、遠藤氏から今届いたばかりのメールの一部をここに貼り付け、注とさせていただきます。

 「ぼくはいま、自分だけのための『結・えんとこ』という准・事業所を立ち上げています。もともと事業所などやりたくてやったわけではないのに、例えば確定申告のとき、いらざる苦労をしました。介助を支えるためだけのものなのに、下手をすると自分自身の収益のように扱われかねないからです。
 現にもし一割負担を免除されようとすると、個人の収入だけでなく、これまでの預貯金や相続した不動産まで、ほぼ全財産を開示しなければならないではないですか!
 少なくとも今月からは、この准・事業所への補助事業費の支給は、これまでの一割五分も減額となります。金額にして、月に約十何万円…。これは主に必要経費に対する補助だとしても、ヘルパーにきちんと労働報酬を保障することは、ますます困難になってしまう。
 准・事業所(基準該当)の存在そのものが狙われているのではないかという危惧を、絶えず持たざるを得ない現状です。

 それから、昨日の民主党のやまのい和則議員のメルマガの一部もここに貼り付けさせていただきます。
「いま悲しいニュースが入りました。
去る3月11日に福岡市で、障害のある娘さんをお母さんが包丁で
刺殺し、自分も自殺をはかるという痛ましい心中事件が起こりました。
恐れていたことを現実になりました。
原因は、この4月からスタートする障害者自立支援法により、
自己負担がアップし、今まで利用していた作業所などが利用でき
なくなったからでした。悲しすぎる出来事です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌」

このようなことがこれから次々と起こることがないことを祈るのみです。

大津留直拝

大津留直:
哲学博士(チュービンゲン大学)。関西学院大学非常勤講師。
日本における論文『障害と健康』(『現代思想』2000年9月号)・『言葉への道。芸術の現象学へ向けて』(『思想』 2004年12月号)など。
遠藤と共に短歌結社「あけび」会員。光明養護学校では同級生であり、とくに中学部時代以来の親しい友人である。