えんとこTimes

昨年の今頃は映画「えんとこ」はまだ誕生してませんでした。
まさに、産みの苦しみ(最終編集)の最中でした。

本格的な上映が始ってから半年、3月の初めになんと上映が100ヶ所を突破!
何の組織も持たない我が上映委員会としては、上出来すぎる展開です。

観た人の手から手へ上映の輪が拡がっています。

「えんとこ」の輪を全国へ!

応援よろしくお願いします。




 寒かったり、あたたかかったり、又、寒かったり・・・本当に、今年は春がやってくるのだろうか・・・といつも、ふと不安がよぎる季節です。
 昨年の今頃は、夢中になって「えんとこ」の最終仕上げに取り組んでました。
 映画『えんとこ』の存在を知っていたのは、我が信頼する数名のスタッフと数名の応援団。
 口の悪い友人達は、「伊勢は又ろくでもない自主映画にのめり込んで、どうせたいしたもん出来る訳ないのに・・・」という雰囲気でした。
 たいしたもんであるかないかはともかく、映画を完成し、自分自身が観てみたいと思ってました。
 当たり前のことかも知れませんが、自主映画の自主とは、自分が主人、自分が創りたい、自分が観たいものを創るということなのでしょう。「えんとこ」観たいなあ・・・と思ってました。「奈緒ちゃん」の時も、「ルーペ」の時も同じ気持ちでした。

 1999年3月30日
 横浜にあるヨコシネD.I.Aという現像所の試写室で、主人公の遠藤滋と介助の若者達、係わったスタッフで初号試写。遠藤は「ちょっと恥ずかしい・・・」とつぶやきました。

 1999年4月12日
 最初のプレス試写。入場者は3人。最後までいたプレス関係者はたったひとりでした。

 1999年5月29日
 最初の上映会を、私と遠藤滋との母校、池袋の立教大学でやりました。キャンパスの学生諸君がどれだけプラリとのぞいてくれるか、どんな反応を示すか、とドキドキでした。就職活動まっさかりの4年生数人が飛び込みで上映会をのぞき、「うん、なんか良かった・・・」「自分なりに明日も頑張ってみる・・・」というアンケートを残して行きました。

 1999年6月
 都内6ヶ所で「えんとこ」上映委員会主催の上映活動開始。反応はまずまず・・・。「奈緒ちゃん」の時の上映ネットワークに頼らないやり方ですすめてみよう、という方針でした。東京以外の地域での上映の呼びかけも、ポチボチと始めました。

 1999年秋
 全国各地での上映が、ゆっくりと立ち上がりました。じわじわと拡がれば・・・。本音のつぶやきとしては、数年かけてでも上映を展開し、何とか製作にかかった借金を返したいと・・・。

 1999年12月1日
 朝日新聞「天声人語」が、映画「えんとこ」を取り上げて紹介する。
 およそ3日間、上映委員会の電話は鳴りっばなしでした。遠くはアメリカ、カナダ、台湾からの問い合わせも・・・。

 2000年3月11日
 東京稲城市、富山黒部市、兵庫尼崎市、新潟上越市、と全国4ヶ所で「えんとこ」の上映。なんとこの日で上映会場100ヶ所を突破します。完成してまだ1年たたないのに、本当によく頑張ったよなあ「えんとこ」・・・。
 まあ「えんとこ」が頑張ったと言うより、上映を手伝ってくれた仲間、上映を申し出てくれた各地の人々が頑張った訳ですが、こういう時は素直に喜ぶべしです。

 忘れずに春はやって来る。きっと今年も春はやって来る。
 もちろん浮かれてばかりはいられません。創り手として「えんとこ」という映画の内容とかかわる様々な反応、厳しい批評をどう受け止めるかということが、いつも頭の片すみに居座っています。
 つい先日届いた主人公、遠藤滋からのメールを紹介しておきます。

 ”もし次の機会に上映後の「トーク」に引っ張りだされることがあるとしたら、その時には、自分が写っているこの映画の作品そのものについての評価も、まじめに話せるかな、と思い始めているところです。
 そういう機会には、はぐらかさずに、きちんとぼくのこの映画に対する評価を語っておこう、と思っています。"

 我が敬愛する遠藤滋はさすがです。ひとつひとつの物事に、とてもていねいにかかわり、ていねいに生きているのです。
 はぐらかさずに・・・、私も、もう少していねいにかかわり生きて行きたいと・・・。

