えんとこTimes

 上映開始から一年を経過し、映画「えんとこ」の上映は180ヶ所を越えました。
 組織もお金も持たない私達の上映活動は、人だけが頼りです。
 映画を観た人、観たい人が上映し、次の人に手渡していく、という極めて素朴なやり方です。
 180ヶ所の上映を実現してくれた一人々々と、映画を観てくれた一人々々に感謝します。
 更なる上映の拡がりを願って・・・・




 映画『えんとこ』の第一回上映は、監督と主人公遠藤滋さんの母校、立教大学の池袋キャンパスでした。映画が誕生する切掛けとなった出会いは、30年程前の、この場所から・・・という思い入れからです。
 パーソナルな思いを大事にした映画を観てもらうには、やはりパーソナルな思いの上映を・・・と考え、始まった上映活動は、パーソナルな関係をそれぞれが起点にしてジワジワと拡がって行きました。観た人から次の人へという拡がり方は、「奈緒ちゃん」の上映と同様です。「えんとこ」の縁が映画のスクリーンをはみ出して、上映の場から場への物語に進化しているという感じです。
 特徴的なのは、同じ地域で二度、三度と繰り返し上映されること、同じ人が二度、三度と映画を繰り返し観てくれていることでしょうか。
 全国180ヶ所での上映とは言っても、まだ実現していない地域も多いようです。県別に言うと、青森、秋田、長野、福井、徳島、熊本、宮崎、そして沖縄では、まだ上映が実現していません。
 小、中、高校での上映も増えてきました。時々学校関係者から問合せがあり、
 「何年生向きの映画でしょう」
と、質問されます。即座に、
 「小学校一年生から分るはずで す、観てもらいたいです」
と、答えるようにしています。
 中学、高校で上映してくれた先生からは、
 「全員が必ずしも集中して映画 を観たとは言えません。ドキ ュメン夕リーは、子供たちに は難しいのでしょうか・・・」
という手紙が来ました。確かに、先生方が望ましいと思うような鑑賞態度をしない子供達も多いかも知れません。でも、そんな子供達の記憶の片隅にワンシーンでも、ワンカットでも「えんとこ」が残れば、それでいいと思います。
 「記憶の一番隅っこにある光景、肖像をこそ大切にしたい」
 無理矢理でも観てもらう、ついででも観てもらう、つき合いでも観てもらう、そんな気持ちをベースに、上映の輪を拡げたいと本気で思っています。  
(2000年 夏)
論説主幹 いせしんいち



遠藤滋一言集

 知らないひとからのメールでも、ぼくは必ず一度は返信を送ることにしています。どんな機会にも、それをいかして、新しい出会いを求めてゆこうと決めているからです。映画の『えんとこ』を観たという、いろんなひとたちから届いたメールに返事を書く、ということにもかなりの力をさいてきました。
 ぼくの障害は、脳性マヒ。そこからきた、頚椎の変形による神経管の狭窄のために起こる、諸症状をもあわせ持っています。知らずにいつの間にかためてしまった精神的な緊張が、そのまま肉体的な緊張として現れることもしばしばです。だから、ぼくにとって、あらゆる意味での緊張は禁物。いくらケンカをふっかけられても、それには乗らないようにしています。それが命取りにもなりかねないので、できるだけボーッとして、受け流します。
 難しい話には、できるだけ乗らない・・・。でも、たまにメールで、わざわざカチンとくるような言葉を送ってくる人もいる。
 ぼくのどうということもない日常生活が、ドキュメンタリー映画として全国各地で上映されていること、それにテレビやラジオ、新聞などにそれが紹介されてしまったことに対する、やっかみの心が働いているとしか思えません。そんなところで、ぼくは自分を誇ろうとはこれっぽっちも思っていないし、第一、それどころではないのにもかかわらず・・・、です。
 ぼくは、これまでの自分の模索のつみかさねのうえに、やっと今のような、自分ならではの固有の生活の形をみつけ、それでどうにか生きているだけで、これが誰か他のひとの生活のモデルになるとは、まったく思っていません。「自立」という言葉すら、久しく使ったことがないのです。なぜって、関わってくれるみんなの力に支えられて、はじめてぼくの生活がなりたっているのだから・・・。
 伊勢にしても、障害を持つ者の、最も新しい生き方の形として、この映画を撮ったわけではないと思う。あきらめないで、ここまで生きてきて、なお明日を開こうとしながら生きようとしている、そういうぼくの、ありのままのいのちの姿を、ありのままにただ淡々と撮ろうとしただけのことだったと思います。
 ぼくは、自分が幸運にも障害を持っていたおかげでたまたま気づくことができた、普遍的な視点から、ひとびとの生き様を絶えず見とおして生きてゆくことを、せいぜい楽しませてもらおうと思っています。もちろん、その視点を、可能な限り、多くのひとと共有し、それを積極的にいかしたいのですが・・・。



