新聞掲載記事

毎日新聞(99/04/30 付)
新潟日報(99/05/16 付)
朝日新聞(99/05/29 付)
読売新聞(99/06/02 付)
読売新聞 都民版(99/06/11 付)
東京新聞(99/06/12 付)
朝日新聞〜天声人語(99/12/01 付)


 
寝たきりの障害者と介助の若者たち、支え支えられる生を記録−−友人が映画に
     99.04.30 東京本紙朝刊 15頁 家庭 写図有

 ◇学生時代の友人が映画に
 「ありのままの命にカンパイ!」――寝たきりの重度障害者、遠藤滋さん(51)=東京都世田谷区=と、介助の若者たちの3年間にわたる日々を記録した青春ドキュメンタリー映画「えんとこ」がこのほど完成した。監督は、遠藤さんの学生時代の友人でもある伊勢真一さん(50)で、「支える者が支えられている」という人間の営みをありのままに深く、丁寧に描いている。【池田知隆】

 「えんとこ」とは、東京都世田谷区の住宅街にある遠藤さんのマンションの1室で、介助の若者たちの居場所のこと。遠藤さんの居るところであり、縁のあるところという意味だ。
 遠藤さんは仮死状態で生まれ、1歳のころ、脳性まひと診断された。立教大学文学部を卒業後、都立養護学校教員に採用され、障害者教育にかかわりながら、地域活動にも積極的に参加した。しかし、1991年ごろから、まったくの寝たきりの状態となり、いまでは24時間1日3交代の若者たちの介助なしには生きていけない。
 3年前、伊勢さんは12年にわたって障害をもつ少女の成長を記録した映画「奈緒ちゃん」(毎日映画コンクール記録映画賞グランプリ)を見てもらおうと、遠藤さんを訪ねた。25年ぶりの再会だった。
 そのとき、遠藤さんは学生時代のように走り回れる体ではなかったが、遠藤さん自らが組織した介助ネットワーク「えんとこ」には、若者たちが実にいきいきとした表情で通っていた。その数はすでに1000人を超え、部屋に置かれた100冊余りの介助ノートには「なんだか居心地がいいです。あと、意外な自分が見つけられるかも?」「なつかしくて、あったかい」「他人には言えない傷を持つ者もたくさんいます。ここでは誰(だれ)もが祝福されています」と書かれていた。不自由な体を引き受けながら、生きていこうという遠藤さんの強い意志にふれることで、若者たちはいつしか支えられ、「命を生かしあう関係」が息づいていた。
 「自分の足で歩こうとする遠藤のように、私は生きようとしているだろうか」。そんな思いにかられ、伊勢さんは共に学生時代を過ごした企画担当、岩永正敏さん(51)といっしょに、遠藤さんをめぐる日常のあれこれをカメラに収めてきた。「もう一度、出会うことになるとは思っていなかった一人の友人と出会いなおし、そこから生まれた作品です」と伊勢さん。25年の時を隔てた、「団塊の世代」による「出会いなおし」の映画となった。伊勢さんは言う。
 「いま、自分の居る場所にスポットを当て、目を凝らし、耳を澄ますと、『ありのままの命』に気づくことができると遠藤は言っている。それは障害者だけでなく、もっと普遍的な意味をもつ問いかけでもある」
 最初の一般上映会は来月28日、伊勢さんたちがともに青春を過ごした母校、立教大学で開き、6月から全国各地で自主上映会を広げていくという。問い合わせは同上映委員会(電話03・3406・9455)。