本社論説委員 いせ しんいち



『えんとこ』を観終えて
愛媛県伊方町 水野昌光


 冒頭から観客は遠藤さんの自宅=「えんとこ」に導かれる。力強く肩の凝らないカメラの視点と、伊勢監督のナレーションが、次第に緊張感をほぐしていってくれる。その緊張感は、初対面の人と出会うときのそれに似ている。
 映画は寝たきりの遠藤さんとその介助に携る若者たちを映す。そして、”えんとこ”での言葉のやりとりや体の触れ合いを通じて、彼らはまさに”出会い”を体験しているのが分かる。
 人は毎日途方もなく僅かな確率で人と出会っている。その毎回一期一会の出会いのほとんどがすれ違いでしかない虚しさを、私たちはなす術もなく見送り、感じている。だからこそ人は誰かと出会いたいのだ。
 もっと違った言い方をすれば、人は誰しも違う存在である。姿形だけでなく感じることも価値観も違う。だが、その”違い”を感じることこそ”出会い”であり、心のすき間はその”違い”を感じることによって埋められるのだということ、映画「えんとこ」はその”出会い”を見事に映し出していると思う。
 そして、出会いを求める遠藤さんに、映画は伊勢監督なりの介助の形なのだろう。
 この映画は、これから人権映画として取り上げられる機会も多いだろうが、この映画の本当の魅力は、私たちが求めて止まない人と人のピュアでイノセントな出会いを描いていることにある。そして、決して人権を声高に主張したりしない伊勢監督独特の飾らない映像が、観る者の心に出会いの尊さを浸み渡らせるのだ。
 それにしても、映画関係の仕事を止め住所も変わった私が相変わらず「奈緒ちゃん」以来の伊勢監督とお付き合いをして頂いて、「えんとこ」上映に携ってしまう。それはきっと「いせとこ」とも言える伊勢監督の”縁"の中に招かれているからなのかなあ・・・そんなことを「えんとこ」を観終わって感じている。

【水野昌光さんは、三重県伊勢市で伊勢レックというユニークな映画館を経営していました。現在は一時休館中、伊方町の教育委員会の仕事に携り、2月に「えんとこ」を上映してくれました】



映画「えんとこ」   ありのままの人生にありがとうです
水嶋純作


 教育の現場では、一人一人のもっている個性を大切にすることを重視してきました。
 私も、その子のもっている「良さ」や「長所」をもっともっと伸ばし学び合うこと、そこからの「共に学ぶことの意味」を考えてきました。それは、それで間違いではないでしょうが、映画のあとで伊勢君が、「人は、どこか欠陥があるもの。欠けているところがあるからこそ人と繋がれるのだ」という話を聞かせてくれました。
 「そうや。そうなんや」ってすごく感じました。映画を見終わってそのことが一番残っています。
 完全な円であればそれは、とっかかりがないけれど、どこかにへこんだところがあるからこそ他者の『手助け』を必要とし、他者のもっているでっばりを、そこへはめ込むことができる。その時、両者は「助け」「助けられる」関係になっているではないか。
 それぞれが、ちがった「出っ張り」(もてる能力)をもち、同時に違った「へこみ」ももっていることが人というものだ。そうなんだ。だから人は人を必要とし、助け合って生きていくことが必要なんだ。
 「できないことは人に手伝ってもらって堂々と生きて生きなさい」「だって、君は一人で勝手に何かをやっていくことなんてできないだろう」(遠藤さんのことば)
 遠藤さんの生き方そのものと、そこから、こんなことに気づいた伊勢君は、すごいと思った。
 映画の中でも遠藤さんが「世の中全体を見ると、特に障害を持った者にとっては、決して生きやすいようにはできていない所があるとは思うけれど、それを直せっていうことも大切だと思うけれど、その置かれた状況の中で、それを引き受けて、その中でやれる限りのところまでやってみようということが、すごく大事だなあって思って生活しています」っていうのがすごくインパクトがあったし、伊勢君の映画の作風も「奈緒ちゃん」もそうだったけど、声高に叫んだり、政治的な手段としてでなく、また「障害者問題」という捉え方でなく、あたりまえの人間の生き方と「家族」や「友人」のありよう。自分の生き方というものへ迫ってくる。
 だからこそ、共感の輪が広がるのだと思う。もっとも、いつしょに神戸で映画を見て「ちょっと長かった」という感想を述べた私のパートナーや子どもたちは、私のように「立教」や「あの時代」の思い入れがない分、どんな風に思ったのか気になるところです。
 人と人との関係で大切なのは『適度な距離』だとも思う毎日です。
 若い人たちが、遠藤さんのところで新しい出会いをし、その人たちとまた私たちが「出会う」ことができるってすてきなことだと思います。
 私なりの「えんとこ」をつくって行きたいと思っています。
       −舞鶴から−