窮屈の民『不屈の民』を唄う。

 映画『えんとこ』を観てくれた人から時々「あの主題歌はオりジナル?」とか、「サウンドトラック・テープは売らないの?」というお問い合わせをいただきます。『えんとこ』の中で何度もくり返されるあのメロディは、とても印象的で、「暗い」「重い」と否定的なものから「深い』「力強い」と肯定的なものまで広い範囲で反響がありましたので『えんとこ』の音楽について少しお話しします。
 『不屈の民』(原題「EL PUEBLO UNIDO JAM AS SERA VENCIDO!」=「団結した人民は不屈だ!」)というのがあの曲の名です。チリのセルジオ・オルテガが作り、”キラバヤン”というグループによって世に送り出された大衆歌です。タイトルからも読みとれるように、クーデターでたくさんの人々を虐殺して誕生したピノチエト軍事政権への抵抗の歌として南米だけでなく世界に広がった曲です。オリジナル曲以外にもアメリカの作曲家ジェフスキーによる「36の変奏曲」も世界中のクラシックコンサートで演奏されています。
 伊勢監督と『えんとこ』について打合わせていた時、フッとこのメロディが浮かんで、2人で70年代アルゼンチンの十数万人のスタジアムで演奏された『不屈の民』を聴きました。人々の「叫び」が、いつの間にか「歌」になり、やがてスタジアム全体が躍動して「音のうねり」に拡がっていく。「歌」そのものの生命感を感じた私たちは、『えんとこ』の音楽モチーフをこの『不屈の民』にしたのでした。
 音楽ディレクターの米山さんや作曲家の横内さんの「快諾」ももらって、アレンジされた音の骨組が出来上がって、1.5畳という大変狭い録音ブースに大の男6人が重なって「男声合唱」を多重録音する作業が深夜4時間を費やして決行されました。最初は夕イミングを合わせるだけで何度もやり直しという有様が、そのうち皆コツを覚えて最後には「リサイタルも夢じゃない」という冗談も出る出来(?)となった訳です。
 ともあれ、そんなこんなで、実際には「窮屈の民」の作業でしたが、『えんとこ版不屈の民』は今日ある形となりました。皆さんも機会があったらオリジナルを聴いてみてください。

岩永正敏(プロデューサー)



//最新情報コーナー//

●映画『ドキュメンタリーごっこ』上映報告
 伊勢真一(構成・編集)、内藤雅行(制作・撮影)による新作ドキュメンタリー「ドキュメンタリーごっこ」が、東京・BOX東中野で、この夏一ヶ月間にに渡りモーニングショー公開されました。猛暑の中、なんと568名もの入場者があり、好評のうちに幕を閉じました。
 映画は、35年前の養護学級の子供たちを、中学校時代の内藤雅行さんと仲間たちが撮影した8ミリフィルムを中心に構成された、優しく、やがて切ない物話です。
 今後、各地での上映を期待しています。関心のある方は、壱O(いちおー)プロ事務局
(03−3406−9455)までお問合せ下さい。