■写真説明 海水浴を楽しむ遠藤さんたち
■写真説明 伊勢真一さん
                                     毎日新聞


 
ドキュメンタリー映画「えんとこ」が完成
   障害者と介助の若者たち−−ありのままの日常描く

     99.05.16 写図有

 寝たきりの男性と介助の若者たちを描いた、自主製作のドキュメンタリー映画「えんとこ」が、このほど完成した。淡々と追った日常生活から、「ありのままに生きる」ことの大切さが、静かに伝わってくる。
 舞台は、東京都内のマンションの一室。主人公の遠藤滋さん(51)は、脳性まひの障害を持って生まれた。大学時代はデモにも参加し、卒業後は養護学校の教員に。障害者差別と闘うなど、行動的な毎日を送っていたが、脳性まひの影響で、8年前から完全に寝たきりになった。
 しかし、施設には入らず、若者たちの助けを借りながら一人暮しを続けている。行政のさまざまな制度を活用しながら、時給数百円を払って若者に介助にきてもらう態勢を、自分で築いてきた。人手が足りないピンチも再三経験しているが、これまで介助に携わった若者は、千人を超すという。映画のタイトルは、若者たちがこの部屋をそう呼ぶところから付いた。意味は「遠藤さんの所」「縁のある所」。
 監督の伊勢真一さんは、遠藤さんと大学時代の同級生。知的障害の女の子とその家族を追った「奈緒ちゃん」(1995年)などの作品がある。「奈緒ちゃん」の上映会で20数年ぶりに遠藤さんと再会し、「遠藤が『おれを撮ってみないか』と言っている気がした」。伊勢さんは、3年間「えんとこ」に通い続けた。
 どんな生き方をしたところで、人は互いに助け、助けられて生きていく。だから、自分を偽らず、ありのままに生きてこそ、互いを生かし合える。遠藤さんは身をもってそう語り掛ける。これからの介助や介護の在り力を考えるヒントも、示されてはいる。しかし、自然体の若若たちや、カメラと登場人物たちとの距離感のおかげで、押し付けがましくなく仕上がった。
 遠藤さんは、「何かの役をやっているのじゃなく、日常を撮ったから、映っているのも見ているのも自分。変な気分だね」と照れながらも、「身近に障害者がいない人に見てほしい」と話している。
 5月28日の立教大学(東京都豊島区)など数カ所で上映会が予定されている。上映会開催の希望などは、「えんとこ」上映委員会 電話03(3406)9455へ。

■写真説明 遠藤滋さんと若者たちの日々を描いた「えんとこ」の一場面
                                     新潟日報


 
障害者と若者たちの映画「えんとこ」完成
   −−障害者と若者たちの映画「えんとこ」が完成 支え合い、街で生きる

     99.05.29

 脳性まひがもとで、自分一人では食事や着替えはおろか、ベッドから動くこともままならない。でも、施設に入らず、人々とふれあって生きていきたい――。
 東京都世田谷区のマンションでひとり暮らしを続ける障害者の遠藤滋さん(52)と介助の若者たちをつづったドキュメンタリー映画「えんとこ」が完成した。監督は遠藤さんの友人、伊勢真一さん(50)。28日夜には、二人の母校・立教大で最初の上映会を開いた。
 遠藤さんは1歳のころ、脳性まひと診断された。大学卒業後、都立養護学校で先生をしながら、地域の障害者運動に積極的にかかわったが、1991年からまったく寝たきりの状態となった。以来、一日三交代で介助する若者たちに命を支えられている。
 「えんとこ」は遠藤さんが自ら呼びかけた介助ネットワーク。「遠藤さんのいるところ」と「縁のあるところ」という意味だ。手作りのビラやポスターでメンバーを募った。社会人、大学生、高校生……。かかわった人は千人を超す。
 障害者の介助は初めてという人も少なくない。「どうしようとドキドキした」「戸惑いを感じる前に何をしていいのか分からなかった」と打ち明ける。だが、不自由な体をありのまま受けとめて自立への強い意志を持つ遠藤さんの姿に励まされ、互いに支え、支えられていることに気付いていく。ここでの経験をきっかけに障害児教育や福祉の道へと進んだ人もいる。伊勢さんは「かつて養護学校で教えていた彼は、今も『教師』であり続けているのかも知れません」と話す。
 六月から全国で順次上映される。問い合わせは上映委員会(電話03・3406・9455)へ。