【水嶋純作さんは、遠藤滋、伊勢真一と同窓生。現在は地元舞鶴で、小学校の校長先生として活躍しています。「えんとこ」上映を画策中です】




えんとこ最新情報

●「えんとこ」のドキュメン夕リー映画としての評価
・1999年度キネマ旬報
  (文化映画部門)
      第8位
・1999年度映画ペンクラブ
  (ドキュメンタリー部門)
      第4位
・1999年度朝日新聞社
  今年の日本映画
      5本入選
 等です。

 評論家諸氏の評価もさることながら、上映委員会で映画を観てくれたひとりひとりのうれしい評価をこそ、励みにしたいと思います。

●『えんとこ』サウンドトラックCD限定発売せまる。
 一部に熱狂的に支持されている主題歌『不屈の民』を中心に、主人公遠藤滋の詩、つぶやき等をデジタル録音化したCDです。映画の感動をもう一度・・・という方におすすめです。
(お問合せは「えんとこ」上映委員会まで)

●伊勢真一構成編集の最新作『ドキュメンタリーごっこ』完成!
 友人のカメラマン内藤雅行の中学生時代、35年前の8ミリフィルムを中心に構成された作品「ドキュメンタリーごっこ」は、懐かしく、やがて切ない不思議なプライベートムービーです。
完成試写会
 3月24日(金)
  @12:30〜
  Al3:50〜
 4月16日(日)
  @14:00〜
  A15:30〜
 会場:映画美学校試写室
 03(5205)3565
 5月5日(金)
小岩メイシネマ映画祭でも上映されます。
 問合せ:03(3659)0179 (藤崎)



 
「えんとこ」アンケートコーナー

=神奈川県相模原市=

 人の手を借りずに生きることが自立なのではなくて、困ったときに人の手を借りることができて、そうして生きていけることこそ自立だと思いました。自分の存在を誰かに伝えることは大切だと思います。
(M・A 女 21才)

 聞き取りにくかった遠藤さんの言葉がわかり、何か見にくかったフィルムの中に生活のリズムを感じてきました。
(M・T 女 43才)

 こどもが小4小2でこの映画をみていられるか心配でしたが、見せてよかったです。
(A・R 女 37才)

 田舎に(会津)にいる予定でした。でもこの映画を見たくて大急ぎで帰ってきました。急いでよかったです。
(T・K 女 53才)

 兄をすい臓ガンで亡くしたばかりでした。命って重いって思っていましたが、こんなにもしなやかで、軽やかなものだったのだと気づかせてもらいました。軽くはない軽やか。
(T・R 女)

 人間っていいねー。遠藤さんがいて周囲に沢山の人がいて、映画にしようと思う人がいて、上映(近くで)しようと言う人がいて、私にチョット声をかけてくれる人がいて・・・。
(N・K 女 58才)

 感動とか涙とかよりもらくになりました!こういう感覚は初めてです。らくになった。
(T・A 女 24才)

 映画のカットの隅々に見られる小さなシーンがとても印象的でした。
(M・R 女 27才)

 遠藤さんが海で歩いたとき、うれしさがにじみ出て、いい顔していた。私は恥ずかしかった。私は歩いてなんかいない。
(H・R 女 34才)

 意味がないけど楽しい。意味がないから楽しい。
(O・S 女 19才)

 安っぽいメッセージではなく、日々の生活が感じられるところがよかったと思います。あんな笑顔久しく自分自身ないなあ、きっと。
(I・T 女 43才)

 「ウン、そうだよね」って映画を見た後、はっきりうなずけます。
(K・M 女 47才)

 今すごく気持ちがいいです。今自分が生きてることすごいって思いました。
(I・T 女 27才)

 ドキュメンタリーはあまり好きではありませんが、えんとこのなかにいるようで、気がついたら一緒になって笑ったりしてとけ込んで見られてよかったです。
(I・A 女 29才)
 
 できるとこまでやって、できないことは大いに手伝ってもらって堂々と生きていけばいい、という詩が染みた。
(S・Y 女 23才)

 小4の娘が見たがってたので来ました。
 えんどーさんは嫌いな人がいないんだろうか。でもきっと、恋とかもいっばいあるよね。人生に、全てに四六時中恋してるから、あの笑顔があるのかな。
(T・M 女 41才)

 時々聞こえてくる水音は、遠藤さんの気持ちだったのかなと考えました。
(S・K 女 50才)