観客のアンケートから、映画の香りを御想像下さい。
☆”出会い”の重みと映画は、やっばり共同作業だなと実感しています。 (T・S 映画編集)
☆子供の頃にタイムスリップしたひと時でした。校庭に射す透明な光を見て、小学校時代の沈丁花の香る早春の朝、庭に出た時の事を思い出しました。それは、本当に美しい日でした。大切な日の為にとっておきたいと思いました。 (U・K 主婦)
☆面目かったです。”ごっこ”、と言うのはなんと正直な、なんとpureと言うか・・・。 (S・T 演出家)
☆35年前も今も、一番変わってないのが障害を持つ子供たちではないでしようか。健常者よりずっと強い精神力の持ち主なのかも知れません。彼等(くすのき学級の子供たち)に嫌われたのではなく、内藤さんの青春の挫折が、見事に描かれていて素晴らしかったです。 (lM 女性)
☆最初の出だしのところのシナリオを映したところに「マンネリ化した社会」とあったので、そんなに昔から世の中はマンネリ化していたのか、と驚いた。 (O・T 無職)
☆おもしろかったよ。あと笑えた。 (K・M 6才)
☆人は最初っから神様みたいな人ってごくごく少数で、ほとんどの人は、いろいろなところで人を傷つけてしまったり、いやな思いをさせてしまったり、しかも後になってからそれに気づいたり、そんなふうに年齢を重ねていくのでしようね。 (Y・K 養護学生)
☆自分は何を忘れたかったのか、忘れたくなかったのか、見ないようにフタをしていたのを、少し揺さぶられたという感じ。 (H・K 女性)



●書籍・ビデオの販売

 事務局では、遠藤滋、伊勢真一の書籍・ビデオを販売しております。
 ▼遠藤滋
 ・映画「えんとこ」(パンフレット) −¥1500−
 ・だから人間なんだ −¥1000−
 ▼伊勢真一
 ・誰もが映画の主人公 −¥945−
 ・ビデオ「奈緒ちゃん」 −¥3150−
 ・ビデオ「ルーペ」 −¥8000−
 ・ビデオ「万零」(和太鼓奏者、林英哲コンサート) −¥8500−

 全て消費税込の価格です。お問合せは、事務局まで。03(3406)9455



「えんとこ」アンケートコーナー

今日を精一杯生きよう。
昨日はもう来ない。
明日はまだ来ない。

     (映画「えんとこ」より)

 今回のアンケート特集は、学校特集です。若い世代が「えんとこ」にどんなリアクションを起こしたか、その一端を紹介します。



 小さな日常の幸せなことを見落とさないで生きていくことが、大きな幸せなのかもしれません。そしてまた、その幸せのほとんどは、人との関わりの中にあるのかもしれないと感じました。

 何もしなければ何も生まれないということ。

 何の知識もない人たちが、「何かしたい」という気持ちだけで、立派に介護ができるのだと思った。実際に触れてみることが何よりの勉強になるのではないだろうか。

 近隣に住んでいる遠藤さんのお母さんが食事を作ってきた後、介助せずにボランティアの人にたのんでいたシーンを観て、二人は良い親子関係を長年一緒に歩み、見つけ、少し距離を保ちながら、実はすごい信頼で結ばれていると思った。

 映画が始まり30分ほどは物音せず、全員が真剣に見入っていました。1時間ほどすぎ、1年生の座っている辺りでは、ごそごそする姿が見受けられるようになりました。私は映画を見ながらも、もうすこし集中して鑑賞してほしいと心で念じていました。同時に、この映画を主催した私は、どうかもっと見せ場がでてきますようにと念じていたのです。残念ながらそういった場面はあまり出てきません。むしろそれは当たり前なのです。ドキュメンタリーは人の普段の生活の姿を映しており、それは地味で当たり前です。 (H・A 男性 教師)

 最初はこんなものを2時間も見るのかと思ったけど、みているとどんどんその世界に取り込まれていった。 (K・S 男子 三年) 

 遠藤さんの第一印象は、「うわっ・・・」という感じです。失礼だとは思いますが。私の素直な気持ちの表現です。けれど、それもすぐに無くなり、遠藤さんの楽しいところ、優しいところ、一生懸命なところがすごくうらやましく思えてきました。私は今、自分について、仲間についていろいろ悩んでいます。

 平気で「死」なんて口に出していた自分がすごく恥ずかしく思えてきました。生きようと必死にがんばっている人達を、私は他人事のように違う冷たい目で、私は無意識に見ていたと思います。私はすごいイヤな奴だったと思いました。

