「奈緒ちゃん」上映会
筆:遠藤 滋 わたしは今、家ではほとんど寝たきりの生活である。もともとの脳性麻痺による障害の上に、頸椎の変形によって脊髄神経に重ねて障害を負ったためだ。そんなわたしのところに、ちょうど一年ほど前、『奈緒ちゃん』上映の案内が届いた。差出人は岩永正敏。同じ大学の、親しかった友人である。その彼が「奈緒ちゃん応援団」の、呼びかけ人になっている。手紙の中に「伊勢がこんな映画を作った」とあったが、一瞬、わたしは記憶の中の共通の友人・伊勢真一とは結びつかなかった。伊勢って、ひょっとしてあの伊勢…? わたしは、その年の11月と12月に、それぞれ東京の新大久保と東中野で行われた連続上映会には行けなかった。そんなわたしのために、彼らは年が明けてから、わざわざ『奈緒ちゃん』のビデオ版を作って、遊びに来てくれた。二十数年ぶりの再会だった。伊勢の姪に、奈緒ちゃんのような障害児が生まれ、彼がその成長の姿をカメラに記録していたということ自体、わたしには何か不思議な気がした。自分が障害をもっているというだけでなく、わたしはつい数年前まで、養護学校を職場としていたからである。
それにしてもよくできた映画だ。奈緒ちゃんとその家族の日常を、とても暖かなまなざしをもって、淡々ととらえている。しかも見終わったあとに、何かしっとりとした余韻を残す作品に仕上がっている。第一、構成がいい。 音楽の入れ方も絶妙だ。ナレーションも必要最小限におさえられている。ほとんど映像そのものと、お母さんの語りを補う程度だ。おそらく、伊勢をはじめとするスタッフの暖かなまなざしが、人々の構えをとき、素顔を引き出しているのだろう。ドキュメンタリーといえば、問題を鋭くえぐり出そうとするあまり、無理にでも人々の外づらを引きはがしてゆくような作風が多い中で、これは結果として極めて異色な作品になっている。
それにしても、奈緒ちゃんを内に囲い込まず、積極的に外に出してゆくお母さんの姿勢には共感がもてる。隣近所の子供たちや大人たちにわが子の障害についてもしっかり伝えているだけでなく、ピアノ教室や内職の集まり、バザーなどという形で、家をもすすんで人に開放している。「奈緒がいなかったら、こんな仲間づくりはできなかった」というお母さんの言葉には、この映画のメッセージの全てが凝縮されているように思われる。ぜひとも一見をおすすめしたい映画だ。 1996年10月26日
わがケア生活くらぶでは、来る3月15日(土)、世田谷区の北沢タウンホールにて、映画『奈緒ちゃん』の上映会を催すことになりました。
午前の上映を最前列で見た後、監督の伊勢と二人で挨拶をしようとストレッチャーをくるりと後ろ向きにしてもらったとき、私は驚いた。全座席の、ほとんど七割方は埋まっている感じがしたからである。というのも、この午前の部に関しては、私はもっと悲観的な観測をしていた。悪くすると、わずか二十数名が、ぱらぱらと見ているだけ、ということになるのではないかと心配していたのだ。 正確に数えた人によれば、百五十名ほどの入りだったそうである。ホールは三百名が定員だとはいっても、折りたたみの補助いすを出さなければ約二百五十席しかなかったようなので、私のこの直感は、そう間違ってはいなかったようだ。挨拶をしながらも、私はうれしかった。午後の部の大盛況は保証されたようなものだ、とそのとき確信していた。 ロビーに出ると、実にいろいろな人から声をかけられた。ゆっくり話をする間もなく次から次へと話しかけられるので、ほとんど挨拶の言葉しか交わせなかった人が多い。映画を観ていたとき横にいたのは、私の在職時代に、最後に卒業させた学年の生徒とお母さんだったし、ロビーでは学生時代の友人、養護学校の中学部までの同級生、現在の介助者の家族、その他思わぬ人々と再会した。新しく紹介された人も多い。息子の同級生のお母さんとも出会った。 <中略…> それにしても、今回の上映会は準備段階からすべて初めての経験で、たとえば託児室の設置のことにしても、小学生の入場料のことにしても、問い合わせがあってからあわてて決めるなど、なにかにつけドロナワ式に対処せざるを得ないことが多かった。半年も時間がありながら、妙にあわただしかった。「印刷物の関係は賀内さんに任せるよ」、「実際的なことについては大場君に仕切ってもらうよ」などといいながら、最終的な責任はやはり自分にあるのだからと、やたら神経ばかり細かく配ろうとして、私はやきもきしていた。 ちょっとしたチームワークの乱れで、仕事を何倍にも増やしてしまったり、後で思えば本当に必要な労力の、十倍以上は費やしたかもしれない。しかし、「ひとりひとりとお互いを生かしあいながら事を進める」ということについて、私は具体的に、実に多くのことを学んだように思う。ちぐはぐになってしまったことが多いから、なおさら。 なにせ、実際には自分では何もできないのだから、みんなにその気になってもらうほかはない。そのための試写会から、はじめたのだ。この経験は、これから他のことにも生かせると思う。関わったみなさん、ごくろうさま。 回収されたアンケートを読みながら、私は改めて確かな手ごたえを感じ、うれしかった。『奈緒ちゃん』は見た人の心に深く静かにしみこんでゆき、見えないところで状況を流動させてゆくだろう。二、三年後に、できたらもう一度上映したい、と、ふとそんなことさえ考えた私だった。 1997年4月27日 |