 よかった見て・・・。若い出演者自身が主役だったと思う。
(K・S 女 48才)

 遠藤様目からうろこ・・・涙があふれました。「感動した」と一言で終わらせてしまうと、とてもうすっべらく感じます。
(A・Y 女 32才)

 高中学生とかにもこの映画を観せてあげたいなと感じました。「ありのまま」が伝わってきました。ありがとうございました。
(Y・M 女 44才)

=静岡県焼津市=

 何か忘れかけているようなことに痛感した。常に原点に帰って、自分を見直す心がけをしたいと思う。
(T・M 男 62才)

 遠藤さんに心より「人間オーケストラ指揮者」バンザイ、と声援します。
(S・Y 女 60才)

 治療は薬だけでない、自ら行動の支援が最大の薬である。
(M・I 男 71才)

 人間は誰かにたよって、必要とし、必要とされながら対等の立場でみんな生きていくんだって思えました。
(K・T 女 28才)

 それは不思議な感動でした。押しつけられたものではなく、水に染み込んで来るようでした。
(G・M 男 35才)

 生きているとはどういうことだろう、という私の疑問に答えてくれる映画だった。ありのままでいいということを認められる世界があるのだと思った
(S・A 女21才)

 「生」というものに、一分一秒直面している遠藤さんが、私を映す鏡となる。
(M・M 女36才)

 二度ほど登場するお母さんの育て方にもまた感動しました。お母さんの育て方(気持ち)が、そのまま遠藤さんの中に生きていると思います。
(W・T 女 36才)

=福岡県北九州市=

 介護のボランティアをやってみようかと立ち上がる勇気はありません、まだ。でもポランティアさんたちのあの満ちたりた表情は、どうしても忘れられない。私がこうして部屋に閉じこもって何十冊もの本を読みあさっても、あの表情にはたどりつけない気がします。
(女 22才)

 こどもが小学生なのですが、みせてやればよかったと思います。
(Y・T 女 45才)

 私にも「えんとこ」があります。小「えんとこ」ですが・・・
(S・A 男 39才)

 今すぐには何も浮かんでこないが、「おもしろい」にも色々あるなら、確実に『おもしろい』と感じた。
(F・G 男 24才)

 私にとって遠藤さんは、私を軽くさせてくれる大切な人だと思いました。
(H・K 女 22才)

 中国人留学生の気持ちがいいという言葉がすべてだと思う。「疲れるけど、気持ちがいい」
(W・J 男 24才)

=その他の地域=

 初めはただ単に出席のために行ったが、「えんとこ」を観て何かが変わった。何もしないでバリアフリー社会を望もうなんて、私は何てバカなんだろうとこの映画を観て感じた。
(女 19才)

 思ってたより、すごく良かった。私も「自分が生きている意味って何だろう」って前から考えていたけれど、その答えが今でも見つからなくて。でも「生きる意味がなくても、楽しければいいじゃない」という言葉に、何かはっとさせられるものがあった。
(女 20才)

 「してあげる」人と「してもらう」人に二分されるのではなく、お互いに『してもらってるけど、してあげてもいる』という気持ちをもっていなくては。
(S・S 女)

 「ありのままを生きる」ってとても難しい。でももしかしたら、とてもカンタンなことなのかもしれない。それを難しくしているのは、「常識」にしばられている心なのかもしれない

 「君が今やりたいことをまっすぐに人に伝えながら、出来ないことはみんなに手伝ってもらって、堂々と生きてゆきなさい」この言葉で、私はこれからの人生に自信がもてたように思えた。
(Y・A 女 14才)

 人として、当たり前に生きる、という中に「いつでも、どこでも、だれもが生かしあえる」ということの大切さや必要性を、あらためて感じさせてもらった。
(O・S 30歳 女性)

 +(プラス)の思考が+を生み+を生もうとする。
(A・K 37歳 女性)



「えんとこ」を自主上映しませんか

1999年 伊勢真一監督作品 カラー16ミリ 100分
企画・製作映画「えんとこ」製作委員会/一隅社/クロスフィット
「えんとこ」のフィルムは全国どこへでも貸し出しいたします。
あなたの街で上映してみませんか。
「えんとこ」は縁のあるトコ。寝たきりの障害者、遠藤滋のいるトコ。
この映画は遠藤滋と介助の若者たちとの日々を
3年間にわたつて記録したドキュメン夕リ一です。
自主上映及び上映会についての、お問合せはこちらへ
「えんとこ」上映委員会
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