                                     朝日新聞


 
重度障害者が懸命の自立生活
     記録映画「えんとこ」完成 共感呼ぶ前向きな姿勢

     99.06.02

 ◆介助の輪 延べ1000人 24時間三交代、自ら組織
 重度の障害を抱えた男性の自立生活を、3年間にわたって丹念に追った記録映画「えんとこ」(伊勢真一監督)が、このほど完成、東京を手始めに公開される。作品では、介助を受ける男性に介助者自身が逆に生きる喜びを与えられる様子も描き出され、障害者と介助者の関係を考え直すきっかけにもなりそうだ。
 作品に登場する男性は遠藤滋さん(52)。仮死状態で生まれた遠藤さんは脳性マヒに苦しみながら大学を卒業。その後、東京都の養護学校教員に採用され、地域の障害者活動にも取り組んできた。
 ところが、病状が悪化し、91年からまったくの寝たきりに。しかし、自立した生活を送りたいと、親元を離れ、東京・世田谷区のマンションで一人暮らしを続けている。
 もっとも、体が自由に動かせないので24時間体制で介助者を必要とする。遠藤さん自ら知人などに呼びかけ介助者のネットワークを組織。これまで20歳代の若者を中心に、延べ千人以上の人たちが介助にかかわってきた。
 監督の伊勢さんは、遠藤さんと同じ大学、同じ年代の同窓生。3年前、自作の「奈緒ちゃん」という知的障害者を扱った記録映画の上映会を企画した際に、25年ぶりに遠藤さんと再会。自立にこだわる遠藤さんの生活と、周辺に集まる介助者の姿を通して「生きることの意味そのものを問い直したい」と撮影を始めた。
 「えんとこ」というタイトルは、「遠藤のいる所」と「縁のある所」という意味をかけたもの。
 三交代で詰める介助者たちは、食事や着替え、排泄(はいせつ)などの世話の合間に、記録をつづる。すでに百冊以上になるノートには、「ここではだれもが祝福されています」「何だか居心地いいです」「なつかしくて、あったかい」などの思いがつづられている。
 また、遠藤さんと介助者たちは、単に生活するだけでなく、障害者が街で生活するための調査などにも意欲的。実際に街を調べるなどして、定期的なニュースレターの発行も行っている。最近、インターネットによる情報発信も始めた(http://member.nifty.ne.jp/entoko/)。
 作品はこうした活動を追いながら、介助者が遠藤さんと交わす会話に逆にいやされていく場面も紹介する。「介助する・される」といった関係が問い直され、遠藤さんのマンションはまるで学校かサークルのような雰囲気だ。
 「必死に生きている遠藤さんの姿を追いながら、自分は、そのように生きているだろうかという反省もあった。あらゆる世代の人たちにぜひ、見てもらいたい」と伊勢さんは話している。
 完成上映会は5日から、東京・大久保のアールズアートコートをはじめ、都内各所で行われる。上映の合間を縫って伊勢監督らによるトークなども予定されている。また、地方での自主上映会などにも積極的に応じるという。問い合わせは「えんとこ上映委員会」(03・3406・9455)へ。

 写真=介助者と伊豆の海に出かけた遠藤さん(右から2人目)。記録映画「えんとこ」の一場面
                                     読売新聞社


 
観客席 ◇「えんとこ」上映会
 障害者差別や立ち遅れた福祉行政を相手に闘ってきた世田谷区梅丘の元養護学校教員、遠藤滋さん(51)は現在、寝たきりの生活を送っている。介助の若者たち抜きでは生活できないが、弱々しくなえた肉体と闘いながらも、ストローで日本酒をぐいっと飲み干し、若者たちに生きること、命の素晴らしさを教える。そんな遠藤さんと若者たちを3年半にわたって記録した映画「えんとこ」(伊勢真一監督)の上映会が開かれる。
 主催は「優れたドキュメンタリーを観る会」。
 14日15時と19時からの2回、世田谷区北沢2の「北沢タウンホール」で。前売り1500円。当日券は一般1700円、障害者、小学生1000円。
 前売り申し込みは、同会の飯田光(TEL:3426−7053)

読売新聞−都民版  1999年6月11日


 
記録映画『えんとこ』が完成

 寝たきりの重度障害者、遠藤滋さん(52)と介助に訪れる若者らとの3年間を撮った記録映画「えんとこ」(100分)がこのほど完成し、今月から本格上映が始まっている。「裸の命をさらして生きる僕」という遠藤さんと、「ここに来ると居心地がいい」という青春ただ中の若者との交流がテーマ。監督で遠藤さんの大学時代の友人でもある伊勢真一さん(50)は「今自分のいるところにスポットを当て目を凝らし耳を澄ますと、「ありのままの命」に気づくことができると遠藤は言っているのだろう」と話す。
                    (鈴木久美子)