 最初は遠藤さんの言葉がわからなかったが、最後はわかるようになってうれしかった。

 ストーリーが無く、拷問のような映画だった。

 内容は良かったが、長すぎた。演出がまずいのではないか。

 映画はおもしろくないといけないと思う。2時間なら2時間どれだけ客を喜ばせたり、感動させたりすることが出来るか、も重要だと思う。面白くなかったです。

 私も誰かから支えられ、誰かを支えて生きているんじゃないかと思った。

 遠藤さんのところには、たえず笑顔が溢れていて、なんかほんわかしています。遠藤さんが笑っているのを見ていると、なぜか自分も笑っているのに気づく。 (S・N 一年)
 
 私はこの世の中に「生きていてもしょうがない」などという人間はいないと思います。きっと誰かに必要とされ、自分の存在を大切にしてくれる人がいると思います。だから私が、もし辛くて死にたいと思っても、今自分が生きていることを誇りに思い、一生懸命生きていきたいと思いました。 (N・A 一年)

 「えんとこ」と私達は、決して遠くない気がする。それは遠藤さんが人に語ってるからだと思う。世の中に語るのではなく、人一人一人に語っている。私とかもちょっとウソをついたりすることがあるけれども、それは言葉が余ってるからで、言葉に障害がある遠藤さんは真実しか言わないとと思うから。 (N・R 二年)

 「うわー、これつなんなそう」と思っていました。だけど、だんだん「すごいなー」 (S・H 二年)

 何のために生きてんだろう、何がしたいんだろう、分んない。理解不能。でも遠藤さんは幸せそうだった。周りの人たちも。もう少し大人になったら、もう一回この映画を見たい。 (S・E 三年)

 私は昔から「人に迷惑をかけてはいけない」と教わってきました。でも遠藤さんはその全く逆のことを言ったのです。「自立」とは何かを考えました。それは、一人で何でもできるようになるのではなく、つまづいたら人の手を借りる事ができる事だと気づきました。 (R・A 三年)

 「クールだがアツイ。感動的でないようで感動的、強く訴えていないが、大きく訴えている」そんなところがニュートラルでとても良い映画でした。

 「意味のない人生だって楽しい」この一言を胸に刻みます。

 私は今まで身体障害者の人達をバカにしていたり、差別をしていることが何度もありました。この映画を見てもやっぱり遠藤さんのことを声で笑ってしまったり、きたなーいとか思いました。でも、それは最初のうちだけでした。遠藤さんはすごい笑っていていい笑顔をしていました。 (S・S 女 二年)

 遠藤さんがすごく細かった。私が一番びっくりしたのは、介護する方もされる方も本当に楽しく幸せそうだったところだ。私もちょっとだけなら「えんとこ」に行ってやってみたいなぁと思った。 (Y・A 女 二年)

 ぼくは、この遠藤滋さんのようにずっと夢や志をもって生きていけば、どうだって生きていけると思います。 (M・K 男 二年)

 だれでも歩いたり、お風呂に入れたりしたら、うれしいんだな。 (男子 五年生)

 「手伝ってもらって生きていけばいいんだよ」の詩は、人生のすべてにあてはまる賛歌です。テーマ音楽とともに忘れられない「うた」となりました。 (女性 四十代)

 すごかったです。生きるだけでなく、自分のすべてをさらけ出して、周囲も育てていくすごさを感じました。 (男性 四十代)

 「意味もなく生きるのって楽しいよね」「うん」いいなぁ・・・。いい会話がちりばめられていて(コトバだけでなく)、けっこう笑えて。そうか、これがえんとこなのねと。 (女性 三十代)



「えんとこ」を自主上映しませんか

1999年 伊勢真一監督作品 カラー16ミリ 100分
企画・製作映画「えんとこ」製作委員会/一隅社/クロスフィット
「えんとこ」のフィルムは全国どこへでも貸し出しいたします。
あなたの街で上映してみませんか。
「えんとこ」は縁のあるトコ。寝たきりの障害者、遠藤滋のいるトコ。
この映画は遠藤滋と介助の若者たちとの日々を
3年間にわたつて記録したドキュメン夕リ一です。
自主上映及び上映会についての、お問合せはこちらへ
「えんとこ」上映委員会
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