重度障害者と若者の3年間の交流



寝たきりの遠藤さん『ありのままの命生きる』
訪れる学生ら『居心地いい場所見つけた』

 「きっかけは25年ぶりの再会だった」と伊勢さんは言う。脳性まひで10年前から寝たきりになった遠藤さんとは、学園紛争中の立教大で共に学生時代を過ごした仲だった。卒業後、疎遠になっていたが三年前、伊勢さんの前作『奈緒ちゃん』(1995年)の上映会を遠藤さんの強い希望で地域で開催が実現したことから、再会した。
 「不自由な体を引き受けながら自立しようと強い意志を持ち、毎日を丁寧に生きている姿。はっきりとは分からないが、思わず撮り始めて、そこから出会い直すみたいなことをしていこうと。撮っていけば何か見えてくるのではないかと思いました」(伊勢さん)。撮影は、結局三年間にわたった。
 「えんとこ」とは、東京都世田谷区にある遠藤さんが生活するマンション2DKの一室。食事から外出まで日常生活すべての命綱である介助者を一日三交替で得て、この10年、一人暮らしをしてきた。”縁のある場所”、つまり「えんとこ」なのだ。
 これまでに訪れた若者は千人を超えている。映画にもいろんな若者が登場する。福祉を学ぶ学生や大学院生、ジャズトランべットに夢中な女子大生、医学を学ぷ中国人留学生や河原でテント生活を送る若者……。
 −−−君が今やりたいことを、真っすぐに人に伝えながら、できないことは、みんなに手伝ってもらって、堂々と生きてゆきなさい。(中略)だって、君はひとりで勝手に何かをやってゆくことなんてできないんだろう?−−−
 こんな詩を書く遠藤さんに引かれて、『えんとこ』は若者の楽しそうな居場所だ。その一方、介助者の確保は難しく切実な問題になっている。
 寝たきりになる前の遠藤さんは大学卒業後、養護学校の教諭をやりながら、駅に車いす用スロープをつける運動など地域の障害者活動にも参加してきた。寝たきりになってからも介助者と共に積極的に町に出る。
 「自らのありのままの命を祝福(肯定)すると決めて生きる。たとえそれがどんな姿をしていても」。そう言い切る遠藤さんの内面の葛藤(かっとう)をほんのりと映画は伝える。
 映画を見た感想を「言いようのない不思議な感覚だった。三度見てやっと、映画として見ることができた。現実の日常生活から切り取られた自分の映像。とても貴重な経験だった」と遠藤さんは話した。
 上映の問い合わせは「えんとこ」上映委員会=電03−34O6−9455=まで。

写真:
上→映画「えんとこ」から(右から2人目が遠藤さん)
左→母校の立教大で開いた上映会の後で学生時代の仲間と(左が伊勢監督)

東京新聞  1999年6月12日


 
天声人語
 「自分を見つめ直したくなる映画だった」と知人が言った。この夏のことだ。その映画をようやく見た。『えんとこ』(伊勢真一監督)である。
 東京都世田谷区に住む遠藤滋さん(52)と、彼を取り巻く若者たちの交流が、1時間40分にわたって淡々と、実に淡々とつづられる。一人暮らしの遠藤さんは、重度の障害者で寝たきりだ。日常のあれこれは、いっさいできない。若者たちが一日三交代で、介助を続けている。

 女子高生がいる。バンドに夢中の長髪の青年がいる。中国からの留学生がいる。介助者はつねに不足がちだ。それでも何とかやりくりし、バトンは途切れず手渡されてきた。そのことに、まず素直に感動する。これまでの「卒業生」は、千人を超えた。
 卒業生と呼ぶのは、遠藤さんの部屋が小さな学校に似ているからだ。「えんとこ」とは「遠藤さんのいるところ」であり、「縁のあるところ」である。若者たちは遠藤さんを助けてきた。しかし遠藤さんも、若者たちの心を支えてきたのだった。卒業生の一人の詩。《もしあなたが健常者だったら、出会うことがなかった。私は相談する人もなく、一人悩み続けていたのかもしれない》。

 仮死状態で遠藤さんは生まれた。ありのままのいのちを生きることが、人生の始まりだった。手も足も使えるものは全部使って大学を終え、念願の養護学校の教師になる。が、障害が進み、退かねばならなかった。そしていま《寝たきりを引き受けて生活してみたら、これが何と面白い生き方だったか、本当に感じますね》。遠藤さんは再び教師になった。

 『えんとこ』は各地で自主上映中。間い合わせは上映委員会(03−3406−9455)へ。映画の最初、遠藤さんのことばはよく聞き取れない。でも次第にわかってくる。たとえばそのとき、観客は自分を見つめ直すかもしれない。

朝日新聞〜天声人語  1999年12月 1日